【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四百六十五時限目 薄くて、苦くて、ぬるい


 佐竹と天野さんの会談はどうなったのだろうか。

 終業式の最中、それだけをずっと考えていた僕は、新生徒会長のたどたどしい司会進行も目に入らず、校長先生の長ったらしいスピーチさえも上の空だった。

 天野さんが流星を使って佐竹を監視していたという事実を流星本人の口から訊いた佐竹は、放課後に天野さんを呼び出して真相を語らせた……らしい。

 その日の夜に、『恋莉と話をつけた』、『もう大丈夫だ』ってメッセージが届いた。『どうなった?』と訊ね返してみたところ、五分ほど経過した後に、『俺と恋莉の問題だから』と言及を避けられてしまった。

 その翌日は二人ともいつも通りで、なにもなかったかのように談笑していた。

 佐竹の言う『もう大丈夫』は本当だったようだけど、蚊帳の外にされた僕としては納得できないでいる。

 二学期最後のホームルームが終わると僕はそそくさと立ち上がり、教室を出る前に流星の肩を叩いた。

 流星にはこれだけで僕の意図は伝わるはず。

 案の定、流星は僕の後を追うようにして教室から出てきた。

 非常階段を降りて、体育館裏口前にある自販機へ。硬貨を投入し、ホットのブラックコーヒーを二本買った。そのうちの一本を着いてきた流星に差し出す。

「コーヒーの気分じゃないけどな」

 文句を零しながらも受け取って、その場に腰を下ろした。

 拳二つ分の距離を取り、僕は流星の右隣に座る。

 学校全体がいつもより静かに感じるのは、それだけの人数が風邪で床に伏しているからだろう。運動部も今日だけは活動を控えるようだ。だから余計に閑散としている。

 渇いた風が吹き抜けて、体がぶるりと震えた。

「寒いな」

「そうだね」

「オレに訊きたいことがあって呼び出したんだろ」 

 早くしろとばかりに僕を睥睨した流星は、缶を二、三回振ってプルタブを開けた。カシュッ、と空気が抜ける耳心地いい音。乾杯、というわけにもいかないが。

「この前、天野さんに監視をしろって命令されたと言ってたけど」

「ああ、そう言った」

 事も無げに頷き、コーヒーを一口飲んで苦い顔をする。

 なんだか体調が優れなそうだなと思い、自分の首に巻いていたマフラーを外して流星に渡した。

「使っていいよ」

「要らねえよ」

 と一度は断ったものの、どうしてもという僕の態度に観念した。受け取ったマフラーに鼻を近づけて、すんすん、と臭いを嗅ぐ。失礼極まりないな。僕が女子だったらセクハラで訴える事案だ。

 近年、社会のコンプライアンスは厳しくなっているんだぞ。「髪切った?」って質問でさえセクハラになり得るのだ。

「これ、女の匂いがするぞ」

「それ、セクハラだからね」

 そう指摘された流星は、ばつが悪そうにしかめっ面をしながらマフラーを首に巻き、後ろで軽く結ぶ。

 男のマフラーから女の匂いがするというのも、なんだかいかがわしい話に訊こえてきそうだ。どれくらいかがわしいかというと、コンビニに置いてある悪い大人たちを描いた分厚い漫画の内容くらいのいかがわしさである。

 浮気を疑われる旦那さんの気持ちになって考えると気が気ではいられなくて、ついつい財布の中身を確認してから帰宅したくなるような。けれども、僕と流星の間には友情しかないので安心だ。友情もあるのかどうか疑わしいほど潔白とも言える。

 だからこそ、僕は流星の体調不良に対して探りを入れるような真似はしない。

 流星だってとやかく言われたくないだろうし、男だと主張し続ける彼にとって、自分の姓自認を否定するような自然現象を口にしたくはないだろう。

 ──コーヒーの気分じゃないけどな。

 この一言で察してやれていれば緑茶を選んでいたかもしれないが、そのときはそのときで、「緑茶の気分じゃない」と悪態を吐くのが雨地流星という人間の天邪鬼な面であり、らしさ、でもある。可愛げがないところが可愛いってのも変だけど。男に対して可愛いという表現が正しいのかどうかも疑問ではあるが……。

 コホン、咳払いをして、

「天野さんが命令したってのは、本当?」

「ノーコメントってのはなしか」

 質問には答えず、流星の顔をじいと覗き込んでやった。

 ねえ流星、この期に及んでコメントは控えるとか、謝罪会見の場でマスコミの鋭い質問から逃げる政治家みたいなことは言わないでよね? と言わんばかりに。

「わかったわかった、答えてやる。指示を出したのは月ノ宮だ」

 僕は首を捻りながら、

「天野さんの指示っていうのは嘘だったの?」

「それも含めて月ノ宮の計算だったんだろうな。どういう意図があってそう仕向けたのかまではオレの預かり知るところじゃない」

「丸くなったね、流星」

「お前もな」

 知り合った当初は牙を剥き出しにしている狐のような男だと思っていたが、アルバイトを通じて大人の世界を知った流星に、あの頃の刺々しさは感じない。──口が悪いのは相変わらずだけど。

「流星は月ノ宮さんの企みは知ってるの?」

「なにも知らずに協力するほどお人好しに見えるのか」

 見えないな。

 見えないけど、仕事以外でだれかの指示に従う流星も妙だ。

「口封じされてる、とか?」

「そんなところだ」

 こうなった流星は一筋縄ではいかない。

「ま、どうせ見当はついてるだろ」

 吐き捨てるように言う流星に、

「さあどうだろうね」

 強がってはみたが、月ノ宮さんがこの盤面をどう見ているかなんて理解できるはずもない。ただ、月ノ宮さんもきっと、僕らの関係を壊したくないんだと勝手に思っている。

 コーヒーをちびりと飲んだ。

 薄くて、苦くて、ぬるい──まるで青春そのものじゃないか。

 なんて、少々格好つけ過ぎだな。


 

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