【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四百六十七時限目 女装をしない女装


 この場でドレスを着るには『女装ができるか否か』が重要だ。

 それが妥協点でもあり、最低条件でもある。

 たけど、僕はそれらを持ってきていないし、月ノ宮さんだって『うっかり』忘れてきた。

 条件が揃わない以上は応と頭を縦に振れないけれども、空気は完全に『着ろ』の一色である。──可能性の話をすると。

 月ノ宮さんは『忘れるべくして忘れた』のではないか。と、そう思えてならない。

 もっと言うと、『忘れようとして見事に忘れてきた』のだろう。

 用意周到な月ノ宮さんがドレスを用意して、保管してある女装セットに手を伸ばさないのは、どう考えても不自然だ。

 天野さんは月ノ宮さんの行動を『うっかり』って言葉で片付けたが、学校にいく際に定期券を忘れるっことはあっても鞄を忘れることは絶対にないし、間違ってスニーカーを履いてしまうことはあっても裸足にサンダルを履いてしまうなんて『起こり得ない』と僕は思う。とはそういうレベルの凡ミスを指して言うものだ。

 月ノ宮さんのミスは『うっかり』の範疇から飛び抜けている。

 カップ焼きそばを食べる際、お湯を入れる前にソースを入れてしまったとはわけが違うのだ。──ただ。

 この予想が正しかったとして、月ノ宮さんは僕になにをさせたいのかがわからない。

 喩えば。

 鶴賀優志のままドレスを着せて、こっけいな姿をってやろう。

 みたいな性悪魂胆でこの計画を思いついたのであれば、ああなるほど、さすがは月ノ宮楓だと肯んずることもあるかもしれない。

 けれど、月ノ宮さんが僕にそこまでの悪意を向ける理由がない。

 好敵手だと言明しているが、それだって『よきライバル』の意味合いが強いはずで。

 それこそ僕の思い上がりだったとしたら、これはもうわかんねえな、である。

 ──だからなに?  

 僕を貶めようと思えば、いつでもそのタイミングはあったのだ。

 直近の話をすると、僕が渡したアロマキャンドルセットを受け取らず、「センスがまるでない」と辛辣な言葉を並べて突き返せばいいだけのこと。

 でも、そうはしなかった。

 隣に天野さんがいる手前、心象を悪くしたくなかったのかも──どうにもこうにも上手く答えを出せないな。

 僕の思い過ごしでなければ、なにかしらの意図があって女装セットを持ってこなかったのは確実で、そこに月ノ宮さんの狙いがあるのも事実で……。

 長考が続く。

 佐竹が「くわあ」と大口を開けて、退屈そうに欠伸をした。

 温められた室内に、心安らぐ紅茶の味。

 黙りを決め込む僕に痺れを切らせて眠くなるのは道理だろう──悪いなあとは思ってる。

「ちょっと、佐竹」

 咎めるように天野さんが言った。

 姉が弟を叱るときってこんな感じなんだろうな。なんて他人行儀に二人のやり取りを傍観していると、売り言葉に買い言葉でヒートアップした二人は、口論のように声を大にしていた。

