【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四百三十時限目 聖剣を引き抜く者
佐竹君が手を置いていた肩部分を一瞥し、わざとらしく埃を落とすように払った。
水龍降臨祭は、熱狂と、舞台装置から吹き出す霧で満ち溢れ、観客と演者の興奮は最高潮を迎えているけれど、私たちだけはどこか部外者めいていた。
太陽君はほくそ笑み、佐竹君は眼前に立つ仇敵を睨みつける。
交差する視線が、ばちばち、と火花を散らすように見えた。
「場所を変えましょうか」
それとも、と続ける。
「舞台を見てからでもいいですよ?」
嘲笑を浮かべる太陽君に、
「別に、興味ねえよ」
と、眉根すら動かさずに吐き捨てた。
滅多に怒らない佐竹君が、ここまで怒りを露にするのも珍しい。
ヒントなしの時間制限付きかくれんぼ自体、クリアを前提にしたルールではなかったはずだ。
しかも、プレイヤーは佐竹君である。
絶対に見つからない、と高みの見物を決め込んでいたのだろう。
見縊っていた相手に敗北を喫した太陽君は、内心穏やかでいられるはずがない。
作り笑顔を維持するのが精一杯、という印象を受けた。
水龍降臨祭に熱中している観客の集合体から抜け出した私たちは、どこで話し合おうかという話になり、舞台は終わりの地、ラストダンジョン前でとなった。
禍々しい半球体を背後にして、三角形を作る。
奇しくも、あのときの昼休みと同じ構図である。
太陽は地平線に沈み、いつ夜が訪れてもおかしくない緋色の空が不安を掻き立てる。
どうなってしまうのだろう、まさか殴り合いの喧嘩をしないだろうか?
気を揉む私を安心させるかのように、佐竹君が私をちらと見て微笑む。
然し、私が瞬きすると、佐竹君の表情は真剣そのものになっていた。
「俺に送ったメッセージを覚えているよな?」
取り出した携帯端末の画面を、太陽君に突きつける。
私の位置では表示される画面は見えなかった。でも、なにを見せつけているのかは想像に容易い。
突きつけられた携帯端末の画面を忌々しげに見つめて、フン、と鼻で笑う太陽君。
「佐竹先輩が勝ったら、ぼくは優梨先輩を諦める。──ですね」
ああ、と佐竹君は頷く。
「今更になって〝冗談でした〟は通じないぞ、ガチで」
「皆まで言わずともわかっています」
──じゃあ。
──ですが。
被せるようにして、
「ぼくはまだ、佐竹先輩の本気を量りきれていません」
「どういうことだよ」
佐竹君は、眉根を寄せる。
「本当に鶴賀先輩をすきなのか、ということです」
「すきに決まってるだろ」
間髪入れずに言い切ったが、太陽君は納得していない様子。
「その言葉が真実なら、どうして鶴賀先輩とクラスでも行動を共にしないのでしょう。──矛盾していますよね」
「こっちにも事情ってもんが──」
「訊きましょう。どんな事情ですか?」
ここにきて、太陽君と佐竹君の立場が逆転した。
追われる側から追う側になった太陽君は平静を取り戻し、余裕すら感じ取れる。
一方で、追われる側になった佐竹君の表情は、かなり苦しそうだ。
議論の優位は、質問をする側にある。
受ける側は、いつだって受け身だ。
転じて攻めるにも質問の意図を探り、掻い潜る必要がある。
最初の段階で佐竹君の勝利は確定していたのに、守りに入るからこうなるんだ。
「事情があるんでしょう? ほら、話してくださいよ。佐竹先輩」
「……俺は」
「はい時間切れ。とっても素晴らしい事情でしたね、脱帽です」
口を開いた佐竹君を阻み、嫌味ったらしく演技ぶった態度で頭を下げた。
「まだなにも言ってねえぞ!?」
「理由があるなら考える必要ないでしょ、馬鹿なの?」
抗議した佐竹君に、害虫を見るような目を向ける。
「行動を共にしない〝事情〟、すきなのに手を出さない〝事情〟、事情、事情、事情……くだらないです、佐竹先輩。それとも、これが佐竹先輩の言う〝本気〟ですか? 薄っぺらいですねー」
じりと歩み寄り、胸ぐらを掴む。
そして。
「──恋愛舐めるなよ、ガチで」
突き飛ばすように手を離し、取り出したハンカチで手を拭った。
脳が追いつかないのか目をまん丸にして、よろめいたままの姿で立ち尽くす佐竹君を見て、私も身動きが取れないでいた。
本気、が伝わってきたからだ。
「勘違いしているようなので、お伝えしておきますよ」
固まってしまった佐竹君を、きと睨みつける。
「佐竹先輩が言う〝ガチ〟は、上部だけだ。本気で相手をすきになったら、しのごの言わずに奪えよ」
「そ……それは」
「奪ったあとで自分を受け入れてもらえばいい。そういう努力をすればいい。どうしてそんな簡単なことにも気がつかないんですか? 相手の気持ちを尊重してとか言いますけど、相手がどう考えてるのかわかるんですか?」
太陽君は、止まらない。
佐竹君の握った拳が震えていた。
「であれば、自分が示すべきなんです。少食系男子だから恋愛には奥手です? 気まづくなるのが嫌で告白したくない? まあまあ、いろいろと御大層な〝事情〟があるのでしょう。否定はしませんよ。無論、肯定もしませんが。でも、それを他人に強要するな、とぼくは思いますけどねえ」
はあ、と大きく深呼吸をし、呼吸を整える太陽君。
感情的になればなるほど、議論では不利になっていく。でも、太陽君の主張を覆すだけの材料が、ない。
正論を口にするほうが正しい、と人間は信じ込む。正論をぶつけられて苦しい表情を見せ、押し黙った相手は一方的に蹂躙されるのみだ。
佐竹君は悔しそうに歯を食いしばるだけで、反論は出てこない。
見せてほしかった。
喩えそれが上っ面だけの虚勢であっても、立ち向かってほしい、と私は願った。
閉口したままでは敗北を認めたも同然だ、と。
沈黙ほど多くを語る。
どうにか言葉を捻出して。
悪足掻きでもいい。
格好悪いのは専売特許でしょう──。
景品は贈り物としての意味を全うしなければならない。それこそ、口出しすれば勝負に水を差すことにもなる。
あくまでも二人の一騎討ちなのだ。私だったらこう反論する、なんて考えるても、口にする権利を持っていない。
願わくば、聖剣を引き抜く勇者は佐竹君であれ、と祈るのみだった。
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