【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百六十一時限目 その日、彼は一歩だけ踏み出す[後]
私たちは駅へと向かて歩き出した。
階段を上り終われば切符売り場と改札、そして窓口。広くない構内には切符を求める人々の行列ができている。切符を求める人々の大多数は子ども連れが多く、疲れた子どもを抱きながらあやす姿も見受けられた。その光景を見て、『家庭を持つ幸せってなんだろう?』なんて疑問が浮かんだ。
結婚願望も、子どもが欲しいという感覚も、よくわからない。ただ、「花火、また見にこようね」と会話している親子の姿は、望む、望まないは別にして、『微笑ましいな』って思う。自分の子どもなんて想像できないけど……。私は『産む側』になれない。だからといって、父親になった自分もピンとこない。それは、『親になる』って覚悟がないからだ。
私は、どっちになりたいんだろう……。
まるで一つの集合体のような人々の群を見て、「すっげえ人集りだなあ」と呟いた佐竹君は、麦わら帽を背中にしている。ゴムの異能を持った海賊の船長スタイルだけど、船長にしては頼りないのがたまに傷。私の前を歩く彼の背中は、ちょっと猫背。なで肩の私と違って肩幅は広いのに、猫背が全てを台無しにしていく。学校の制服を着ているときは気がつかなかったのにな。それだけ油断してるってことにもなるけど、学校では佐竹君なりに気を張っているようだ。
「つうか」
佐竹君は立ち止まって、周囲をキョロキョロ窺う。
「なに? 日本の通貨は円だよ?」
「そうじゃねえよ! ……いや、そうだけど。浴衣着てる人、マジで少ねえなって思って」
浴衣姿の人は少なく、私たちが悪目立ちしいているように思える。気にすれば気にするほど衆人環視は鋭利に刺さるもので、なるべく気にしないように努めていればどうということもない。
人の目が気になり始めると、余計な雑念に思考を奪われてしまう。
夜道を歩いているとき『あの角を曲がったらなにかいそうだ』と思えば、本当に『なにか』の存在を感じてしまうのと同じ。見えないのならば『見えない』と高を括り、臭いものには蓋をしたほうが利口まで言える。
改札まで数メートルの距離で、佐竹君は再びピタッと足を止めた。
「もう! 進むのか、止まるのか、どっちかにしてよ」
私の苦情を無視するみたいに、うんともすんとも言わない。
「ねえ、どうしたの?」
どうしたいのって意味も含めたつもりだったけど、佐竹君はそれを感じ取る様子もなく、背を向け続けた。
「むーしーすーるーなー」
冗談みたいに回り込んで佐竹君を見上げると、寂寞たる想いを呑み込んだみたいに微笑んだ。
「そういうの、ずるいと思う」
表情だけで察しろなんて、都合がよ過ぎ。
「言いたいことがあるなら、ちゃんと私の目を見て言ってよ」
「いや、あの……、なんっつーか……」
ある程度の察しはつくとはいえ、それを私から言うのも違う。
勿論、試しているつもりはない。
そこまで意地悪をする理由もないのだから。
佐竹君が口を開くまで睨めっこしていると、意識の読み合いに疲れたみたいに「はあ」と息を零した。溜息を吐きたいのは私のほうだよって目で訴える。やれやれ、みたいな顔。私の眉を読んでその反応を選んだとしたら、私が言えた義理ではないけど、かなり鈍感だ。
「電車、まだあるよな?」
「あるにはあるけど」
ちらり、電光掲示板に視線を移す。この電車を見送ると、次に来るのは一時間後だ。着慣れない服を身に纏い続けるのは落ち着かなくて、浴衣を脱ぎたい気持ちが逸らせる。でも、この状況で「早く帰りたいからいやだ」と答えるのはさすがに気が引けた。
夜の時間は昼よりも本数は増えるとはいえ、都合よく乗り換えができるわけではない。来た電車に乗り込んで、その後、一時間待たされるなんてざらにあるのが田舎の電車なのだ。不便だけど、都会よりも客が少ないのだから致し方ない。
