【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四百三十四時限目 痛みの名前


 静かだった教室も、九時を過ぎれば大分賑やかになった。騒がしさの大半は佐竹軍団の仕業で、次に月ノ宮ファンクラブの面々。天野さんのところで騒いでいるのは、関根さんのみか。

 関根さん一人で一〇人分の騒がしさと考えると、コスパがいいのか悪いのか、もうわからないな。

 僕はその様子を遠くから観察していた。

 毎日顔を合わせるのに、話題が尽きることのない彼らのコミュニケーション能力には目を見張るものがあるけれど、これだって、何処からか仕入れた情報を開示しているだけなのだ。

 では、どうして楽しげな雑談になってるのかというと、それぞれが役割を果たしているからに他ならない。話す人がいて、訊く人がいて、ほどよくツッコミする人がいて、茶化す人がいる。

 だからなのだろう。仲よしグループの一人が欠席すると、歯車を失ったように、グループが本来の機能をしなくなる。一つでも歯車が無くなれば、時計の針は動かない。

 僕は村田君たちに目を向けた。

 村田のぼる、元沼かい、杉田りくの三人組は、この前まで宇治原君を貶めようと動いていた。まあ、それを裏で操っていたのは犬飼太陽なのだが。

 村田君は三日前くらいに風邪を引き、欠席を続けているせいで、元沼君と杉田君は、どこか微妙な空気になっていた。

 退屈そうにギブソンのSGをシャランと鳴らした元沼君と、楽器のことなんてからっきしだって欠伸をした杉田君。ここに村田君がいれば、「あの曲弾いてくれよ」と会話が発生し、杉田君がそれに乗っかるのだろう。

 でも、杉田君の音楽の知識は浅い様子だ。浅いというよりも、ないと言ったほうが正しいかもな。苦し紛れに口から出たのは、「それ、なんてコード?」だった。元沼君が「Amエーマイナー」とだけ答えて、再び会話は途絶えた。

 各々が仲よしグループと思い思いの交流をしている最中、グループ内にいても会話に参加しないヤツもいる。雨地流星、である。

 一応、佐竹軍団に属しているのだが、流星は好んで会話に参加することはない。んだ表情で黒板の上あたりを見つめたまま、時折、「アマっち」と呼ばれて、「そのあだ名で呼ぶな殺すぞ」と返すだけだ。僕も大概だけど、流星も相当に拗らせている。

 教室にいる彼らは、どうして学校にくるのだろうか、なんて漠然とした疑問を浮かべた。学友と喋りたいだけならば、携帯端末ですればいいのだし、わざわざ学校に通う必要はない。

 では、勉強をしにきているのか? と問われると、それも違う気がした。勉強をしに学校にきている生徒なんて、そう多くはないと僕は思っている。なかには真面目に授業を受けている人もいるけど、比率にすれば少数派だ。

 高校は義務教育の範囲ではないのに、どうして高校に進学したのだろうか。

 大学に進学するため?

 履歴書を書く際に、少しでも学歴欄を埋めるため?

 高校に進学しないと恥ずかしいから、という理由は、さすがに攻め過ぎた考えか。

 そんなつまらないことを延々と考えていたら、午前の授業はあっという間に終わっていた。




 * * *




 雨が降っていた。降水確率三〇パーセントにしては会心の的中率じゃあないか、と心のなかで皮肉を言う。しかも、割と激しい。校舎を打つ雨音が、テレビの砂嵐みたいだ。グラウンドを使う運動部も、これでは活動ができない。

 いつにも増して人が多い教室で昼食にしなければいけないのか。うんざりしながら鞄を開いて、あるはずの物がないことに気がついた。

「お弁当、忘れた……」

 ──これが鶴賀優志の朝のルーティンである。

 と、得意げに語っている場合じゃなかったことに、今更になって気がついた僕が、この教室にいる。

 エビチリを食べ損ねたショックで自我を失いかけていると、

「お弁当、食べないの?」

 傍を通りかかった天野さんが足を留めて、トドメの一撃を浴びせてきた。いや、本人は確認を取っただけに過ぎないのだが、悪意のない悪意というのはどうにも防ぎようがない。

「もしかして、お弁当を持ってくるのを忘れたとか?」

 傷口に塩を塗られて、僕のライフポイントはゼロだよ! 心の叫び。

「さすがはワトソン君だね……」

「もう、泉の真似はやめてよ」

 鬱陶しそうな手をして、鬱陶しそうな顔をした。おそらく、僕以外にも『ワトソン』呼びで揶揄われているのだろう。流星に対して「アマっち」と呼ぶ反応に近しい。さすがに天野さんは「殺すぞ」とは言わないが、目が笑っていなかった。怖い。超怖い。

 残機を失いたくないのであれば、「ワトソン」絡みは金輪際しないほうが身のためだ。

「実は私もお弁当を忘れてきちゃって……あ、もしよかったら一緒に食堂いかない?」

「いいけど、関根さんたちは放っておいていいの?」

「あー、えっと……」

 妙に辿々しい態度で言う天野さんを不審に思い、僕は関根さんを目視した。すると、目が合うなり親指を立てられた。あれは、「上手くやれよ、兄弟!」とか思ってる目だ。それ、僕じゃなくて天野さんにするべきじゃないの?

「そういうことね。──わかった。いこっか」




 教室を出て、特に会話もなく廊下を進む。

 隣を歩く天野さん視線がやけに気になって、堪らず声をかけた。

「なんだか落ち着かないね?」

「そ、そうかしら?」

「もしかしてだけど、佐竹たちとファンタジーパークにいったのを気にしてたりする?」

「そんなことないけど。──ううん、ちょっとだけ気にしてる、かも」

 仲間はずれにしたわけじゃないとはいえ、配慮に欠ける行動ではあった、と自覚はしている。然し、あの場に天野さんや月ノ宮さんがいれば、もっと話が拗れていたというか、ややこしくなっていたようにも思う。

「あ、でも。お土産のクッキー、美味しかったわよ」

 魔法属性型クッキーだっけ? と笑う天野さん。

 火属性がイチゴ味、水属性はホワイトチョコ。土属性がココアで、風属性がアーモンドチップだったはずだ。なぜ風属性がアーモンドチップなのかは、大人の都合ってやつだろう。言ってしまえば、風に見合ったフレーバーが存在しなかったとも受け取れる。水属性がホワイトチョコの時点で、お察しの通りだ。

「犬飼先輩の弟から連絡はないの?」

「一度もないよ」

 だからこそ、返って不気味なのだが。

「なんだか不気味ね」

 僕の眉を読むように、天野さんが呟いた。

「警戒するに越したことはないし、なるべくだれかと行動したほうがいいんじゃないかしら」

「その〝だれか〟がいればいいんだけどね」

「私でよければ、そ──」

「あ、食堂が見えたよ。天野さんはなににするの?」

 天野さんの言を待たずに、わざと遮った。

 その言葉を、いま訊くわけにはいかないと思った。

 天野さんは戸惑いながら顎に手を当てて、

「う、うん。そば、にしよう、かな」

「そばがすきなの?」

 白々しくも、訊ねる。

「ううん。そば、がいいの」

 困ったように笑う天野さんの瞳を見て、心臓が苦しい。いや、心臓というよりも、胸と胸の中心部分にずきずきと疼痛が走った。この痛みの正体は、わかっている。──だけど。

 その痛みに名前を付けるには、時期尚早だ。


 

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