【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百六十四時限目 鶴賀優志はいつも通りをする


 水瀬先輩との待ち合わせ時間よりも早く到着した僕は、壁に寄りかかりながら腕時計をちらりと見た。予定時刻は九時半。現在の時刻は八時五十五分。三〇分前行動が常識とされる待ち合わせ事情ではあるが、それにしても早過ぎた。

 電車を一本遅らせれば、到着するのは九時二〇分頃。それでも充分間に合うけれども、バスが予定より早く駅に到着してしまい、乗らないはずだった上り電車に乗れるとあらば、「ええい、乗ってしまえ」と考えなしに乗り込んでしまうのもわけないだろう。

 しかも、その電車が思いの外空いていたら?

 最寄駅からここまでの距離は時間にしておよそ一時間弱。その間ずうっと立ちっぱなしで電車に揺られたり、すし詰め状態に耐えたりするよりも、涼しい顔をしながら座っていたほうが楽なのは、火を見るよりも明らかだ。

 とどのつまり、これは時間の前借りである。予定通りの電車に乗り込み、待ち合わせ時間に間に合うかとハラハラドキドキしているよりも、余裕を持って現地入りしていればその心配をする必要もない……それは前借りじゃなくて前倒しなんだよなあ、というツッコミは野暮というものだ。

 池袋東口は待ち合わせをしているカップルらしき片割れも多いが、今日は家族連れも目立つ。なにかイベントでもあるのか、と一組の家族連れの会話を盗み訊いた。どうやら、サンシャイニングビルの中にある〈ナンナンジャタウン〉で、子どもと奥様方に人気のヒーロー〈爆睡戦隊カイミンンジャー〉のタイアップ企画が行われるようだ。今日はその初日。来訪者が多いのも納得である。

「爆睡戦隊カイミンジャーって、すごいパワーワードだな」

 都会の喧騒をいいいことに、ぼそりと呟いた。




 夢の中で人間を襲い、良心を奪われた人間たちが怪物になって他の人間を襲う〈ナイトメア事件〉が発生した架空の日本が舞台。日本を救うために全国から選ばれた──睡眠の質がいい──五人の勇者たちがナイトメアに襲われた人々を救いながら、悪夢の元凶ナイトメア・ハデスの野望を打ち砕く、というのが大元のストーリーとなっている。

 ヒーロー戦隊の名称こそ「ダジャレかよ」とツッコミを入れたくなるけれども、物語はかなりシリアスだったり、恋愛要素も含まれていたりと大人も楽しめる内容だ。特に、展開されているグッズが面白い。

 戦隊モノのグッズと言えば、ヒーローが使う武器やロボットだったりが主流である。だが然し、爆睡戦隊カイミンジャーは『上質な睡眠』がテーマになっていることもあって、『安眠枕』などの日常で使える安眠グッズも打ち出した。それがSNSで「ネタで買ったけど、この枕やばい」と話題になり、いまでは入手困難なほど反響を得て〈爆睡安眠枕〉がトレンド入りするほどにまでなった。これには制作スタッフたちも驚きを隠せない様子で、ホームページに『類似商品に騙されないで』と注意喚起していた。




 携帯端末でアンミンジャーのWikiをぼうっと読んでいると、だれかに肩を叩かれた。

「おはようございます! いい天気ですね」

 とびっきりの笑顔を僕に向けて、水瀬先輩は言う。 

「おはようございます」

 携帯端末をジーンズの左ポケットに突っ込んでから、顎を引く程度の会釈をした。

「時間ギリギリになってしまってごめんなさい……かなり待ちました、よね?」

「いえ。……そんなことよりも、敬語になってますよ」

「あ! 普段も敬語だから、つい」

 水瀬先輩は、はにかんで俯く。

 今日の格好は前にも被っていたベレー帽に、深緑のワンピース。足は白いベルトがついた厚底のサンダルを履いていた。厚底の靴だから。厚底だから……そう自分に言い訊かせて誤魔化した。

 夏らしい、爽やかな服装だと思う。

 対する僕はというと、無地の白いカットソーシャツとジーンズ。どうしようもなく無難なコーデだ。当然ながら、ジーンズは安心価格の島村製である。高校生なんてこんなものだろう。佐竹たちがオシャレ過ぎるのであって、僕は絶対に悪くない。

「……どう、かな?」

「とても似合ってますよ」

「ちょっと背伸びして正解でした」

 物理的にも背伸びしてますね! というツッコミはしないでおく。

 水瀬先輩が着ているワンピースは、どうやらブランド物らしい。ブランド、か。僕が知り得るブランドで、ガーリッシュなAラインを作るブランドといえば〈ファンシーキャット〉が思いつくけれど。ファンキャンのワンピはスカート部分にもっと折り目が付いていて、回転するとふんわり傘のようなシルエットができる。が、水瀬先輩が着ているワンピに折り目はなく、大人びた感じだ。

 腰紐が蝶々結びになっていて、ウエストを細く見せる……そうなると、大学生に人気がある〈ミラー&ミラージュ〉か。メンズ服よりも女性服に詳しいのは、女装の参考にファッション雑誌を読んでいるからに他ならない。だけど、「そのワンピってミラミラですか?」なんて質問したら若干引かれそうで、胸中だけに留めるのみとした。女性服に明るいことは、自慢にならないだろう。

「それにしても、どうしてこんな早くに?」

 訊ねると、水瀬先輩は発言を躊躇うかのように閉口する。

「水瀬先輩?」

「実は、行きたいお店があって」

 どうも歯切れが悪い言い方だ。

「いまから行くわけですし、隠す必要はないと思うんですけど……」

「そう、だよね……うん」

 そこまでしてようやく決意するとは、いったい僕をどんな店に連れていくつもりなんだ……ちょっとした不安が脳裏を掠める。

「場所は向かいながらでも話すね? いこっか」

「はい」

 そして、僕はいつも通りに──。

「ふえっ!?」

「……あ」

 しまった、完全にやらかした!

 女性と二人きりという状況はだいたい天野さんが相手で、その場合、僕は高確率で優梨を演じている……だから、ついつい勘違いしてしまった!

「う、嬉しいけど、て、手を繋ぐのは、ちょっと恥ずかしい……かも」

「で、ですよね! ……すみません」

 繋いだ手を、僕は離した。

「優志君って、実は大胆だったり、する?」

「そんなことはないんです。本当に」 

「それじゃあ……わたしが相手、だから……?」

 なんとかジャッシュのすれ違いコントかよ! ……ああ、自分で自分の墓穴を掘り進んでいる気がする。墓穴は掘っても入る穴がないのはどうしてだろうか。虎穴に入らずんば虎子を得ず、なあんてことわざもあるけれど、それは単なる穴通がり。穴だけに。

 僕は恋愛に積極的ではないけれど、消極的とも言えない。そうは言っても、ここで水瀬先輩の発言を否定すれば、それこそ大問題に発展しかねないじゃないか。まさかのまさか、こんなところで背水の陣に挑むことになろうとは、予想すらしていなかった。


 

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