【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

五十六時限目 初デートは愁いを帯びて〜天野恋莉の場合〜[後]


「さあて」

 店長さんがしたように、私も両手で頬を叩いた。

 気合を入れる。

「ユウちゃん」

「え、なに?」

 私の前に座っていたユウちゃんは、不意に名前を呼ばれて肩をビクッとさせた。

「着替えようと思うけど、ドアの鍵は開けたままにしたほうがいい?」

「覗く前提で話が進んでる!?」

「冗談よ」

 言って、荷物を持って立ち上がる。

 くるっと踵を返してから、

「……半分ね」

 ユウちゃんの耳に届かない声量で、呟いた。




「せまっ」

 シャワー室に入って、まっ先に浮かんだ感想だった。

 店長さんが言っていた通り、温水は使えないみたいだけど、好意で貸してもらったのだから文句を言ってはいけない。

 洗面台にある鏡を見て、はあと溜息が漏れた。

 ユウちゃんは、とてつもなく可愛かった。それに引き換え、私がユウちゃんに勝てるとしたら、両胸にある脂肪の塊の大きさくらいなものだろう。それだって、ユウちゃんが作ろうと思えば作れなくはない。

 作って似合うかは別として、ではあるけど。

 服を脱いで、棚上に置いてある籠に畳んで入れる。ナイロン製の黒いナップサックは、中学のテニス部で支給された物だ。メーカーのロゴが白でプリントされてあるその袋から、ユウちゃんが選んでくれた水着を取り出した。

 大人っぽい真紅のワンピース水着は、ちょっと背伸びし過ぎたかも知れない。あの日、自宅に水着を持ち帰り、ベッドの上に広げてそう思った。

 買ったことを後悔していないとはいえ、私が着こなせるかという不安は、魚の骨みたいになって、今日までずっと喉に引っかかっていた。

 ──恋莉はスタイルがいいから、なにを着ても似合うのが羨ましい。

 昔からそう言われ続けてきたけど、自分ではそう思わない。

 身長はクラス全体の中間よりもやや後ろで、髪型は中学時代にテニスをしていたこともあり、その名残りでミディアムショートヘアにしている。伸ばしたい気持ちもある。だけど、三年間同じ髪型を通していると、長い髪は落ち着かない。

 スタイルがいい、という評価は、おそらく私の胸を見ての評価だ、といまも思っている。そのせいで、胸が強調される襷掛けのバッグを敬遠していた時期があった。

 男子からも、女子からも、皆が見るのは先ず胸元。

 望んだわけじゃないのに。

 徒競走、跳び箱、私が体を動かす度に男子たちは『爆乳やべえ』と冷やかし、女子たちは『調子に乗ってる』とあられもない理由で陰口を叩く。

 脂肪吸引でもしろってか! なんて、反論するのも疲れてしまった。

 過去を思い出すと、あまりいい思い出がなかったことに気づかされて、ブルーな気分になってしまう。

 ネガティブは、いけない。

 ふと鏡を見た。裸のまま、ワインレッドの水着を抱き締めている自分が、そこにいた。慌てて袖を通し、袋の中に入れてあったブラシでササッと髪の毛を整える。

 えい、と踏鞴たたらを踏む。

 ユウちゃんみたいに一回転してみたけれど、やっぱり、紅の水着を身にまとった案山子が強風に煽られて一回転した、みたいだった。




 着替えが終わり、後片付けもした。忘れ物もない。よし、準備は万全に整ったわ! と意気込んでドアノブに手を掛けたとき、どうしてかドアノブにかけた手が動かなかった。

 バクン、と心臓が鳴る。

 ユウちゃんがドアを開けるのを躊躇った理由は、この先に進むと一切の油断はできないと思ったからだ。ユウちゃんが〈優梨〉である以上、それがバレるわけにはいかない。いざってときは、私がフォローしなければ。

 私がユウちゃんを守らなきゃ。

「そんなこと、できるの……?」

 ユウちゃん、元い優志君は、非常に繊細な心の持ち主で、だからこそ、自分が傷つかないように周囲から距離を置いている節がある。遠慮ではなく、自己防衛のため。

 それにも拘らず、今回はかなりリスキーなことをさせてしまっていると気がついて、申し訳なさでいっぱいになった。

 仮に不遜な事態に陥っても、私が知り得る性格から鑑みて、ユウちゃんは無理にでも笑って「大丈夫」と言うはずだ。

 それは、望んでない未来。

「もっと、大切にしてあげたいな」

 他人の意見を尊重し過ぎる傾向にある彼に、無理強いはさせたくない。ユウちゃんと楽しい一日を過ごしたいなら、私になにができるだろう。彼が、彼女が心から笑えるような日にするには、どうしたらいい?

 優志君は半透明で、無色のような存在だ。

 自分の色を周囲に合わせるカメレオンではなくて、自分の色を消して風景に溶け込もうとするのが彼。ユウちゃんになっても『儚げな印象』として残っている。

 強い感情を表に出さないようにしている、とも言えるけど、優志君の意思は彼の内側にしか存在しない。

 知りたい、と思った。

 ユウちゃんが、いや、優志君がいつもなにを考えて行動しているのか、一つ一つの意味を隈無く知りたい。

 私は、どうしようもなくユウちゃんが好きで、恋人になりたいと心から思っている。だけど、選ぶのはユウちゃんであり、優志君だ。

 選ばれたい。

 心から、求めて欲しい。

 まだ体を委ねる覚悟はできないけれど、頬にキスくらいなら、いい。

 私は強欲だ。

 ユウちゃんを振り回して、それでいて、二人きりの時間がいつまでも続けばいいのにと、この期に及んでもその気持ちは消えない。

 私は狡い女だ。

 浅ましくて、図々しくて、酷い卑怯者。

 だけど、選ばれたい。

 選んで欲しい。

 ずっと傍にいて欲しい。

 ……そう思ってしまう自分が、私はとても嫌いだ。


 

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