【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四十八時限目 月ノ宮楓は彼を知る[後]


 佐竹さんは「感情で語れ」と言った。

 感情で損得を決めるのは愚行だ、とお父様から教わっている。

 常に先を考えて行動することこそ、成功への第一歩。その場の感情だけで判断したら、失敗したときの損失は計り知れない。利益を得られないと判断すれば、無情になって切り捨てるのも経営者には必要である。

 この教えを守ってきたからこそ、いまの私がある。

 教えを完璧にこなせているとは言えないが、常に意識はしてきた。

 佐竹さんの言い分は、これに反する。

 郷に入っては郷に従えということならば、それもまた然りとはいうものですが……。

「陳腐になってしまうかも知れませんが」

「おう」

「私は、恋莉さんを世界一、いや、宇宙一愛しています」

 沈黙のあと、

「恥ずかしくねえの? マジで」

「言えと仰ったのは佐竹さんではありませんか……!」

 恥ずかしくないわけがないでしょう! と声を荒げたくなる気持ちを抑えて、ふいっとそっぽを向いた。星座の文字盤を示す針が、おひつじ座とおとめ座で止まっていた。

「そこまでの想いがあるなら、もっと積極的に動けばいいだろ」

「そうしたいのは山々なのですが、触れたら壊してしまいそうで怖いのです」

 花壇に咲いている美しい花を、我儘で摘み取ってしまってよいのだろうか。摘み取って、その花に見合う花瓶に挿したとしても、私が目を離した隙にしおれてしまうかもしれないし、栄養過多で枯らせてしまうかも知れない。

 それは、とても恐ろしいこと──。

 彼女が彼女で有り続けることこそが私の望みであり、それが彼女の美しさだと理解している。それ故に、迷ってしまう。戸惑ってしまう。手を伸ばすことを恐れてしまう。

 自らのエゴで彼女の日常を侵食するのは、有象無象と切り捨てた他人と同じだから、どうしたらいいのかと悩んで、思考の迷路に迷い込んでしまう。もう何度となく踏み込んだ思考の迷路が、いつまで経っても攻略できない。

 鬱屈を吐き出そうと空気を吸い込んだ。そのとき、部屋に充満していたはずのレモンティーの香りが消えているのに気がついた。嗅覚がその香りに慣れてしまったせいで、爽やかなレモンの香りを嗅ぎ分けられなくなったと言うほうが正しい。

 このままずっと付かず離れずの距離を保ちながら悶々と悩み続けて、いつの日かそれさえも『日常』になってしまったらと思うと怖くなる。

 急に、室内温度が下がった気がした。

「佐竹さん、私はどうすればいいんでしょうか」

「そうだなあ……」

 自分の恋愛は、自分でなんとかするのが筋というもの。だけど、出口があるかすらわからない暗闇の中を進むのは恐怖でしかなく、私はいつからかその歩みを止めてしまった。

 ──つまり、恋莉が好きなんだろ?

 ──いいえ、愛してます。

「急に重たくなるのやめろ……」

 もうお腹いっぱいだ、みたいな顔で苦笑いする。

「楓は単純に、自分が恋莉に拒絶されるのが怖いんだろ? そりゃあ、俺だって優志に拒絶されんのは辛い」

 私に向けての言葉なのに、自分に言い訊かせるような声。

「そう、ですね」

 そう、頷いた。

 佐竹さんは最後の一滴を飲むようにカップを呷り、「かあ」と声に出す。……そういう類の飲み物ではないのですが。そして、せきを切ったように「多分」と口を開いた。

「恋愛は等しく互いを傷つけ合うもんじゃねえかなって思う」

「はい」

「だから告るのは怖いし、振るほうも振られるほうも嫌な気分になる。運良く付き合えたとしても、考えかたの違いからわだかまりが生まれて唐突に別れが訪れたりする。けど、じゃあ、告ってオッケー貰って、その後どうだったって思い返すと、嫌な思い出ばかりじゃねえなって思うこともあんだろ」

