【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百九十三時限目 新生徒会長と全校集会
夏休みが終わり、鬱陶しい暑さを残したまま二学期が始まった。蝉の鳴き声は随分と減ってはいるが、それでもどこかでじいじいと電子音のような声をあげている。
一ヶ月の間、体を鈍らせていた弊害が足にきていた。三〇分間休みなしで毎日自転車を漕いでいた僕の体力は何処へいってしまったのだろうか? やっぱり原付きバイクの免許を取るべきなのかと一考して、思い留まる。この運動がなくなれば、僕は人間としての機能の大半を失うのではないか。──でもしんどい。
自転車、電車、バスと乗り継いで、梅高に到着する。バス停から校舎まで続く急勾配の坂を歩くのも、なんだか懐かしい気分だ。校舎の前ではスケボー部の連中が、いつどこで披露するのかもわからないトリックの練習をしているのを見て、日常に戻った実感を覚えた。
ドアを開いて教室に足を踏み入れた。休み中ずっと窓を閉めっぱなしにしていたせいか、埃とカビの臭いがする。直ぐにエアコンを作動させたい気持ちを堪えて、窓とドアを全開にした。
勉強卓で突っ伏してイヤホンを耳に当てる。落ち着いた曲が聴きたい気分だ。照史さんに教えてもらったボサノバを流し、目を閉じた。
五曲ほど流し終えると、教室の温度が下がっているのに気がついた。重たくなった瞼を開いて周囲を窺うと、数十名ほど人が増えている。どうやら眠ってしまっていたようだ。開けっ放しにしていた窓とドアは閉じられて、エアコンが忙しない音を立てながら冷気を送り込んでいた。
月ノ宮さん、天野さん、佐竹、三人とも教室にいるけれど、仲間内と夏休みの話題で盛り上がっていた。その様子を薄目でぼんやり眺めていたら、天野さんと目が合った。お、は、よ、と口ぱくで挨拶された僕は、投げ出している右手を振って返す。──奏翔君は上手く凌いだようだ。
佐竹は宇治原君たちといつも通りの大馬鹿騒ぎ。大袈裟な手振り身振りでリアクションしながら、コミュニケーションを取っている。聞き耳を立てて内容を探ってみたが、なんの話をしているのかさっぱりわからない。が、〈キャンプ〉という単語だけは異様なほど耳に届いた。
月ノ宮さんはファンクラブの対応に追われている。「アメリカはどうだった?」という質問が飛んできたときは僕の眠気がふっ飛ぶくらい冷やっとしけれど、微笑みを絶やすことなく、「とても有意義な時間でした」と返していた。本日も平常通り、営業モードである。
全校集会の時間になり、体育館に移動した。式は生徒会が場を取り仕切るので、会長である島津瑠璃先輩が司会を務めるものとばかり思っていたが、マイクの前に立っているのは八戸望先輩から書記の業務を引き継いだはずの七ヶ扇朝海だった。大勢の前に出るタイプではない七ヶ扇さんは、表情には出さないようにはしているけれど、進行がぎこちない。校長を「こうしょー先生」と噛んだときは全生徒がざわついて、僕が恥ずかしくなったくらいだ。
こうしょー先生の有り難いお言葉が終わり、式は幕を閉じた。
教室に戻り、ホームルームが始まる。担任の三木原章治先生が眠たそうな声で、「いつまでも夏休み気分でいるのはやめてくださいねー」なんて、とても説得力がある言葉で締めた。
帰りのバスの時刻まで、やることがない。佐竹は学校の下を流れる川で宇治原君たちと遊ぶらしい。僕も誘われたのだが、佐竹軍団の仲間入りをしたくないので丁重に断った……というか、僕の存在をしかと認識しているのは佐竹と宇治原君のみで、そんな中に僕が混ざったら宇宙人を見るような目で見られてしまうだろう。それに今更、「同じクラスの鶴賀優志です、よろしく!」なんて自己紹介をするのも馬鹿げている。