「次発は一時間後なんだよ?」
「その一時間を、俺にくれないか?」
ここまで言われて断るのはない、か……。
「わかっった。でも、場所は移そっか」
混み合う駅でするような話でもないだろうしって続けると、佐竹君は頷いた。
「取り敢えず、駅から出ようぜ」
* * *
私たちの足は、自ずとダンデライオンの方向へ。
これはもう習性と言っても過言ではない。『東梅ノ原=ダンデライオン』という式が刷り込まれていて、示し合わさずともそちらへ向かって歩き出すのは佐竹君も同じだった。
居酒屋の軒下にある赤い提灯が、ぼんやりと店頭を照らしている。本日のおすすめは『鮎の塩焼き』と『かんぱちの刺し身』らしい。『地酒のおともにどうぞ』なんて誘い文句は、酒飲みの心を擽りそうではあるけれど。
店から漏れる音は、人の話し声よりもテレビの音が大きかった。人通りが乏しい裏路地で、客を集めるのは至難の業だろう。ダンデライオンでさえ閑古鳥が鳴きそうな日が目立つのだから、個人が営む居酒屋なんてもっと難しい。
カフェだったら珈琲を飲みつつ読書をしたり勉強もできる。でも、居酒屋で酒を飲みながら読書をしたり、勉強をするなんて訊いたことがない。できることが限られていると、それだけで不利になる。特に、居酒屋のメインターゲットは成人であり、未成年が気軽に立ち寄れる店ではないのだ。
都会では、日中の営業はカフェで、夜になるとお酒を出すという二部営業をしているBARもあるけど、それは人通りが多い都会だからこそ成り立つようなもの。こんな田舎の路地裏でボロい外観の居酒屋がその営業を真似ても、集客は見込めないだろう。
まあ、こういうお店って金儲けが目的とは限らない。常連さんたちが気ままに交流を楽しむって意味合いが強くて、そのためだけに営業しているような雰囲気もある。お店も、お客も、目的が同じだったらこれでいいのかも知れない。
居酒屋を過ぎて、ダンデライオンの前まできた。照史さんは帰宅してしまったようで、店のシャターは閉まっている。いつも出入りしている店が閉まっているのを見ていると、うら寂しい気持ちになった。当たり前が当たり前でなくなる瞬間のような、行きつけだった近所の駄菓子屋が閉店したときと似た感覚。
「やっぱ、閉まってるよな」
侘しさが、声に漏れていた。
「時間も時間だし」
佐竹君は「そうだな」って呟いて、また私の一歩先を歩き始めた。
百貨店裏手にあるパーキングまで着くと、佐竹君は足を止めた。
ここより先に進んでも手頃な場所は見つからないし、駅からどんどん遠ざかるだけだ。電車の時間を考慮すると、ここが限界だって考えたのかも知れない。駅までの往復に二〇分と考えて、話ができるのは三〇分弱だし、人目につかない場所を目指していたならここでも充分だ。座りたいって思ったけど、贅沢は言えない。
駐車場の電灯が照らす道の隅に、私と佐竹君の影が伸びる。ひっそり閑とした路地裏に、表通りを走る車のエンジン音が響いた。蕭々とした生温い風が吹き抜けて、私の髪を揺らす。これから始まることを思うと落ち着かず、緊張が喉が喉を締め付けて息苦しい。
求められるがまま時間を割いたのを後悔し始めた頃、佐竹君が重い口を開く。
「あのさ」
両手を固く握り、なんとか振り絞ったであろう声は、ちょっとだけ震えていた。
「うん」
「俺は、まだお前に認められてないってわかってる」
意外な言葉に、つい「え?」って声が出た。
「今回の件でわかったんだ。俺は、まだまだ未熟過ぎるって」
「それはいまに始まったことじゃないでしょ? 私だって、まだまだだよ。中途半端で、求められた答えも出せてない」
「そうだな」
ああ、やっぱり。
罪悪感で、心がいっぱいになった。
「でも、それはお前だけが悪いとは思わねえんだ」
優しい言葉をかけられて、尚更に心がぎゅって締め付けられた。
どんな顔をして向き合えばいいのか……。
「ごめんね。もっと、ちゃんとするから」
