【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百八十七時限目 月ノ宮楓の選択 2/3


 月ノ宮さんは、気をつけ、礼、着席、の〈気をつけ〉をするみたいに姿勢正しく座っている。僕の位置からではテーブルの陰に隠れて見えないが、両手は膝の上だろう。まるで面接官の前に座る就活生……は、僕のほうか。月ノ宮さんの堂々とした姿勢に気後れしそうだけれど、表情だけでも、と余裕を作ってみせる。

 この店に入った時点で心理戦は始まっているのだ。ひ弱な態度は見せられない。少しでも隙を見せれば喉元を喰い千切られてしまう。

 僕の弾丸が月ノ宮さんの眉間に届くのが早いか、月ノ宮さんの牙が僕の喉元に突き刺さるのが先か──ごくり、と生唾を呑んだ。

 ひりついた空気に喉が渇く。冷たいコーヒーにしておけばよかった、と後悔しながらキリマンジャロブレンドを一口飲んだ。「酸味が深い」、と月ノ宮さんは言っていた。僕はそれを「野性味がある味だ」とたとえた。同じ珈琲でも感想はそれぞれで、どちらも間違いではないだろう。だけど、月ノ宮さんの表現に僕も概ね賛成だ。そうか、こういう味を『酸味が深い』というのか。

「私の考えは、以前にお話した通りです」 

「僕を……優梨を見届け人にする」

 月ノ宮さんは黙って首肯した。

「その考えは、いまも変わらない?」

「変わらない、というよりも〝変えてはいけない〟、でしょう」

 父親、つまり月ノ宮氏の夢を実現するために自分を犠牲にする。十六歳の少女がするには重た過ぎる決断だ。迷いがあってもいいはずなのに、意見を変える気はさらさらない、という口調で。──どう崩そうか。

「月ノ宮さんの夢はどうなるの」

「私の夢、ですか……そうですね。儚くも散りゆく、といったところでしょう。人の夢と書いて〝儚い〟とは、上手いことをいいます」

 洒落臭いことを言うものだ。

「僕はどちらかというと、月が必要と書いて〝腰〟のほうが、しっくりくるけどね」

「腰?」

 どうして腰が? と月ノ宮さんは僕に訊ねる。

「腰という漢字って、とても完成されていると思わない? 肉体を示す〝月〟と、必要の〝要〟を合わせて〝腰〟と成る。──まあ、今回の件には一切関係ないけど」

「なにを言いたいのかと思えば、そんなこと……」

 上手いことを言った、という雰囲気を壊せれば、別に〈腰〉じゃなくてもよかった。上手く纏められて堪るものか、という僕の反骨精神である。気分は〈マイウェイ〉を歌うシド・ヴィシャスだ。アナーキーだ、と僕は思った。ここでアナーキーになる必要もないのだが。

「自己犠牲が美徳だなんて、僕は思わない」

「優志さんがそれを言うのですか」

「僕は自己犠牲で動いてるわけじゃない。そうやって言い訳しているときもあったけど、気がついたんだ。僕はずっと、狭い世界で息をしようとしていたってことに」

 自己犠牲を美徳とする世界は、とてつもなく狭くて冷たい。

 僕の世界はずっと窮屈で、息をするのもやっとだった。月ノ宮さんが生きている世界もきっと、狭い箱のなかみたいに身動きが取れない場所なのだろう。

 それは決めつけでしかないわけだが、察することはできる。自分で選んだ道だから、と意固地になるのも頷ける。でも、自ら心の扉に鍵をかけて籠城するのは間違いだ。いや、戸締りは重要ではある。要は、開くべきときとその場合を見極めることが大切なのだ。

 月ノ宮さんは、『自分が選んだ答え』に固着しているように思える。その答えが自分にとって、もっとも理想的だと信じ込んでいる。余所見をしない。前だけを見据える。それは、概ね正しい行動だ。だけどおかしい──それをどう指摘するればいいか、ここ数日間ずっと模索してきた。

「ねえ、月ノ宮さん」

「はい」

「月ノ宮さんは、異性をすきになれるの?」

 僕は、月ノ宮さんの恋愛観を、まったく知らない。天野さんがすきだ、とは常日頃から訊いている。なので、同性に対して恋愛感情を向けるひとなんだ、と勝手に決め付けていた。だが然し、月ノ宮さんは内に秘めた恋心──秘めきれていないところが厄介ではあるが──を殺して、父親が選んだ男性と結婚する、と決めた。

 そうなると月ノ宮さんは、『どちらも受け入れることができるひと』ということになるわけだが、本人の口から訊かない以上、断言はできない──なんだか今更な話だな、と僕は思った。

「私は」

 とコーヒーカップを持ち上げて、飲む寸前で止めた。険のある目で、じいとカップのなかを見つめている。

「すみません、コーヒーのおかわりを頂けますでしょうか」

「あ、僕もお願いします」

 この話し合いは長くなる、そう直感した。




 二杯目のブレンドを飲みながら、「私は」の続きを待つ。月ノ宮さんはなにを言おうとして呑み込んだのだろうか。

 僕がカップに口をつけると同時に、月ノ宮さんは手に持っていたカップを静かに下ろした。

「私は、自分が〝このひとだ〟と決めた相手でしたら、性別など些細な問題だ、と考えています」

 その場合、バイセクシャルと呼ぶのだろうか。だが、そうとも言い切れないのが恋愛の難しいところでもある。『すきになったひとがたまたま同性だっただけで、それまではずっと異性と付き合っていた』、というひとだっているのだから。

 この考え方は琴美さんの恋愛観と同じだ。でも、琴美さんの場合はバイセクシャルに該当するだろう。あの人は、変なところではっきりさせたがる傾向にある。僕のことだって、『優志君』と呼んだのは一度だけだ。琴美さんのなかで僕は、〈男の娘〉という立ち位置なのだろう。それとも、〈ちゃん〉と呼ぶくらい幼い相手、のどちらかだ。

「──それを私は、自由恋愛主義、と定義しています」

 自由恋愛主義。──耳馴染みのない言葉だ。

 言葉の響きだけで考えると物凄く堅苦しいもののように感じるが、その意味は先ほどの言葉にある。則ち、「自分がこのひとだと決めた相手であれば性別など気にしない」ということ。素晴らしい考えだと思うけれど、実行するのは難しい恋愛観だ。

「月ノ宮さんは〝自由恋愛主義〟に則って行動や思考しているんだよね?」

「ええ、その通りです」

 かかったな──。

 僕は胸中でほくそ笑んだ。

「じゃあ、お父さんに紹介された人にも天野さんと同じように、びびびっときたの?」

 僕の質問に答えず、唇を噛み締めたまま閉口しているけれど、考えるまでもない。そんなの、わかりきっているからだ。月ノ宮さんにとって天野さんはなによりも優先される存在であるがゆえに、答えは〈ノー〉だ、と僕は確信している。


 

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