【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四百七十三時限目 佐竹った記念日
「答えを出した後を想像すると、怖いんだ」
失う恐怖なんて想像してこなかった。
失って悲しいものはソシャゲのアカウントくらいだった。
本は買い戻せるし、電化製品だって買い換えればいい。
取り替えが効く生活。
それが僕の人生であり、全てだ。
大切な物や、思い出だってなかった。
他人と深く関わろうとしなかったからだ。
中学時代の修学旅行だってグループ行動が強制ではなかったら、一人でお寺巡りをしていただろう。
彼らの思い出を邪魔してはいけない。
水を差すような行動は慎むべきだ、と──。
そんな僕にも大切だと思える友人ができた。
歯車がいかれた暴走機関車のような関根さんや、挨拶をすればいつも「だれだっけ?」と首を傾げる七ヶ扇さん──は、もしかすると僕を友だちとは思っていないかもしれないけれど──男の娘に目がない変態のくせして彼女がいる八戸先輩も、親しい間柄と言っても差し支えない。
そして、なによりも大切だと思える三人は、目の前にいる。
僕はこの関係を壊したくない。
卒業するまでこのメンバーと一緒に過ごしたい。
壊したくない──。
「優志……」
「優志君……」
「優志さん……」
僕を呼ぶ声にも反応できず、テーブルの真ん中辺りを凝視して固まっていた。
みんな、どんな顔をしているのだろう。
情けなくも弱音を吐いた僕を見て、呆れてしまっただろうか。
軽蔑されたかもしれないし、嫌われてしまった、かもしれない。
「ふう……」
だれかが浅く息を吐いた。──多分、佐竹だ。溜息のようにも訊こえたけれど、そこまでの深さは感じない。
重要なのは深さではないのに、現実を受け入れたくない一心で、縦、横、高さの値を求めたくなった。
三角形の面積は〈底辺×高さ÷2〉で求められる。
底辺にいる僕が、高みにいる三人との関係値を測る際に用いてもよさそうだけれども、数値で表すことのできない不確かな数値を測るとなると、未知数を表す記号、x、y、z、を使わなければならない──ややこしい限りだが、数学は嫌いじゃなかった。
教科書に書いてある数式を当て嵌めれば答えを導き出せるのだから、国語よりも簡単かもしれない。
梅高では国語の授業が〈日本語〉と明記されていて、文豪作品から問題を出題されるのが常だ。俳句や詩も取り入れ、バリエーションには富んでいる。
然し、日本語(=国語)が苦手な者には苦痛を強いる授業内容だ。
佐竹は日本語の授業が苦手だし、宇治原君も平均ぎりぎりな点数。
村田ーズの得意科目はバラバラだが、三人揃って日本語は危うい。
まあ、佐竹を含めたこの五人は、日本語に限らず座学が苦手といえるのだが……。
数学のよいところは、具体的な数字が目に見えることにある。
某・小説投稿サイトに投稿されている異世界転生・転移ファンタジーは、自身のパラメータを数字で表す作品が数多にあり、『ステータス、オープン』と叫べば、自分がどれだけ強くなったのかを明確に知ることが可能だ。
この機能を応用して他人との関係値や高感度を知れたりしないだろうか? と、思うときがある。
知ったところでどうなるとも言えないけれど、指針にはなるはずだ。踏み込んではいけない領域に踏み入れる前に、踏み留まれるから。
そうなれば、相手を傷つけなくていい。
自分だって傷つかない、優しい世界の完成。
人類皆ハッピーでヤッピーでマンモスうれピくてチョベリグだろう?
