【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百七十時限目 その熱が消える前に[前]


 カレーを食べ終わり、後片付けも終わった。外は夜に包まれて、常夜灯がなければまともに歩けそうもない。勿論、夜道を歩くなら懐中電灯も必要だろう。コンクリートで整地されていない道には、雑草や小石がそこら中にある。転んだ先になにがあるかもわからないのに、光なくして進むのは危険極まりない行為だろう。

 とわいえ、僕のように懐中電灯を持ってきたキャンパーは少ないようだ。

 ここから数十メートル離れた場所にあるトイレへ向かう途中ですれ違った大学生風カップルは、彼氏が照らす携帯端末のライトを頼りにしていた。

 荷物を減らすという意味で、僕も懐中電灯を持ってこなくてもいいかとは考えた。けれど、携帯端末のライトを使うとバッテリーの消耗が激しいし、いざってときにバッテリーが切れてしまったら大変だ。バッテリーの予備だって無限に使えるわけじゃない。そんな状況下では、携帯端末を酷使するよりも懐中電灯を使ったほうが得策だ、と言える。

 ざくざくと砂利を踏む小気味好い音が、静謐なキャンプ場に響く。海と違い、山の夜は騒がないという暗黙の了解でもあるのだろうか。いいや、そもそも夜に騒ぐのははた迷惑なのだけれど……ウェイ系の集団がいないのは静かでいい。

 僕がテントに着くと、佐竹と宇治原君が河原で焚き火の準備をしていた。このキャンプ場は、河原でのみ直火が許されている。

 ほんと、男子って火が好きだよねーって感じで遠巻きに見ていたら、

「キャンプファイアをしたいらしいぞ」

 とても興味なさそうに、流星が僕の元へやってきて呟いた。

「お前がトイレに行っている間に、宇治原と義信が小枝を拾い始めたんだ。なにをするんだと訊ねたら『マシュマロを焼く』らしい」  

「なんともまあ、ミーハーだね」

「ま、それも口実のひとつだろ。本音は焚き火がしたいだけだ」

 佐竹と宇治原君の目は、遠くからでもきらきら輝いているように見えた。

「……あ、火がついたな」

「暑さが増すだけなのに、よくやるよ」

 宇治原君が団扇で火を扇ぐと、小さな破裂音が鳴る。ぱちり、ぱちり。

「宇治原、お前すげえな! 普通に! プロじゃん!」

 たかだか焚き火の火起こしでプロを名乗れるならば、家を丸ごと焼いてしまう放火犯は、ある意味プロの犯行と言えなくもない。

「まあ? キャンプに慣れている者からすれば余裕ってもんだぜ」

 宇治原君は鼻を高くしている様子だが、

「あれ、残った着火剤を使ってるんだぞ」

 流星が種明かし。

「不正が見つかって優勝が取り消しになるeゲーマーのそれを見ているようだよ……」

「eゲーマー? ……ああ、プロのゲーマーか。あまり馴染みがない言葉だ」

 流星はゲームに対して、そこまで興味がないらしい。かく言う僕も、プロゲーマーに関する知識は『ウメハラが決めたー!』くらいしか持ち合わせていない。プロのテレビ・ネットゲームプレイヤーが世間に認知される日は、まだまだ遠そうだ。

 僕がプレイしているソシャゲの沼に引きづり込むべく流星に熱弁していると、「おーい!」と佐竹が呼んだ。見ると、左手を大袈裟に振っている。

「お前らもこいよ!」

 殊更に嫌そうな顔をする流星だったが、

「仕方がない」

 と言いたげに溜息を吐いて、

「いくぞ」

 僕の背中をぽんぽんと二回ほど叩き、佐竹たちがいる焚き火へと向かっていく。

 流星は「いくぞ」と言った。

 多分、僕に「決着をつけろ」と言いたかったんだろう。佐竹の気持ち、宇治原君の気持ち、流星の気持ち。それは期待であり、憎しみであり、友情に応えろという意味だ。他にもあるだろうけれど、僕が応えられるのは、現状の意思のみ……気が重い。

 だがしかし、夜は始まったばかりだ。




 焚き火を囲うようにして、僕らは座っていた。僕の右隣から、佐竹、宇治原君、流星という順番。正面に座っている宇治原君の顔は、焚き火の熱のせいで揺らいでいるように見えるけれど、実際は僕の精神状態からなる歪みのせいだろう。

「焚き火って、なんかいいよな」

 佐竹が言うと、宇治原君は頷いた。

「エモいよな」

 なんでもかんでも流行りの言葉で片付けようとするのは、よくないと思います。

 でも、たしかに……なんかいいし、エモい気がする。

 炎の揺らめきや、薪──このためだけに購入したとしか思えない──が弾ける音は、ヒトの脳に直接癒し効果を働きかけるものがある。アルファ波とか、そういうの。科学的な根拠をあげれば、それは『エモい』から遠ざかる気がして、僕は思考を放棄した。

 エモいは〈エモーショナル〉から派生した言葉だ。そして、エモーショナルの意味は〈感情的な〉である。焚き火の炎は熱いけれど、暖かくもあった。それを温もりと呼んでいいのかまではわからないが、感情に訴えかけてくる〈なにか〉を感じる。

 だから、いい機会なのかもしれない。

 宇治原君の「好きな人はだれだ」という俗っぽい質問には皆答えず、代わりに佐竹が「この際だから腹を割って話そうぜ」が、川のせせらぎを強くさせた。

「腹を割って、か……それじゃあ一つ、宇治原に質問だ」 

 流星が言うと、宇治原君は神妙な態度で「なんだよ」。

「優志がくると知りながら、どうしてくる気になった」

 ぱちん──。

「コイツのことは大嫌いだけど」

 ちらりと僕を流し見る、宇治原君。

「アウトドアは嫌いじゃねえから」

「それだけか?」

 今度は佐竹が訊ねる。

「腹を割って話すんだから、遠慮はなしだぞ? マジで」

「……わかったよ。言えばいいんだろ」

 はあ、と大きな溜息を吐いた宇治原君が、体ごと僕に向けた。

「さっきも言ったけど、お前のことは大嫌いだ。死んでくれくらいに思ってる」

「まさか、流星以外に死を望まれるとは思っていなかったよ」

「オレは別に死んでくれとは思ってないぞ」

「アマっち」

 ──そのあだ名で呼ぶな殺すぞ。

「……話の腰を折るなって言いたいんだろ。わかったから続けろ」

 腹を割って話そうと佐竹が言ってからというもの、薪が弾ける度に、僕の胸中は穏やかでいられなかった。宇治原君が僕のことを『死んでくれ』と思うくらい嫌っていることは、なんとなく察していた。

 そこまで毛嫌いしているならば、いくら佐竹が言葉を尽くしても動かないはずだけど、宇治原君はこのキャンプに参加した──これは〈矛盾〉だ。


 

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