【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

七十一時限目 彼と彼の宿題 7/16


「は? 意味わかんねえ」

 吐き捨てるように、佐竹君。

 琴美さんは、佐竹君の手を振り払うようにくるっと半回転して、私と佐竹君を交互に見た。

「同じ場所から違う景色を見ようとしても、それはただの羨望に過ぎないってこと。優梨ちゃんなら、この意味がわかるんじゃない?」

 それについては、よくわかる。

 私はずっと、そうして周囲を見ていたから。

 才能がある同年代のクラスメイトを見て、自分は取るに足らない存在だと思い知り、でも、僅かに憧れのような感情を抱いていたのは、なんとなくではあるけど、なんとなく感じていた。浅い眠りに見る淡い夢のような、小さい頃の記憶を辿るような。自分の周囲に透明で分厚い壁があって、そのせいで、近いのに、すぐ目の前で起きているのに、周囲の音が遠く訊こえてくる感じ。

 四方八方が塞がっているから、自分の息遣いと、心から漏れ出る本音が煩わしくて、本の世界に逃げ込んだ。

 羨望なんて──。

「要件はそれだけか? なら、とっとと結婚準備でもしてろよ」

 結婚準備?

 私が疑問に思うと同じタイミングで、琴美さんの表情から余裕が消えた。

「アンタそれ、沙子から訊いたの?」

 その声音は、凍えてしまうのではないかと思うほど、冷たかった。いや、冷めていると表現したほうが、適切かもしれない。結婚はおめでたいことなのに、喜びの感情は一切なく、琴美さんの目は、ナイフのように鋭くなっていた。

 どうにもこれは、と佐竹君も肌で感じたらしい。動揺しているのか、一歩、二歩と後退し、テーブルに足をぶつけたところで立ち止まった。

「あ、ああ……この前、サマコミで会って」

「そう」

 琴美さんは眉をひそめて、この件についてこれ以上語ることはない、とでも言うようにその場を後にした。

「なんだったんだよ……」

 ぶっきら棒にそう呟いた佐竹君は、怒り任せにどさっと定位置に座った。テーブルに頬杖をついて、明後日の方を向く。

「佐竹君。あの……さこさんって?」

ゆみ。姉貴のサークル仲間でもあり、恋人。沙子さん曰く、姉貴と結婚するだとさ。まあ、姉貴の様子から察するに、あんま乗り気じゃないみたいだけど」

 たしかに、喜んでいるようには見えなかった。

 結婚は人生の墓場だ、なんて名言のような迷言が脳裏に浮かんだが、同性婚となると地獄ではなく、茨の道といったほうが納得できる。

 世界では認めている国もある〈同性婚〉事情だけど、日本はその対象外だ。

 同性をすきになるというだけで虐げられる世界なんてどうかしてる、と思うけれど、同性愛者迫害の歴史は、かなり根深い。宗教によっては禁忌とされていたり、悪魔崇拝者だ、と石を投げられることもあったらしい。

 漫画やアニメといった二次元カルチャーでは、女性同士の恋愛を〈〉と称して、一定の人気を博している。だが、男性同士の恋愛については、極一部の愛好者を除くと〈ネタ〉として扱われたりしている。

 この世は常に、ノイジー・マイノリティによって、少数派が弾圧される仕組みだ。

 琴美さんは、そこに踏み込むことを躊躇している? 詳しい話を訊かないことには、判断できない。だからといって、憶測だけで答えを出すわけにもいかない。

 ──同じ場所から違う景色を見ようとしても、それはただの羨望に過ぎないってこと。優梨ちゃんなら、この意味がわかるんじゃない?

 この言葉が、私の胸を騒ぎ立てる。

 琴美さんが伝えたかった本当に意味は、言葉の裏の裏に隠されて、容易には解読できそうになかった。

 さすがにこれ以上課題を続けるのは無理だと思った私は、すっかり萎えてしまった佐竹君に「今日はもう終わりにしよっか」と提案した。

「気を遣わせてすまん……せっかく、朝早くからきてくれたのにな」

「ううん。気にしないで。あと、明日から勉強する場所を変えようか」

 この環境で課題を続けるのは、得策ではない。図書館か、それとも照史さんに理由を話して、ダンデライオンの一角を借りるか。

「姉貴があれじゃ集中出来ねえし……後でまた連絡するわ」

「うん。わかった」

 私が荷物を纏めて立ち上がると佐竹君も立ち上がる。

「送ってく」

 と、先陣を切ったその背中が寂しげに見えて、私まで鬱々した気分になった。

 こういうとき、どうしたらいいんだろう──。

 私が正真正銘の女の子で、尚且つ気が利く性格だったら、こういう状況においても佐竹君をリードしたり、笑顔を見せるくらいできたかもしれない。佐竹君に恋をしていれば、或いは慰めの言葉を言えたり……それらを躊躇うことなく実行に移せていただろう。

 ──同じ場所から違う景色を視ようとしても、それはただの羨望に過ぎない。

 琴美さんの言葉が頭の中で針となり、鈍痛を与え続ける。

 この言葉の意味を理解するには、まだまだ時間を要するだろう。

 嫌な宿題を与えられた、そんな気分だった。


 

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