「自然現象なんだから仕方ねだろ」

「それをいうなら生理現象よ、バカ」

 日曜日の日中に放送している討論番組さながらに、意見を言い終えないところで反論を重ねる二人。

 お笑い芸人から知事にまでのし上がり、「どげんかせんといかん」が流行語大賞にまでノミネートするほど人気を博した彼の役目は、果たして佐竹に務まるのだろうか。

「似たようなもんじゃねえか。マジで」

「全然違うわ。ガチで」

 駄目だこりゃ。

 佐竹には荷が重い役目だったようだ。

 そんな駄目駄目な佐竹とは違い、天野さんはショートボブに眼鏡を掛けた、『ラディカル・フェミニズム運動家』の女性タレントの役目をきちんと全うしている。

 さて。

 生理現象と訊くと、女性特有の現象のような言葉の響きがあるが、実際の意味は『生きるために必要な行動』である。

 喩えを上げると、ゲップ、オナラなどがそれに該当する。

 一方、自然現象というのは、『自然界における諸現象』や『人間の意志や働きかけとは無関係に自然の法則によって起こる事柄』って意味だ。

 つまり、生理現象と自然現象は似て非なるものではなく、全くの別物である。日本語って難しい。

「生理現象でも自然現象でもどっちでもいいけどよ──そろそろ答えを出したらどうなんだ、優志」

 急に論点を戻されて唖然としていると、天野さんが僕をちらと見て、それからレモンティーをぐいと飲み干した。

「優志君がどうしても着たくないっていうのなら、無理強いするのも可哀相ね」

「予め優志さんには伝えておくべきでした。申し訳御座いません」

 まるで僕が我儘を言っているみたいじゃないか。

 我儘なのか? いや、そんなことはないはず──多分。

 自信がなくなってきた。

 こうなったら自分のなかで妥協点を見出すしかないようだ。

 そうだ、一種のパフォーマンスと思えばいい。

 場を盛り上げるための余興に付き合うのは、これからの人生で幾度となく経験するだろう。

 いまから慣れておいても損はない、か。

「似合ってなくても笑ったりしないと誓ってくれるなら──まあ、着てあげなくもない、けど」

 と言ってみて、しまった、と思った。

 これではまさに──。

「ツンデレか」

 佐竹が笑う。

「ツンデレね」

 天野さんが同意するように頷くと、

「ツンデレですね」

 月ノ宮さんが悪ふざけに乗った。

「なんとでも言えばいいよ。もう」

 僕は月ノ宮さんから貰ったドレスを片腕に下げて立ち上がり、照史さんの元へ向かった。




 * * *




 照史さんに事情を話し、倉庫の一室を借りてドレスに着替える。

 月ノ宮さんから貰ったドレスは、じゃくの羽根を思わせる明るい青緑色をした長袖のパーティードレス。

 首元から両手、スカート部分の裾部分がシースルーになっていて、植物の蔓みたいな模様があしらわれている。

 袖口を広げるとラッパの口のようになっていて、なんともゴージャスな感じだ。

 パーティードレスは基本的に、スカートの丈が膝下まである物を指すらしい。

 以前、適当に捲っていたファッション雑誌の特集記事で、読んだ覚えがある。

 ──せめてブラとパットは欲しかったなあ。

 男子の胸部では折角の美しいドレスも映ないのではないだろうか。

 着ている服を脱いでバンツ一丁の姿になったとき、ボクサーパンツを選んで正解だったな、と思う。

 僕はトランクス派なのだが、女性のショーツを穿く際の締め付けに慣れるため、最近はボクサーパンツを選ぶようになった。

 そう考えると、女性は上と下で締め付けられて窮屈そうに感じるけれど、案外、あれはあれで機能美というか、たかが布ではあるものの、女性らしさを保つ重要なアイテムなのだ。

 ──いい値段するしな。

 ドレスはワンピースのような作りになっていて、着るのに苦労はしなかった。そういった細かいところも考慮してこのドレスを選んだのだろう。

 ──幾らしたんだ、このドレス。

 プレゼントの値段を訊くのはマナー違反だが、恐ろしくて訊く気にならない。

 こうして、鶴賀優志ドレスバージョンの完成である。

 完成とは言いたくないが。

 せめて化粧くらいはしたいのに、化粧道具もないのだ。

 どうしてきょうに限って簡単な道具も持ち合わせていないんだろうなあ。

 倉庫には全身を映す姿見がある。

 照史さんが購入したこの姿見は、自分の身嗜みを整えるために購入されたらしい。

 でも、センスが照史さんのものではない。どちらかというと月ノ宮いもうとさんのセンスだ。前まであった簡素な姿見は、物を取る際に倒して割ってしまったのだろうか。

 姿見に映る僕は、浮かない顔をしていた。

 こんなに綺麗なドレスなのに、中身が僕のままでは勿体ない気がして。

 腕を広げてその場で一回転してみるとスカート部分がふわりと広がって、捻れるようにしゅるりと花弁を閉じる。

 似合ってない。

 ちぐはぐな感じだ。

 小学生が背伸びをしてドレスを着させられているような違和感。──だれが小学生か。

 こんな姿を晒すなんて、罰ゲームにも程がある。それに、どんな顔をして倉庫を出ればいいのかわからない。

 優梨の顔をすればいいの?

 僕のままでいいの?

 そんなことを考えていると、倉庫のドアをだれかが叩いた。


 

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