【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百九十八時限目 八戸望は友情と愛情を問う
「おや、優志君じゃないか。奇遇だね。元気だったかい?」
「昨日の今日で元気もなにもありませんよ」
「いつもながらつれないなあ」
改札を抜けた先の待合室的な空間で、座布団を敷いた畳のベンチに足を組み座っていたのは、八戸望。一学年上の先輩で、たまの日にこうして駅で出会ったりする。そういう日に限って面倒なことに巻き込む気満々だが、いつも適当にあしらってやり過ごしてきた。
八戸先輩の左手には檜皮色のカバーをつけた文庫本が、左手の親指を栞代わりにした状態で閉じられている。中身がちょっと気になった僕の心情を察したのか、野良猫を招き寄せるような手つきで隣に誘う。不承不承ながら拳一〇個分の距離を開けて座ると、「やれやれ」みたいな顔をして肩を竦めた。
「なにを読んでいるんですか?」
左手の親指と人指し指で挟んだ本を持ち上げて、
「これはね、本というものさ」
「はあ」としか言えない。
小学校に通っていた頃だったか、それとももっと幼い頃の記憶だかは曖昧だけれど、「なに食べてるの?」って質問に対して「食べ物!」と返す悪ふざけが流行った時期があった。
とても幼稚な受け答えをまさかこの歳でするとは、呆れて物も言えない。だがこれでも先輩である。なんならまだぎりぎり生徒会の一員でもあった。──本物がここにある。
「ところで、なにか用ですか? 僕が到着するのを待っていたんですよね?」
「特に用ということもないんだけど、最近はどうかな? と思ってさ」
「学業の話でしたら特に問題ないですが」
「わかったわかった」
足を組み直して、
「容量を得ない質問をした自分が悪い。──恋愛についてを訊ねたかったんだ」
あまり触れて欲しくない話題に、つい眉が八の字になる。
「そっちこそどうなんですか? 夏休み明けてじゃらというもの、犬飼先輩とあまり登校していないように思いますが」
質問に質問で返すのは礼儀として〇点だが、進展がない以上は語れる話もないわけで。
「大人には大人の事情があるのさ」
フッ、と前髪を下から上に撫で付けたキザっぽい演技をした。いまどきそんな行動をするのは、日曜日の十八時から始まる国民的アニメに登場するお坊ちゃんキャラくらいなものだ。
皮肉のひとつでも吐いてやろう。という気分になった僕は、呆れ混じりに、
「夏休みに大人の階段を登ったということですかそうですか」
言うと、八戸先輩には心当たりがあった様子で、恥ずかしそうに頬を赤らめて視線を外した。頼むからなにか言ってほしい。冗談だったのが洒落では済まない雰囲気になってしまったじゃないか。
「まあその……犬飼は、可愛いかったな」
「そ、そうですか」
ええい生々しい!
耳を塞ぎたい限りだ。
咳払いして、
「それを伝えたくてイチバスをスルーしたわけではないですよね?」
「話させたのは鶴賀君じゃないか。──まあいい」
八戸先輩は腰を持ち上げて、拳三つ分くらい距離を縮めて座り直した。
「鶴賀君は、友情と愛情の違いはなんだと思う?」
唐突な質問に、ぽかんとなってしまった。
友情と愛情が、なんだって?
「違いだよ」
強調するように、八戸先輩は言う。
「似て非なるものだとは思いますが、そう質問されるとその区別は難しいですね」
嫉妬したり、喧嘩したりは同じだが、友情と愛情は同等である、と定義付けするのは違う。では、佐竹に金魚の糞よろしくにくっ付いている宇治原君が、佐竹に対して愛情を持って接しているか? というと、そうではない。宇治原君には宇治原君の好きなひとがいて、佐竹には佐竹の──。
「鶴賀君は友情と愛情の線引きが曖昧なんだね」
「そう言われるとそんな気がします」
友だちらしい友だちができたのも、ここ数年のことだ。それを認めることができたのだって、遠い昔の話ではない。忙しく流れる日々を生活していくうちに、自然と〈友人〉を意識できるようにはなったけれど、〈愛情〉についての知識は人並み以下の僕である。そんな僕が愛情を語るのは片腹痛い気がして、上手く言葉を繋げなかった。
「わからないことをわからないままにするのは罪だ。──そうだ」
パチン、と右手の指を鳴らした八戸先輩は、なにかを悪いことを企てているような含みのある笑みを称えていた。
「なんですか?」
嫌な予感がする。
この流れは絶対に面倒ごとを押し付けられるやつだ、と僕は確信した。
「佐竹君たちに訊いてみるといい。あ、でも天野君や月ノ宮君といった女性陣には訊かないほうがいい。それはとても酷だ」
どうして酷なんだろう。そう思って質問しようとしたとき、遠くに送迎バスの姿が見えた。この時間帯になると、ニバス狙いの学生たちが電車から降りてくる。改札を向けてきた八戸先輩の友人が、「よう」と八戸先輩の肩に手を回して連れ去っていった。「またいずれ!」と手を振る八戸先輩。その友人の背中を眺めつつ、僕はバス待ちの列に並んだ。
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