【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四百七十二時限目 いつだって鶴賀優志は往生際が悪い


 昼手前頃から始まったプレゼント交換会は、紆余曲折ありながらも佳境を迎え、閉会のことばを残すのみとなった。

 始業式でも、終業式でも、卒業式でも、入学式でも、始まりがあれば終わりがある。学生であれば当然だ。幾度となく入学式に参加して、卒業式を経験した僕らだ。普遍とも受け取れる一連の行事に対し、なんの疑問も抱かずに参加してしまえるのも当然である。

 閉会のことばを告げれば、式は終わりを迎える。

 どう足掻いたってアンコールはない。

 リテイクもなければリバイバルもない。

 リマスターするほど僕の生活は名作でもないのだから、〈Re:空気から始まる高校生活〉もあり得ないわけで──。

 僕は、この関係を終わらせるために、ダンデライオンにきた。これまでの時間を清算しにきた、とも言える。そう思ったらケツイがみなぎってきた──なんてこともなく、両手はケツイを凍らせてしまうほどに冷たくなっている。

 冷たくなっているのに、手のひらから滑るような汗が出ていた。縫われてしまったのかと思うほど口も開かない。普段は考えずとも、でまかせ、嘘、はったり、ブラフがすらすら飛び出す口なのに──それらはきっと、恐怖のせい、なのだろう。

 終わらせた後に待っているのは、だれかの泣き顔と、落胆と、絶望と恨み。それを真っ向から受け止められるくらい器の大きい人間だったら、こうなる前に答えを出せていたはず。

 そうできなかったのは、僕が卑怯者だからだ。そして、いまもその卑怯者は、どうにかこの場を穏便に済ませられないだろうかと思案して、袋小路になっている。

 答えを出すことが正しいのか。正しい行いをすることが、そんなに偉いのだろうか。正しい道を選んだって損をするだけならば、正しくない方法で解決するほうがまともなのではないか。

 そんなのは詭弁だ。雄弁に語ったろころで間違っているのだ。間違っている答えをどう正そうとしても、それは間違いを量産する無意味な行為である。わかってる──わかってるけれども、わかりたくなんてなかった。

 僕が答えを出せば、これまでの関係は無に帰すだろう。

 答えを待つ必要がなくなるからだ。

 答えが出れば問題は解けるし、解けてしまった問題に興味を持つ者などいるはずがない。テストの答案用紙が手元に戻り、間違えている箇所をおさらいするなんて高校生の鏡みたいな人柄であるならまだしも、一年以上もの間、じっくり待ち続けた問題の答えに納得がいかず、再び取り掛かる者などいない。

 散り散りになった僕らは、各々が所属しているグループに回帰するのだろう。

 僕は──。

 僕は、何処にいけばいいのだろうか。

 いつものようにあの席で頬杖をつき、遠くの空をぼんやり眺めながらただ時間が過ぎていくのを待つ生活に戻るだけ──それが贖罪だというのならば甘んじて受け入れるしかない。そうやって割り切れてしまえれば、どんなによかっただろうか──。

 佐竹と天野さんは、優柔不断な僕をずっと待っていてくれた。

 月ノ宮さんは、僕を影から見守り続けてくれていた。

 その気持ちに応えなければと思いつつも引き伸ばして、散々待たせた挙句にどちらも選べないでは、時間を悪戯に消費させてしまったことにもなる。

 そんな不義理を犯すくらいだったら、あの日の提案をすっぱり断ればよかった。でも、そうはしなかった。変わらない日常に変化が欲しかったんだ、といまになって思う。それを他人に求めるなんて浅ましい限りだが、なんとでも呼べばいい。

 そのことにいち早く気がついたのは、佐竹家で出会った佐竹の姉・琴美さんだった。僕を『優梨ちゃん』と呼んだのだってわざとじゃない。空気を読まずに空気を変えた。この一点において、琴美さんに感謝している。懇切丁寧に夜遅くまで教えてくれたことは、優梨の要として脳裏に刻み込んである。

 僕は、何処に帰ればいいのだろうか──。

 失うものが大き過ぎて、肩が強張る。大きな石が両肩に乗っかっているようだ。首に違和感を覚えて左右に振ると、コキって音がした。さっき拭ったばかりの手のひらはじっとりと汗ばんで、異様なほどに喉が乾く。

 終わらせたくないなあ──。




「いろんなことがあったわね」

 僕の眉を読んだかのように天野さんが呟いた。

 本当に、いろいろなことがあって、いろいろなことが起きた。

 驚いたのは、天野さんの過激といっても遜色ない積極性だ。そこら辺にいる男子よりも度胸が据わっていると前から思っていたけれど、僕を振り向かせるためとはいえ、言葉通りに一肌脱ぐなんて──まあこれは忘れたほうがいい思い出だ。忘れられそうもないけど。

「いろいろありましたね」

 感慨深げに月ノ宮さんが言う。

 月ノ宮さんともいろいろあった。梅高を中退してアメリカに渡る話が出たり、天野さんの弟・奏翔君の件では敵対と見せかけて裏で暗躍していたり、この前は無茶な告白をしようとしたのを阻止した。

 普段こそ弱い部分を他人に見せたりしない月ノ宮さんが僕にだけ弱音を吐くのも、好敵手として認めてくれていたからだとばかり思っていたけれど、先よ発言で認識を改めた──天敵とも言われた気がするけど。

「普通に……いいや、普通じゃないことがいろいろあったな。マジで」

 佐竹が〈普通〉を撤回するなんて!

 帰り際にまた雪が降るかもしれない。

 佐竹のせいで幾度となく面倒事に巻き込まれた。そのおかげで、『あのさ』って言葉が若干トラウマになりつつある。実際、教室でだれかがだれかに「あのさー」と話し掛けるのを小耳しても、体がびくんと反応してしまうのだからよっぽどだ。

 然し、佐竹が遠慮なしに揉め事を持ってきたからこそ生まれた縁もある……あったっけ? 強いて言うなら宇治原君くらいだけど、縁と呼ぶほどの相手かと問われると自信がない。いまでも宇治原君は僕を嫌っているし、僕も苦手意識があるしで、僕と宇治原君の関係は夏のキャンプから主だった進展はない。

 おかしいなあ。中学時代の知り合い・柴田健とはそれなりに上手く付き合えるようになったのに、宇治原君が相手だと捻り潰してやりたくなってしまう。まあ、僕、捻り潰せるほど身長ないんですけどね。ヨホホホホ。

 こうして個々の記憶を辿ると、佐竹との思い出だけ碌なもんじゃない気がしてきたのだが、なんだかんだ言いながらも、僕は、佐竹を信頼している。

 ──いろいろ、あったんだな。

「優志君にはお世話になりっぱなしな気がして、どう恩返しすればいいのかわからないわ」

「私は報酬を用意していますが、報酬で賄えるものなど高が知れていますし──」

「俺たちは優志に感謝している。それを仇で返そうなんて思っちゃいないんだ。だから──それだけは安心してくれ」

「僕は……」

 僕は、佐竹、天野さん、月ノ宮さん、ここにいる三人を失うのがなによりも怖い。これから先、僕をこんなにも慕ってくれて、期待してくれて、存在を認めてくれる人が現れるとは思えない。

 でも、それは間違いだってわかってる。

 近くも遠い未来に、鶴賀優志をすきになってくれる人間がいる可能性もある。が人生の全てじゃないことなんてわかりきっている。それでも、この時間が全てではないと理解した上で、僕は現在が大切なのだ。


 

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品