【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四百三十三時限目 なにもない朝


 だれもいない教室に足を踏み込む瞬間は、隔離された世界に進入する気分になる。うきうきやわくわくといったような高揚感ではなく、道場や体育館にある空気感。神聖な場所なんてことごとしく表現するほどでもないが、ちょっとくらいは身が締まる思いだ。それも、自分の席に座わってしまえば、直ぐに消えてしまうのだけれど。

 ぼんやりと窓の外を見つめた。春には満開になる桜の木も、いまは寒々しい枝を見せるばかり。緑が濃い遠方の山々の正体は、杉の木である。紅葉が見れるのは、後者の裏側にある山だ。とはいえ、もう紅葉のシーズンは終わってしまった。

 窓の外を見るのをやめて、教室全体を見渡す。月ノ宮さんの席、天野さんの席と見て、最後に僕の席の前、佐竹の席に目を留めた。

 そろそろ答えを出さなければいけないと、あの日、佐竹に抱き締められて思った。だけど、僕が選ぶなんて烏滸がましくないだろうか。どちらかと付き合う、という実感も未だにない僕が、どちらかを選ぶなんて失礼極まりないんじゃないか、とも。

 答えを出すと約束した日から随分と待ってもらっている。決断しなくちゃいけない。二人のことも、自分自身についても。

 僕は、女性として生きることを望んでいるわけじゃないんだと思う。でも、男性としていきるのは窮屈だって感じる。どうして〈男〉か〈女〉かを決めなければいけないのか。仮にそれが正しいとして、どうして幼少期の頃から教えないのだろうか。

 子どもにはまだ早い、と勝手に大人が決めつけて、鬱陶しい問題を先送りにしているだけだ、と僕は思えてならない。恋愛だってそうだ。昨今では昔よりも同性の恋愛に寛容だとはいっても、差別と嫌悪は根強く残っている。

 この問題を僕がどうにかできるなんて思い上がりはしないけれども、恋愛なんて形のない物を型に嵌め込むのは、それこそエゴなんじゃないかって──。

 だけど、均衡を守りたいという気持ちもわからなくはない。同性の恋愛に厳しい目を向ける人たちが悪ではないのだ。受け入れる必要もないと思う。ただ、「そういう価値観もあるよね」と、そっとしておけないのはどうしてか。

 同性の恋愛と訊いただけで目くじらを立て、「お前たちは間違っている」と糾弾する人も多い。男性が女性の格好をしただけで、「病気だ」と決めつける人もいるだろう。

 自分が受け入れられない〈事実〉を否定して、我こそが正しいと主張するその心こそ病気だ。でも、「お前こそ病気だ」って反論してしまえば、同じ土俵に立つことにもなる。声が大きいほうが正しいと判断するのは、本質から目を背けているだけで、解決には至らないわけだが、だとして、正論にどこまでの価値があるだろう。

 自分が相手の立場だったらと考えられる人が減っているのも仕方がないのだろう。そういう時代だって割り切るしかない。

「で、結局なにが言いたいんだ。僕は」

 ──恋愛って、面倒なことばっかりだ。

 これに尽きる。


  

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