【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百九十六時限目 異性装パーティー 4/6
楓ちゃんとレンちゃんがカトリーヌさんに腕を掴まれて強引に更衣室へと引き摺り込まれていく様は、日曜日に放送される某国民的長寿アニメのエンディングみたいだった。ドアの向こう側でレンちゃんが、「ちょっと、そこは、だめ」と艶色声をあげている。
まさかのまさか、ドアの向こう側で不埒な行為が行われているわけではないと思うのだけれど、それにしたって過激過ぎる声音だ。私の隣でパイプ椅子に座っている奏翔君も、「なんかすみません」と申し訳なさそうにしているし、ここはなんて地獄なの!? と思うばかりだった。
「優梨さん」
と、私を見上げる奏翔君。女装して完璧な男の娘になった彼を、「奏翔君」と呼ぶのはどうなのだろう。私みたいに〈二つ目の名前〉を考えてあげたほうがいいんじゃないかと一考しながら、「なあに?」。子どもをあやすみたいな声で応答した。
「この格好のときは、一人称を〝わたし〟に変更したほうがいいでしょうか?」
「一様には言えないかな? 私は変更したけど、ボクっ娘というジャンルもあるし」
「ぼくっこ、ですか」
と、私の提案を繰り返す。
思い返すと私の周囲にいる女の子たちは、自分のことを『わたし』、或いは『わたくし』と呼んでいる人がほとんどだ。アニメを見ていると「優梨は優梨だよ!」って二回も自分の名前を連呼するキャラがいたりするし、クラスでは『ウチ』と呼称する人もいる。私の周囲にいる女子ズは、ちょっぴり古風なのかもしれない。
「痛い子みたいになりそう」
まあ、多少の電波感は否めない。大人になって過去の自分を見つめ直したときに阿鼻叫喚する可能性も否定できないが、若気の至りという言葉もあるのだからそこまで気にしなくてもいいんじゃない? それよりも気になることがあった。
「せっかく女装したことだし、名前も変更したほうがいいかもよ?」
「そうですよね。考えてみます」
奏翔君は更衣室のドアをじと見つめる。今度は楓ちゃんが、「え、これを肩に背負うのですか?」と疑問の声をあげていた。
楓ちゃんが言っている〈これ〉とは、ローレンスさんが用意した〈小物〉だろう。楓ちゃん。それが有る無しでは月とすっぽんくらい見栄えが変わるんだよ。誕生日ケーキにはロウソクが必要だし、電車内でラノベを読むときはブックカバーを付ける。バンジージャンプするときは命綱を付けるでしょう? それと同じ。──バンジーに喩えるのはちょっと違うな。
ドアが開いた。先にカトリーヌさん。その後ろから軍服を着こなしたレンちゃん、楓ちゃんの順番で廊下に出てきた。私の脳内で、ざっ、ざっ、と土を踏むサウンドエフェクトが。気持ち的には敬礼してほしいけれど、そこまでさせるにはぎろりと周囲を睨めつけるようにしているレンちゃんを説得しなければならない。無理だね、絶対に。
「なんでこの衣装なのよ」
T字に手を広げた状態で、体を右に左くねらせる。動きづらい、と言いたそうな顔をしていた。軍服は機能性を考慮して作られているはずなのだが、レプリカではその性能も省かれていることだろう。それに加えて、なによりも暑そうである。
「私はいろんな意味で眼福でした。もう、思い残すことはないです」
ドアの向こうでなにを見たのだろう。気になるけど、訊けない。多分、訊いたら駄目な内容だ。それにしてもここの廊下はえっちいなあ……じゃなくてあっちいなあ。
「しかし、軍服とは安直ですね」
楓ちゃんは黒、レンちゃんは鶯色の、旧・ドイツ軍の軍服を真似て作られた衣装を着用している。
レンちゃんの髪はオールバックにされているが、楓ちゃんの髪は長過ぎることもあり、後ろで一つに束ねられていた。
二人の左肩にはアサルトライフルの姿があった。旧・ドイツ軍の突撃銃といえばこれだ。口径七、九二ミリメートル、銃身長四一、九センチメートルのへーネル製アサルトライフルは、現代で使用されるアサルトライフルの原型になったとされているモデルだ。
「あとでローレンスさんに抗議させてもらわなくちゃ気が済まないわ」
レンちゃんはご立腹だが、ここまで軍服が似合う女子高生というのもそういないんじゃないないの? むしろこの制服を選んだローレンスさんに感謝を申し上げたい私が、ここにいる。というか、アサルトライフルを触らせてほしくてうずうずしてる。目標をセンターに入れてスイッチしたい!
