【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百八十一時限目 ぬるくなった紅茶とアイスティーの違い
薔薇の花園入口前で、エリスが一人の男装執事を呼んだ。名刺代わりのネームプレートに刻まれた源氏名は〈レイン〉。ミディアムショートの外ハネ髪で、光に当たると青色が見える。小柄な私がやや見上げるくらいの身長だ。女神をあしらった銀のブローチから、群青色の紐ネクタイが垂れ下がっている。胸元の膨らみは、見当たらない。
レインさんは初夏の木陰に吹き抜ける風のような微笑みを浮かべて、「どうぞこちらへ」と。耳心地いい中音域の声は、女性声優が男性役を演じるときに発する低い声みたいだった。
壁際の席に案内されて着座する。座りやすいように椅子を引いてエスコートしてくれるサービスは、メイド側と同じだ。
「メニューで御座います」
そう言われて咄嗟に受け取ってしまったけれど、昼食は隣で済ませたし、特に喉も渇いていなかった。ここにいるお客さんはなにを飲んでいるのだろうと周囲を見渡すと、遠くのほうでせっせか働くエリスと目が合った。
「お嬢様。誠に恐縮では御座いますが、あまり周囲をじろじろ見るのはお控え頂けますでしょうか」
「あ、ごめんなさい……」
注意されてしまった。
勝手がわからずにどうしていいものかと俯いている私に、レインさんは膝を床について、
「もし注文にお悩みのようでしたら、ケーキセットは如何でしょう。本日のケーキは、紅茶が香るシフォンケーキにクリームを添えたものをご用意しております。お飲み物はホットティーをお選びになるお嬢様方が多いです」
「じゃ、じゃあそれを……」
「かしこまりまりました」
レインさんがその場を離れて直ぐ、私は密かに溜息を零した。着慣れないドレスを着用しているのも相俟って、堅苦しさが拭えない。カトリーヌさんには悪いけれど、ケーキを食べたらお暇しようと思った。
隣の席に座っている二人の女性客は、私が注文した内容と全く同じケーキセットを食べていた。常連客なのだろうか。物怖じせず、執事たちに声をかけている。レインさんとも知れた仲のようで、一言程度、言葉を交わしていた。
反対側の席に座っているお客さんは、女装客のようだ。肩幅の広さでわかってしまうのは、致し方ないことではある。小柄でよかった、とこのときほど思ったことはない。彼女たちが注文しているのも、ケーキセットだった。
メイド側の半分くらいしか席数がない〈薔薇の花園〉にいる執事は、男装執事が三人、男性執事が一人。合計四人でホールを回しているようだ。一人だけ男性というのも居心地が悪そうだなあ、と様子を窺っていたが、そうでもない。彼は彼なりに客の心を掴む話術とルックスを持っているようで、注文をする際にお褒めの言葉を貰っていた。ちやほやする側がちやほやされてどうする! と私は心の中で叫んだ。
「お待たせ致しました。ケーキセットで御座います」
銀のトレーに乗せたケーキと紅茶を、丁寧に置く。
「ありがとうございます」
三角形のシフォンケーキの表面に、生クリームが乗っている。お皿の縁にはブルーベリーとヨーグルトのソースが、ぐるっと一周してあった。さあ食べよう、とフォークを取ったはいいが、レインさんがじいとその場で待機しているもので、どうにも食べにくい。なるほど、チップか。薔薇の花園はチップ制なんだな? と思い、財布から二〇〇円ばかり取り出そうとした私に対して、レインさんは微苦笑を浮かべながら頭を振った。
「チップは要りませんよ」
「そう、ですか……あの、まだなにか?」
「すみません。その……失礼を承知でお訊ね致しますが、お嬢様のお名前は〝鶴賀優梨様〟でしょうか?」
「そうですけど」
この店の個人情報の扱いはどうなっているんだ、と疑問に思った私だったが、ローレンスさんたちにはお世話になったこともある。私一人の個人情報が筒抜けになったところで私生活に影響は出ないだろう、と呑み込んだ。
「申し遅れました。わたくしは、レイン、と申します」
本名ではありませんがご容赦ください、と小声で付け足した。
「優梨お嬢様にお会いする日を楽しみにしておりました」
「そ、そうですか」
「はい」
あの、ケーキ食べたいんですけど──。
「噂には訊いていましたが……本当に可愛らしい方ですね」
「うわさ?」
この店でいろいろとやらかしているだけあって、従業員が私の噂をすることもあるだろう。噂を流している張本人がローレンスさんだということも、ある程度察しがつく。今更どう取り繕っても無駄な話だが、悪評だけは勘弁願いたい。
「噂というほどのものでもないのですが」
秒針が一秒を刻むくらいの間を開けて、
「女性よりも女性らしい、と」
褒め言葉として受け取るべきなのだろうか。でも……レインさんの声音は、どこか憂いを帯びていた。
「レインさんは、どうして執事に?」
「そう、ですね」
考え込むような仕草をして、
「どちらの自分が本物なのかを知るため……なんて、少々格好付け過ぎていますね」
そういって、気恥しいそうに笑う。
「もしかしてレインさんは」
「はい。優梨お嬢様と似た境遇です。──だから、お会いしたかった」
私と似た境遇ということは、女性として生きるべきか、それとも男性として生きるべきか、悩みながら生活しているってことになるけど……。
「わたくしは普段、女子校に通っています。いわゆる、お嬢様学校と呼ばれる学校です」
「え?」
お嬢様学校って──。
「アルバイトしていて大丈夫なんですか?」
全寮制で、校則が厳しいイメージだ。
あと、寮長が眼鏡で超怖い。
「勿論、学校側には許可を得ています……飲食店という名目で提出していますが」
メイド喫茶で執事をする、とはさすがに書けないのはお察しだ。書類に〈飲食店〉と記載したのも、正直に言えば認可されないと思っての行動だろう。真実を知られたときに、「飲食店です」と言い訳しても納得してもらえなそうだけど。
「自宅では、どう過ごしているんですか?」
「女性として過ごしていますよ。両親にこのことは打ち明けていませんので。──でも、いつかは打ち明けようと思っています」
話を訊くにレインさんの両親は、レインさんがこの店で執事として働いていることを知らないようだ。両親と学校を騙しながら生活するのは、精神的負担も大きいはず。──そうまでして。
「本当の自分を探すのは、どうして?」
「月並みの答えになってしまいますが、〝自分の幸せのため〟ですね」
ああそうか──。
レインさんは、私とは違う。自分のために生きる、を実現しようとしている人だ。私は他人に合わせようとしているだけに過ぎない。だから、根本的な考え方が違っている。
「長々と付き合わせてしまって、大変申し訳御座いませんでした。それでは、ごゆっくりどうぞ」
去りゆくレインさんの背中を目で追いながら、右手近くに置いてあったティーカップに人差し指の爪の腹で触れてみた。運ばれてきた当初は湯気が立ち昇っていたけれど、いまではぬるくなっている。カップの取っ手を摘むように持ち上げて、一口飲んだ。ぬるくなった紅茶とアイスティーの違いに、私は悩んでいる。
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