【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百七十一時限目 ギャル男と文藝[後]


 宇治原君の兄、マサヒロ君は、僕が訊ねずとも身の上話をするような男性だった。所謂、隙あらば自分語り、というやつだ。

 盛りに盛られた武勇伝を掻い摘むと、大学を出たはいいが、やりたいことが見つからないフリーターという身分らしい。いや、一応まだ小説は書いているようだけれど、賞を獲得するような秀作はまだ生み出していない。

 僕はマサヒロ君こそ宗玄膳譲ではないか、と仮説を立ててこの場に臨んでいたのに、その予想は大きく外れてしまったようだ。

 マサヒロ君の身の上話が一区切り終えると、

「そろそろ本題に入ろうぜ」

 兄の武勇伝を退屈な表情で訊いていた宇治原君は、空になったコップの縁を、右手の人差し指で気怠げに撫でる。その表情は「どうしてこんなちゃらんぽらんなヤツが兄貴なんだ」と物語っていた。が、僕からすれば似た者同士としか思えなかった。

「えっと、宗玄膳譲について……だったっけ?」

 無言で頷く。

「お知り合い、なんですか?」

「知り合いっちゃ知り合いだけど」

 目を閉じ、眉間に皺を寄せて、口元をへの字に曲げる。どこかで見たことがあると思ったが、達磨の顔にそっくりだ。

「口外するなって、口止めされてるんだよなあ」

「どうしてそこまで隠す必要があるんですか?」

 僕にはそれが、喉にずっと引っかかっていた。正体をひた隠しにしければならない理由とは一体なんだろう、と。

 警察に追われる身だというならば、それも当然とは言えるけれど、そもそも警察に追われながら執筆して本を出すなど不可能だ。

 ミステリー作家ならば、自身の作品をよりミステリアスにする演出のひとつとして正体を隠すこともあるだろうけれど、宗玄膳譲の作品は、僕が知り得る限り、ヒューマンドラマがほとんどである。

 仮に、宗玄膳譲の作品が爆発的なセールスを発揮していて、プライベートを侵害されるのが嫌だというならば、徹底した秘密主義にも頷けるけど、出版社との契約はなく、自作が本屋に並ぶこともない宗玄膳譲の世間認知では、生年月日と出身地を公開したところで、プライベートが侵害されるとは考え難い。

 でも、プロフィールを公開するのは本人の意思に託されるわけであって、僕が興味本位で探りを入れるのは、宗玄膳譲にとって迷惑千万だろう。それも承知で僕はこの場にいるのだ。「口止めされている」と言われて「はいそうですか」と引くわけにはいかない。

「どうして……じゃあ逆に、どうして鶴賀君はアイツの正体を知りたいんだ?」

 違和感のある呼ばれ方に、ずどーん、と思った。鶴賀の『る』を強調するような呼ばれ方をされたのは、初めての経験だった。ギャルやギャル男、そしてヤンキー特有のイントネーションに慣れるには時間が必要だ。

「それは」

 だれのため、だろうか──。

 知りたいと思ったのは水瀬先輩のためか。

 それともただの興味本位だろうか。

 野次馬根性よろしくに突っ走ってきたのか。

 状況に流されているだけだろうか。

 多分、どれも正解で全部間違い。

 ──ここに至るまでの間違いを清算するべく、僕はこの場所にいる。

 そう断言できれば物語としては激アツで熱盛で、熱盛が出たことに謝罪するべきかもしれない。だけど、そんなかっこいい理由ではなく、ただ単純に、極めてシンプルに、自分勝手で自己中心的な利己主義に則った行動でしかないだろう。

 だから、

「僕自身のけじめです」

 自分でもかなり重たい言葉を選んだものだ、と発言した後で思う。

 強い言葉を選んだからといって、なにがどう変わるわけでもない。だけど、強い言葉というのは発するだけで意味を持つものだ。

 空砲で威嚇したつもりでも、受け手が〈撃たれた〉と誤認すれば心停止も起こり得る……これを〈ノーシーボ効果〉というらしいが、難しい話はよくわからない。

 結局のところ、ハッタリやブラフ、虚勢からなる大言壮語を吐いたに過ぎなかった。卑怯でも、小賢しいと言われようとも、無言を続けるよりは万倍もマシ。

「けじめかあ……それって武士っぽいな。ハラキリ! みたいな」

「どっちかと言うと、指を詰めるって意味じゃねえの?」

 宇治原君が横から言った。

 どちらにせよ、この兄弟のけじめの取り方は血生臭い。せめてトイレ掃除くらいに済ませて欲しいものだ。

「だけど、鶴賀君のけじめに付き合わされるアイツはたまったもんじゃねえなあ……それに」

 手元にあるコーラをぐいっと呷ってから、

「自分自身のけじめっつうなら、他人を言い訳にするもんじゃねえよ」

 マサヒロ君の視線に、背筋がぞぞぞと凍りついた。

「いまでも童貞の兄貴がそれを言うのか?」

「いや待て、童貞は関係ねえだろ!?」

 遊んでいるように見えるけど、童貞なのか……。

「こうなったのはオレにも責任があるんだ。兄貴、知っていることを話してくれよ」

「お願いします」

 深々と頭を下げた。

「おれを呼び出してまで知りたいってんだから、その行動力は買う。その歳で大したもんだ。だけど、宗玄膳譲の正体を知ってどうするんだ? 友だちに自慢するのか?」

「いいえ。あくまでも個人的な興味ですので、他言はしないと約束します」

「これでもしアイツの身元が割れたら、犯人は二人のどっちかってことになる。個人情報を扱うってんだから、それ相応の覚悟はできてるんだろうな? うっかり流出させちゃいました、なんて言い訳は通らない」

「お約束します」

 はあ、と溜息を吐くマサヒロ君。

「一回しか言わないぞ……宗玄膳譲の正体は」


 

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