【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四百五十六時限目 損得感情
「呼び出された理由について、心当たりはありますか」
本題に入る前にアイスコーヒーを飲み終えなくてよかった。話題が話題なだけに、乾いてしまった唇では巧く喋れそうもない。ジョッキの持ち手部分をぎゅっと握り締めて、勢いのまま呷った。
どん、とジョッキをテーブルに置き、思い当たる記憶を呼び起こす。数ヶ月前の出来事を振り返るのに、そう時間は要さない。ファンタジーパークで、俺がトイレにいっている間に起きたこと。太陽が提案した理不尽な勝負。頭脳戦は性に合わなかったが、どうにかなった。そして、太陽は舞台から降りた。
「あの日のことだろ」
俺は答える。すると、太陽は徐に小鉢から一粒入りの枝豆を一莢取り出してテーブルの上に置いた。──どうする気だ? 訝りつつも、俺はテーブルの上に置かれた枝豆を凝視する。
太陽は枝豆の角を、左手の人差し指で弾いた。弾かれた枝豆はコマのようにぐるぐると回転しながらテーブルの表面を一直線に滑り、俺の手元でぴたりと留まった。
「食い物で遊ぶなよ」
「すみません。では、二粒入りと交換ということでどうでしょう?」
言われた通り、二粒入りの枝豆を太陽の小鉢に入れてやる。
このやり取りになんの意味があるのだろうか。太陽は意味のないことをするようなヤツじゃない──と、俺は裏を読んでやろうと思案してみたのだが、単なる枝豆の交換に深い意味があるとは思えず、太陽から受け取った枝豆を食べた。塩加減がいい、味の濃い良質な枝豆だ。もしこの枝豆が冷凍だったとしたら、帰り際にどこのスーパーマーケットの物か訊きたいくらいだ。まあ、あの強面店主に話しかけようなんて思わないけど。
「いまの交換をどう思いましたか? 佐竹先輩」
太陽は俺が小鉢に入れた二粒入りの枝豆を取り出して、顔の前まで持ち上げる。視線は俺に向いているのか、それとも枝豆に向かっているのか、その判断はつかない。ただ、俺が渡した枝豆を食べる気がないってことだけはたしかだ。
「どうって別に、どうとも思わねえけど」
「ぼくはですね、佐竹先輩。逆の立場だったら抗議します」
そんなに枝豆がすきなのであれば俺の残りも全部くれてやってもいいのだが、そういう話をしているわけではない気がする。もっと抽象的で、わかり難い系だ。苦手だな、そういった話題は。考えるよりもわかる人間に訊いたほうが早いと思ってしまう。喩えそれが狡い行為だとしても、うじうじと悩むよりは百倍いい。
「佐竹先輩は一粒分損しているんですよ? いいんですか?」
「枝豆にそこまで執着しないからなあ、普通に」
「嘘はよくないなあ。よくないですよ、佐竹先輩」
嘘? と繰り返し訊ねる俺に、太陽は「ええ、嘘です」と嘲笑する。
「自分が損をするのにそれで構わないなんて、嘘以外になんだと言うのですか。自己犠牲? それとも譲り合いの心? 日本人特有のおもてなしの精神ですか? 侘び寂びの利いた感性に、感涙が零れてしまいそうですよ」
おろろろ、と泣き真似をする。
「お前、さっきからなにを言いたいのかわからねえぞ」
「嫌だなあ、佐竹先輩。ぼくは、はっきりと、明確に、然もありなんとお伝えしているのですが」
「まどろっこしいのは抜きにしてくれ、マジで」
では、と居住まいを正した太陽は、顔の前に持ち上げていた枝豆を半分に引き千切った。千切った片方の枝豆を食べて、残った殻を俺の前にすっと差し出す。
「さすがに殻は要らねえよ」
「そうですか? これでも満足して頂けると思ったんですけどねえ」
「要件をはっきり言え。じゃなきゃ伝わってこねえよ」
「……これだから単細胞馬鹿は嫌いなんだ」
声が小さくて俺の耳には届かなかったが、馬鹿にされたってことだけはなんとなく察した。
「いいですか、佐竹先輩。世は常に不利なんです。理不尽だって襲いかかってきます。そのとき、声を大にして反論できるかできないかで、人生は大きく左右される。相手に嫌われるとか考えていたら、永遠に他人の下の世話をさせられるんですよ」
後輩に人生を諭される先輩がいるって噂が流れたとすれば、多分、俺のことで間違いない。この店が不人気でよかった。ダンデライオンだったら恥ずかし過ぎて、照史さんと顔を合わせられねえ。
とはいえ、梅高でこんな噂が広まったって、人の噂も一一五日って言うしな。あれ? 日数増えてね? もっと短かった気がするんだけどなあ。四十九日くらいだったような──ま、いいか。
「譲るという行為が悪いとは言いませんけど、譲られた側がそれを喜ぶとは限らないんです。譬えば、サッカーの試合でライバルチームに敗北したとします。然し、相手チームのキャプテンから、〝この勝負はお前らの勝ちでいいよ〟と勝利を譲られて、心から喜べると思いますか?」
そのシチュエーションを想像してみる。スコアは3ー0、どう見繕っても実力不足で、褒められた試合内容ではなかった。悔しさすらも感じないほどの圧倒的な力の差を前にして、無気力にスコアを見つめる俺。あのとき俺がゴールを決めていれば、流れ掴めていれば、パス回しが悪かったのか、前半に攻めきれないまま後半戦を迎えたのがまずかったのか。
放心している俺に相手チームのキャプテンが勝ち誇った表情で、「お前ら頑張ってたし、この勝負はお前らの勝ちでいいぞ?」と嘲笑う。──そんな勝利は望まない。
「佐竹先輩がやってることって、それとほぼ同じじゃないですか」
違う──。
「形はどうであれ、だれかに勝利を譲ろうとしている」
違う──。
「佐竹先輩のライバルは、天野先輩でしたっけ? どれだけ鶴賀先輩にアピールしても、男である自分は選ばれない。心のどこかでそう思っているんでしょ」
それは──たしかにそうかもしれない。
「ぼくとの勝負だって勝利したにも拘らず、鶴賀先輩を自分のモノにしようとはしなかった。だからしこうして、再びぼくに主導権を握られている。──違いませんよねえ? 佐竹先輩」
言葉が出なかった。喉が渇く。水分を欲してジョッキを見遣ったが既に空の状態で、水ももうない。タイミングが悪いな。
「悪い、ちょっと追加を頼んで──」
太陽の横を通る瞬間、シャツの裾を掴まれる。
「ああそれなら、どうぞぼくの水を飲んでもいいですよ?」
「温くなった水なんて要らねえよ」
太陽の手を振り解き、券売機に向かう。その後ろで、太陽がなにか言った気がしたけど、俺は訊こえなかった振りをした。どうせ嫌味か皮肉に決まってる。
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