天野さんはこれから、関根さんたちと一緒に市営バスを使って新・梅ノ原までいくようだ。「優志君もよかったらどう?」と誘ってくれたが月ノ宮さんがいる手前、その誘いに乗るわけにもいかず──とても窮屈な気分だ。
息苦しさを覚えて教室から抜け出すと、廊下で七ヶ扇さんとばったり会った。全校集会時は整えていた髪も天然パーマ状態に戻っている。〈こうしょー先生〉呼びの失態で、髪をぐしゃぐしゃした後のようだ。この状態の七ヶ扇さんを見て、いつも〈ゴールデンレトリバー〉を想像してしまう。だが、性格は真逆である。犬のように従順であれとは言わないけれど、多少の愛嬌は見せてもいいのに、と僕は思う。
「おつかれ、大変だったね」
無言ですれ違うのも不自然な気がして声をかけた。でも、見なかったことにしたほうが自然だったかもしれない。僕は知り合いの女の子に声かけるような気さくな性格だっただろうか。自分の性格が優梨に侵食され始めているような……気のせいだろう。
七ヶ扇さんは僕と一〇歩くらい離れた場所で、ようやく足を止めた。右足を軸にして反時計回りすると、疎ましそうな目で僕を睨め付ける。どうやらクラスで〈こうしょー〉呼びを弄られた後のようだ。──そっとしておいたほうがよかったかもしれない。
「……だれ」
流星もそうだけど、どうして僕の周りにはこういう捻くれ者が多いのだろう。類は友を呼ぶってやつか。だとしても、僕はだれかれ構わず殺害予告したりしないし、「だれ?」なんて失礼な挨拶もしない。なんならだれとも挨拶しない日だってあるくらいだ。最近は、そういう日はなくなったけど。
「なにか用?」
顔がもう既に、「私に構うな」と言っている。
「いや、用ってこともないんだけど……ああそうだ。どうして島津先輩じゃなくて、七ヶ扇さんが司会進行してたの?」
「鶴賀君も数日は生徒会の一員だったはずでしょ? ……私が次期生徒会長に任命されたのよ」
七ヶ扇さんが生徒会長だって!? と、大袈裟に驚くこともない。個性が強い面子が揃っている生徒会を纏められる二年生は、七ヶ扇さんくらいだろう……七ヶ扇さんの他に二年生っていたっけ?
肩書き付きの役員が目立ち過ぎているもので、いまいち記憶が曖昧だ。たしか、佐藤だか鈴木だか、田所っぽい名前の同級生がいたような。
「藤田君が次期生徒会長に任命されたんだけど……って、覚えてる?」
恰幅がよくて温厚な性格の、と言われてやっと思い出した。見廻りを一緒にやったな。そうか藤田君だったか。惜しい。
「藤田君がやらないって。それじゃあって、私に白羽の矢が立てられた
わけ」
「会長になった理由が切な過ぎる……」
「うっさい」
藤田君の顔はまだ思い出せないが、生徒会のシステムは朧げに思い出してきた。
梅高の生徒会会長は、生徒会に所属しているだれかに引き継がれる。
そのタイミングが夏休み後、だったっけ。
「書記はだれがやってるの?」
「大場蘭華……ギャルの、悪目立ちしてる子」
そんな人、生徒会メンバーにいただろうか?
「その様子だと忘れてるね……鶴賀君って他人に興味ないもんね」
「第一声に〝だれ?〟って訊ねるひとに言われたくないなあ」
「だって鶴賀君、影がないし」
影が薄い、ではなく、影がないときた。
僕は透明人間だった!?
空気に徹し過ぎた弊害なのか、それとも僕のパッシブスキルか。
「ねえ、そろそろいい? 忙しいんだけど」
「あ、うん。頑張ってね」
「なにそれ、きも」
応援しただけで気持ち悪がられるってどうなの?
「ごめん」
条件反射で謝っている僕も、どうなんだろう──。
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