「二人ともよく似合ってるよ」
心はもうヤシマ作戦だけれど、現実から逃げちゃ駄目だ。目の前のことに集中!
「当然です。私が着付けをしたのですから」
さっきからカトリーヌさんがいちいち可愛いんだけどどうして?
そんなに着せ替え人形が好きなの?
童心を忘れていないのは、さすがはローレンスさんの恋人だなあ、と感心する思いだ。
「似合わないのを着せられるよりはいいではありませんか」
楓ちゃんは割とノリノリだ。多分、レンちゃんとお揃いという事実だけが嬉しい違いない。
意図せずに楓ちゃんを満足させた結果になった。ここまですれば、あの日の出来事も許して貰えるだろう。
「そうね。ちょんまげを被らされるよりはマシと思うことにするわ」
さすがにちょんまげはないだろうと思いつつ、衣装の感想を言い合っていると奏翔君が徐に挙手した。
「あの! 皆さんにお願いがあるんです」
「おねがいって、急にどうしたのよ」
突然の挙手に反応したのは、レンちゃんだった。姉として、弟の言動に細心の注意を払っているようだ。そうはいってもそこまで疑うような視線を送らなくてもいいとは思うんだけどな。
奏翔君がお願いしようとしているその内容は、おそらく〈名前〉だろう。
でも、それはいまじゃなくてもいい。
「奏翔君。それは席に着いてからにしよっか。急いで決めることじゃないと思うの」
私が言うと、
「わかりました」
奏翔君は首肯して、パイプ椅子から立ち上がる。
「それでは優梨さん。皆様をお席にご案内して差し上げてください」
「畏まりました、カトリーヌ様」
レインさんが横にいなければお辞儀もお手の物であるが、みんなと話せてリラックスできた要因が大きいかもしれない。がちがちに固まっていた思考と体も、思い通りに働いている。この調子でいい。と自分に言い訊かせ、私は命令通りに先導した。
* * *
席に座り、オーダーを通した。予定ではレインさんが最初のオーダーを通してくれるはずだったのだが、やってきたのはエリスだった。様変わりした二人を見て笑いそうになるのを堪えながら、「ほかにご注文はございませんか?」と声を震わせた。
「笑いたきゃ笑えばいいでしょ」
レンちゃんが噛み付く。
「い、いいえ。よ、よくお似合いだと、おも、思いま、すう」
軍服に凄まれても意に返さないとは、さすがはエリスたんだ。
「優梨さん。彼女を蜂の巣にしてもよろしいでしょうかよろしいですよね参ります」
楓ちゃんがアサルトライフルの銃口をエリスに向けた。そして、まさしく引き金を引こうとしたそのとき、ほかの客の対応をしていたレインさんが戻ってきた。
「こらこら。あまりいじめてはいけないよ」
「べつにいじめてない」
ふい、とそっぽを向き、エリスはオーダー表を指に挟んでぺらぺらさせながら厨房に向かっていった。が、アサルトライフルの銃口はずっとエリスの頭部に狙いを付けられている。構えが正確であるところからして、何人か弾いているに違いない。目が本気だった。
「まったく。──月ノ宮様、大変申し訳御座いません。店内での発砲はご遠慮していただきたいのですが」
「そうですか。それは残念」
そう言って、慣れた手順でストラップを椅子の背に引っ掛けた。
「ここからは優梨さんが皆様のおもてなしを致しますが、なにか問題が発生した際は、私を呼んでくださいませ」
ようやく四人になった私たちは、ドリンクと食事が運ばれてくるまで雑談を楽しんでいた。そんなとき、奏翔君が再び手を挙げた。
「あの、そろそろボクの話を訊いてほしいんですけど」
奏翔君の口から、「名前を決めてほしい」と告げられる。
「そうね。たしかにいまの姿で〝奏翔〟と呼ぶのはちょっと気が引けるというか」
「相応しい名前を考えましょう。思い浮かんだ方は挙手してくださいませ」
どんなときでも楓ちゃんは場を仕切りたがるんだなあ。などと苦笑いしていると、「優梨さんも真面目に考えてください」。真面目な顔をした楓ちゃんに怒られてしまった。
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