僕の世代で『チョベリグ』と『マンモスうれピー』を知る者が果たして何人いるのか些か疑問ではあるが、どちらも『超嬉しい』という意味である。
死語、というよりも、古代語。
かつて栄えた文化が齎らした、究極に意味不明な言語という意味で、古代語と述べたほうが適切だろう。現代で言い換えれば『ウェイ』である。ウェイであるってなんだよ。字面がウェイ過ぎて意味不ウェイだよ。
現実逃避がいき過ぎてしまった。
「優志ってさ」
虚を衝かれて、思わず顔を上げた。
水が入ったコップをじと見つめる佐竹は、両腕を組むようにしてテーブルに置き、やや前傾姿勢の猫背の姿勢で口を開いた。
「頭いいのに、たまにめっちゃ頭悪いよな。ガチで」
佐竹に馬鹿呼ばわりされる日がくるなんて──言い返してやりたいけれど、反論の余地もないほど『その通りだ』と思ってしまった。
だが、言われっぱなしは性に合わない。
目には目を歯には歯を、言葉の刃には大砲を持って応戦するのが僕の信条である。
どう言い返してやろうかとぐずぐずしているうちに、天野さんが開口する。
「自分の幸せは自分で決めるわ」
険のある声で、『らしい』ことを言った。自分の幸せを他人に決めつけられるなんて不愉快だ、と言いたいのだろう。
ぐうの音も出ないド直球な正論は、時速一六〇キロで僕の頭の横を掠めていく。そんな豪速球、打てるやついる? いねえよなあ……。
「それって優志さんの感想ですよね。それともそういうデータがあるのでしょうか?」
月ノ宮さんのダメ出しに関しては、論破に定評がある人物の台詞を引用していた。そのうち、一人称が『おいら』になりそう。いいや、月ノ宮さんの場合は『僕』と書いて『やつがれ』って呼称しそうだ。羅生門すきそうまである……ないか。
カウンターの奥では、照史さんがお腹を抱えてげらげら笑っていた。
親愛なる妹が論破王に影響されているのを目の当たりにして、そんなに可笑しいのだろうか。
妹さんが変な方向にいかないか不安になりそうなものだけれど、その様子を笑って済ませる兄というのも、これ如何に、だ。
「え、えっと……みなさん?」
狼狽えていると、
「あのさ」
緩慢な態度で佐竹が言う。
その言葉は何度も外側に連れ出してくれた。
これからもそうだって、信じたい──。
「遅かれ早かれ、こうなることは、俺も、恋莉も、一年前から了承済みなんだわ。俺を選んでも恋莉は優志を恨んだりしねえし、俺だって優志を恨んだりしねえよ──それを今更真面目な顔で言われたら、総ツッコミ入れらても仕方ねえんじゃね? マジで」
「その通りよ、優志君。これでも私と佐竹はお互いに話し合いをしていたりするのね? で、どちらが選ばれても恨みっこなしって決めているの」
「というか、私からすれば〝遅過ぎる〟です。優志さんは自分の弱さを隠そうとする嫌いがありますよね。ならばと率先して弱音を吐き出していたというのに、どうしてその意図を読もうとしなかったのでしょう。普段は私の言葉の裏の裏を読もうとするのに、不思議でなりません」
耳が痛くて頭も痛くなってきた。ついでに性格も悪く──性格が悪いのは生まれつきだった。
「じゃ、じゃあ、僕はずっと無意味な悩みを抱えてたってこと?」
「そうなるな」
「そうなるわね」
「本当の気持ちを隠すからこうなるのです。反省してください」
ぐわあああ、と思った。
穴があったら入りたい。
入っただけでは気が済まぬ。
そのままマントルまで突き進み、燃え尽きてしまいたかった。
三人に面と向かって悩みを打ち明けたことはなかった。
悩み続けることが罰だ、とすら考えていた節もある。
思えば、それは単なる自惚れだったのかもしれない。
想像以上に、佐竹も、天野さんも、月ノ宮さんもタフだったのだ。
「マジか」僕が言うと、「割とな」佐竹が続き、「普通にね」天野さんが苦笑して、「ガチです」月ノ宮さんが悪ノリする。
全員の語彙力が佐竹った決定的瞬間が訪れたのであった。
【報告】
試験的に書き方を変更してみました。以前の方が良いというお声が多くあれば、戻すかもしれません。何かあれば『感想』に御記入頂けたら幸いです。
by 瀬野 或
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