 腑に落ちない。

 どうして私が失恋する前提で話を進めているのか。

 でもまあ、最後まで訊いてから異議を唱えればいい。

「自分の気持ちに嘘いて逃げるより、真っ向勝負を仕掛けるほうが清々しいんじゃね? 少なくとも、恋莉だったらそうするだろうな」

「こういうときだけは流暢に語るのですね」

「うるせえな」

 長台詞で水分が欲しくなったのか、佐竹さんは紅茶のポットに手を伸ばす。でも、さっき飲んだ分でおしまいだったようで、佐竹さんは「ねえし」と文句を垂れた。

「仕方ががありませんね。どうぞ」

 私のレモンティーを差し出す。

「いやお前、それいいのか?」

「なにがですか? 間接キスなどと戯けたことを言うなら、頭から飲ませて差し上げますよ」

「それならせめせて口にくれ……」

 わるいなと断りを入れて、

「このレモンティー、普通に美味いな」

 普通という言葉が褒め言葉になるのか、微妙なところですね。

 この家で紅茶を淹れるのが一番上手いのは、佐竹さんが手料理を断った高津さんだけれど、もう一人、紅茶を淹れるのが上手なメイドさんがいる。ちょっと気難しい性格で、それが雑味として味に出るのがたまに傷ではあるものの、それを差し引いてもいいくらい美味しい。

 彼女のことは嫌いではないのですし、仲よくしたいとも思う。でも、如何せん彼女が私を嫌いなようで、出勤した際も必要時以外は声を掛けてくれない。……綺麗な方なのでけどね、ちょっぴり残念。

 佐竹さんは私が口にした部分を避けて、ぐいっと飲み干した。

「ごちそうさん」

「お粗末様でした」

 ほっとしたのも束の間、ぐううと大きな音が佐竹さんのお腹辺りから訊こえた。 

「つか、マジで腹減って死にそう」

「そうですね。長話が過ぎました」

 佐竹さんは「よっこいせ」と立ち上がり、ぐいっと背筋を伸ばした。

「飯、なににする?」

「今し方まで恋や愛を語っていた方とは思えない発言ですね」

「こっちはずっとオアズケ食らってたんだよ!」

 はいはいとあしらい、立ち上がって椅子を元の位置に戻した。

 携帯端末を取り出して、なにやら検索をかけている姿を見ながら、佐竹義信という男性について考えた。

 普段こそ挙動不審で、『ヤバい』『ガチで』しか言わないくせに、大きなことを成し遂げようとするときに限り本領を発揮させる。それがリーダーの素質だということを、彼がわかっているのかまではわからないが、土壇場の底力でも認めざるを得ない。

 彼の言葉には、私の胸を衝き動かす『なにか』を感じた。それだけでも充分賛辞したいけれど、本懐を遂げるその日まで賛辞の言葉は取っておくことにした。

 その代わりといっては難ですが、お昼くらいはご馳走しましょうか。

「なあ、もういこうぜ?」

 携帯端末をポケットの収めて、振り返りながら言った。

「待てをされた犬じゃないのですから、そう慌てないで下さい」

 かと言って、彼は忠犬でもない。

 どちらかと言うと、駄犬でしょうか?

「おい。いま、俺に対して滅茶苦茶失礼なことを思ってただろ」

「よくわかりましたね」

「顔に書いてあったからな」

 どこかで訊いたような応酬。

 多少なりともお互いについて理解を深められたようで、午前の時間を費やした甲斐はあったみたいですね、と安堵した。

「昼食を終えたら、直ぐに作戦会議ですよ」

「おうよ」

 得意げに、彼は笑った。

 無駄な時間を過ごしても、そこに意味があるのなら無駄ではない。そもそも『無駄』かは自分が決めることであって、第三者が岡目八目に言う台詞ではないのだから。……さて、昼食はどうしましょうか。彼が言いそうなところで、ラーメン辺りが無難でしょう。丁度、馴染みの店の塩ラーメンが恋しくなってきた頃合いです。








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 by 瀬野 或

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