【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
四百十一時限目 ある日見た景色
僕は宇治原という男が嫌いだ。つり上がった目つきも、ツンツンした短髪も、本気を出せば人気になれると思い上がっている態度も、僕よりも頭一つ分背が高いのも気に食わないし、なにかと僕を意識しているような立ち回りも気に入らない。食べ物の好き嫌いが激しいところだってそうだ。嫌いなところを羅列すればきりがない。
佐竹は宇治原君を助けたいと言う。僕に助言を求めるのは見当違いというものだが、クラスでの地位を失いつつある宇治原君をどうこうしてやろうと考えるひとは、どう見繕っても僕、月ノ宮さん、天野さんくらいなものだ。
どうして佐竹は月ノ宮さんに相談しなかったのだろう。月ノ宮さんはクラスカーストの上位に君臨する、アイドル的な存在だ。頭脳明晰で、発言力もある。「宇治原さんを無視するような行動をしてはいけません」と声を大にして言えば、鶴の一声のようにだれもが首を縦に振るに違いない。──滑稽な話ではあるが。
天野さんではどうだろう。女子たちから信用を勝ち得ている天野さんの発言であれば、全員とは言えないが賛同する者も多い。現状をどうにかしたいと思うと、天野さんに相談したほうが優位に事を運べそうなものなのに。
選ばれたのは僕でした、と思った。クラスで発言権のない僕が宇治原君の現状を打破するために動く? おいおい、そりゃなんて映画だ。B級映画でももっとマシな脚本を書くぞ。
無言の状態が続いていた。〈いつもの席〉に座っている文芸部風の連中は、品評会に入ったようだ。自分が読んでいた本について、なにがよくてなにがだめだったか、自分はどう思ったのかを時計回りに発表していく。〈宗玄膳譲〉の名前が出てきたときはちょっと驚いて、眉が動いてしまった。知る人ぞ知る、というやつか。ハロルド・アンダーソンの名前はついに出てこなかった。どんなに面白い小説を書いたとしても、だれかの目に留まらなれば意味がないとすると──。
それは、存在していないこと、と同義になるのではないか。いてもいなくてもいい。あったら便利だけどなくても事足りる。そういう存在だと世間から知らしめられてしまったとき、〈生きている〉と胸を張っていえるのかどうか僕には自信がない。希有にして存在意義を確保できたとしてもそれはただの紛い物で、泥濘みに足を取られたみたいにどんどん沈んでいくばかりだとしたら。──だれかに手を差し伸べてほしいと願うのは当然だ。
だけど、僕は佐竹にひとつ確認しておきたいことがあった。
「宇治原君はそれを望んでいるのかな」
「それって?」
「僕に助力されることを、彼が望むとは思えないんだよね」
宇治原君も、僕を相当に嫌っているはずだ。
恨まれている、という自覚すらある。
「……そんなことねえさ」
「どうして?」
「たしかにアイツはバカで、その場の空気を読めないときも多々あるけど、底なしに悪いヤツでもない」
──そう思いたいのはわかるけど。
「それにアイツはクラス全員に頭を下げて謝罪しただろ? 優志のことだって、そりゃあまあいろいろあるだろうけど、大なり小なり興味を持ってると思うぜ。ガチで」
身内に甘いんだよな、佐竹は。
「だとしても僕は、宇治原君と仲よくする気にはなれないかな」
「ほんっとうにそういうとこあるよな、お前」
と、佐竹は呆れ混じりで言う。
どうとでも言え。
「とはいえ、なにかプランはあるの?」
そこなんだよなあ、と大きな溜息を吐いて、
「なんかねえか?」
まさかのまさか、自分から言い出して他力本願とは。
二の句が継げない。
「そんなに嫌そうな顔すんなよ……」
「嫌そうな顔じゃなくて、いや、なんだよ」
月ノ宮さんの件が片付いたと思ったら、今度はこれか。──憂鬱だ。
「我がクラスのリーダー的存在である佐竹が根回しすればいいだけの話じゃないの? 一人一人に宇治原君をどう思うかアンケートを取って、その結果を宇治原君に叩きつければ済むんじゃない?」
言うと、佐竹はどん引きするように顔を痙攣らせていた。
「容赦ねえな……そんなことをしたら二度と学校にこれなくなるだろ」
「そう?」
「じゃあ、お前が宇治原の立場だったらどうするよ」
「二度と学校にいかないかな」
「こさせない気満々じゃねえか!?」
高校は義務教育じゃないし、大学進学を希望するなら高校卒業証明書を手に入れる方法だってある。そもそも〈逃げる〉という選択肢がないのがおかしいんだ。ゲームの主人公にだって〈にげる〉というコマンドが用意されているし、確実に逃走できるスキルだってあるだろう? まあそのスキルを使うとお金が少しばかり減るけれど、全滅してセーブポイントからやり直すよりはマシだ。
然し、人生においてセーブポイントはない。死んでしまったらチェックポイントで復活とはいかないのだ。それなのにどうして〈たたかう〉コマンドしか許されない風潮なの? 〈どうぐ〉だって許可を取らなければ使用できないし、瀕死になりかけないと交代もできないクソシステムだぞ。逃げることが全て正しいとは言わないが、死ぬほど苦しい痛みを我慢して過ごすよりも逃げた先で再起したほうが利口だろう。
「それもひとつの道だって言いたいだけだよ」
「まあ一理あるけどよ。俺はそういう方法を取りたくねえな。やっぱり最後は全員笑って卒業してえし。マジで」
円満に、ね。夢物語じゃあるまいしとは思うが、夢すら語れない世界なんてそれこそ終わっている。救いようがない。
「協力はするよ。──できる限りではあるけど」
「そうこなくっちゃな。それでこそ優志だ!」
そういって佐竹はアイスココアが入っているグラスを、僕のグラスにこつんと当ててぐいっと飲み干した。
「照史さーん! 替え玉頼んます!」
「うちはラーメン屋じゃないんだけどねえ……」
と、生硬な笑みでグラスを受け取る照史さん。
ふと視線を〈いつもの席〉に向けると、文芸部風の一団はいなくなっていた。僕と佐竹の声が煩わしかったのかもしれない。
──あれ?
手前の椅子の奥、壁に立てかけるように置いてある本を見つけた。どうやら忘れ物らしい。──仕方がないな。
いつも天野さんが座っているその席に置きっ放しにされた本を手に取った。通常の新装版よりも重たくて分厚い。ざらとした装丁が妙に手に馴染むその本の著者は、ハロルド・アンダーソン。タイトルは金字でこう書かれていた。
『The scenery I saw one day』
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