【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百六十八時限目 宇治原と流星[中]


「だいたい、お前の目が気に入らない。自分以外は馬鹿だから相手にしたくないって思ってる目だ」

 そういう時期はなかったな。どちらかと言えば逆で、才能を羨んでいた時期の方が多い。

 宇治原君はかなり的外れなことを言って、それがさも事実かのように声を張り上げているのだが、宇治原君の隣にいる佐竹はぴんと来ないようで、「お前なに言ってるんだ?」と目が語っていた。

 けれど、僕の隣に座っている流星だけは感心したように拍手を送る。

「凄いな宇治原。全くもってその通りだ」

 流星が堪らず失笑すると、宇治原君の耳までも赤くなった。

「流星。悪ノリが過ぎるよ」

「アマっち、マジで勘弁……普通に、ガチだから」

 僕と佐竹が流星に言うと、やれやれって肩を竦めて大袈裟に溜息を吐いた。

「こういうのを義信たちは〝ネタ〟って言うんだろ。違うのか」

 と言ってひょいと立ち上がり、宇治原君の正面に立った。

「宇治原。お前の言い分はわかる。でもな。自分を棚に上げて優志を責めるのはよくない。なあ宇治原。優志が網を洗っている間に吐いた言葉をオレは覚えているんだが、あれは陰口じゃないのか? それとも本人に伝わらなければ許される、とでも思ってるならおめでたいやつだとしか言えないけどな……どちらも等しく悪口だとオレは思うぞ」

 僕からは流星の背中しか見えないけれど、流星の声音から嘲笑しているように感じる。

「一言一句再現してやってもいい。これならお互いにフェアだな」

 トドメとばかりに付け足した言葉は、宇治原君のメンタルをごっそり削ったようだ。ぐっと握った両手が、ぷるぷると震えている。

「……ふざけんな、クソッ」

 宇治原君はそう吐き捨てると踵を返し、八つ当たりするかのように地面を蹴っ飛ばして歩き、テントに向かっていった。

「アマっち、さすがに言い過ぎだぞ」

「義信だって宇治原の陰口を訊くに耐えなそうにしていただろ」

「そりゃそうだけど」

「あの……僕が発言する前に終わらせるのだけはやめてくれる? 僕はまだ宇治原君に一言も反撃してないんだけど?」

 ──そりゃあ、優志が言うともっと酷くなるだろ。ガチで。

 ──お前のはネタじゃ済まないからな。

 二人とも言葉は違えど同じことを言う……仲よしさんかよ。

「信用されているのかされていないのか、複雑な心境だよ」

 不完全燃焼で腹の底でもやもやした物が溜まっているが、二人が言うこともあながち間違いではない。僕は、宇治原君が相手だと敵意を隠しきれないから。

「とは言っても、困ったな……これじゃあ宇治原君から情報を訊き出せそうにない」

「そこはオレに任せろ。アイツを怒らせたのはオレだからな。自分のケツは自分で拭く」

 なにこの子イケメン!

「ってことで、あとは任せたぞ義信」

「おう……って、はあ!? ちょっと待てよアマっち!」

 然し、流星の足は止まらずテントへと向かっている。

「おい、アマっち!」

 佐竹が声を大にすると、流星はテントの手前で足を止めて振り返った。

「義信、お前はあとで殺す」

 中指を立ててべえと舌を出す仕草は、反則過ぎるくらいエリスたんだった。




 * * *




 「余計なことをしたみたいだな、すまん」

 佐竹は僕の隣に座り、遠方にある山々を見つめながら呟く。口元は薄っすら弛緩しているが笑っているわけではなく、どちらかといえば、不甲斐無い自分が情けなくてうんざりしているような表情だ。右手の中には、収まりがいいゴルフボール大の石。それを、手の中で器用に転がしている。

 表面がつるつるしているその石は、長年、川の中で揉まれて角が取れたのだろう。おそらく、午前中の川遊びの際に川の中から拾い上げたに違いない。

 ふと、無闇に山の物を持ち帰るべからず、という怖い話があったなと思い出した。が、死体があがったという噂もない平凡な川だ。持ち帰ったところで呪われる心配も少なそうだ。然し、石をコレクションする趣味があったなんて。一年間、佐竹の人となりを見てきた僕だったが、案外知らないことのほうが多いのかもしれない。

 そんなことを考えていると、持っていた石をオーバースローで川に投げた。石は緩やかな弧を描き、川の中腹に落ちる。水しぶきが太陽光に照らされてきらきら輝く……なんてこともなく、とても地味な構図だった。

 特別、あの石を気に入っていたようではないらしい。

 手持ち無沙汰を紛らわせるために水着のポケットから取り出したものの、処分に困って投げた。そんな感じだろう。

 ふっと鼻で笑う、佐竹。

「どうして、やることなすこと裏目に出るんだろうな……ガチで」

 その理由は、考えが至らなかったとか、配慮が足りなかったとか、リスク管理が甘かったとか、あげつらえばきりがないけれども、一番の失敗は、僕の頑固さと宇治原君の底意地の悪さを図り違えたことにある。

 水と油が混ざらないのと同じく、僕と宇治原君は絶対にわかり合えない存在だ。ここでもし宇治原君との溝がなくなったって『無害なクラスメイト』に戻るだけ。それ以上は、僕も、宇治原君も望まないだろう。

 好きの反対が無関心というのなら、僕は宇治原君を空気のように扱うべきかもしれない。でも、それでは腹の虫が収まらないのだから、お互いにいがみ合う、いまこそがベストとも言える。

「佐竹は」

「おう」

 数秒間を開けて、

「佐竹は、僕と宇治原君が仲よくしているほうがいいの?」

 訊ねる。

「ううむ……」

 佐竹は両手を組んで唸った。

「仲よくしろ、とまでは言わないけどよ。お互いに嫌な気持ちを抱えたまま卒業するのは寝覚めが悪いだろ?」

 佐竹は、思いの丈を話すように持論を展開していく。

「俺は、蟠りを残したまま卒業するのはすっきりしなくてさ。普通に」

 普通……広く一般に通ずること。

 とどのつまり〈一般論〉であることを、佐竹は言いたいのだろうか。

 常識的に考えて、と前置きをする人間の大半は、マウントを取りたがる人間の皮を被った戦闘民族だが、佐竹の場合は単なる口癖……わかっているけど、どうしてもツッコミたくなってしまう。

「普通だったら、そういう遺恨のひとつやふたつ残して卒業するものじゃない?」

 卒業したその後、嫌いな人物と関係を持つことは無くなるのだから、蟠りを残そうが、遺恨が晴れなかろうが、関係ないはずだ。

 それらを含めて〈卒業〉。

 わざわざクラス全員分のルートを攻略して、ハッピーエンドのその先にあるトゥルーエンドを目指そう、とする佐竹の思考が理解できない。

 ゲームであればセーブ・ロードを駆使して実行可能──それだって苦痛が伴わないとは限らない──だけれど、現実でそれを実行しようとするのは、はっきり言って狂気の沙汰だ。一クラス三〇人だったら、自分を省いて、大小問わず二十九パターンのイベントを突破する必要があり、クリアして手に入るものは〈全員笑顔の卒業写真〉のみとか……やっぱり人生ってクソゲー。

「綺麗事だって、優志は思うだろ?」

「まあね」

「俺も、そう思う」

 そう言って立ち上がると、そこら辺に落ちている小石を精査しながら見つめる。

 手頃な石を見つけて拾いあげたその石を、今度はぐっと腰を落としたアンダースローで投げた。

 小石は三回川の表面を跳ねてから失速し、ぼちゃんと音を立てて川底に沈む。

「でも俺は、そうしたいんだ」



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