いまの私には、そう答えるしかできない。
曖昧な回答だし、言い訳だ。
惨めだけど、悲劇のヒロインを演じるのは卑怯だと思う。
だから、どんな軽口も呑み込んで受け入れよう。
そう思い直して、向かい合っている佐竹君の顔を見──
「俺も、恋莉も、お前が好きだって言っておいて、その答えを丸投げしてるようなもんだし。それでお前が滅茶苦茶悩みまくってるのも、なんとなくだけどわかる。……いや、そうじゃなくて。俺が言いたいのはもっと違くて」
あーもーわけわかんねえ! と言いながら両手で頭を掻いた。上手く言葉を伝えられないもどかしさは、佐竹君の語彙力が低いからってわけじゃない。思いの丈を全て言葉にできるような人間なんて、この世界にいるはずがないのだから。
「レンちゃんも、佐竹君も、私の想像を絶するほどに悩んで、葛藤して、それでも気持ちを伝えてくれたんだから、丸投げしてるなんて思ったことないよ」
レンちゃんは、私が男子だってことを知った上で告白してくれた。佐竹君は、自分の恋愛観を変えてまで向き合ってくれた。そんな二人を、悪く言えるはずがない。
「そうじゃねえんだ。俺が伝えたいことって、もっとこう……ああ、もういい!」
え──。
「ちょっと、佐竹……くん?」
力強く、抱きしめられた。
佐竹君の両手が、私の背中に触れているのがわかる。
「お前さ、最近、恋莉とばかり一緒にいるだろ。休みにデートしたのだって、知ってるんだ。そういうのを後から知ると、結構メンタルにくるんだぞ……」
「……ごめん」
「いや、謝る必要はねえよ。俺がもっと積極的に行動してればいいだけなんだ。でも、日々の忙しさに感けてなあなあにしてた。自業自得なのにさ、一丁前に不貞腐れたりしてたんだぜ? 笑えるだろ」
──笑えるはず、ないじゃん。
──なんだよ、いつもみたいに皮肉を飛ばしてくれていいんだぞ。
「ばか」
「違いねえ」
佐竹君の浴衣が頬に触れて、改めて生地のよさに気がついた。ツルツルではなく、ちょっと凹凸があるけど、滑らかな肌触り。結構、胸板が厚いんだとか、心臓がバクバク鳴ってるとか。求められる安心感もあって、複雑な心境。もしも、私が普通の女の子だったら、きっと恋に落ちるシチュエーション。
だけど、私の両手は力無く垂れたまま、彼の体を抱き締め返そうとはしない。なんの答えを出していないのだから、それは到底許されない行為だ。そう思っていながらも振り解こうとしないのは、彼に対しての罪悪感が先んじているからなのだろうか。案外、私の思考は冷静に現状を分析していた。
「依然として語彙力はねえけど、これからもよろしく頼む」
「うそ。本当はもっと語彙力あるでしょ。語彙力が無い人は〝依然として〟なんて言葉は使わないもん」
「さあ、たまたまだろ?」
たまたまなんて、あるものか。これまでも、その片鱗はあった。おそらくキャラ作りの一環で『語彙力のない自分』を演じているって、私は薄々勘付いていたけど、いまになって確信した。私程度に見抜かれるようじゃ、佐竹君に詐欺師の才能はない。
「こういうときじゃなきゃ言えそうにないからさ。もう一度、俺の気持ちを伝えていいか」
「だめ」
少しは空気読めよって苦笑いする顔が浮かんだ。
──俺は、お前が好きだ。
──うん、知ってる。
「なんだよ、その超上から目線」
「恋愛は、惚れたほうの負けなんだって」
「けっ、言ってろ。最後は俺が勝ってやる」
佐竹君の手が私の両肩を掴んで、優しく引き剥がした。
「帰ろうぜ、優梨」
佐竹君はそう言って、一歩だけ踏み出す。
「ねえ」
彼の背中に呼びかける。
「ちゃんと、答え……、出すから」
「ああ、楽しみに待ってる。ガチで」
振り替えらずに返事をした背中に、「えい」とタックルした。
「いやお前普通にコケるからやめろ!?」
でも、転ばない。
体育の成績だけは、クラスでもトップクラスだから。それなのに、運動部に入らないなんて宝の持ち腐れにもほどがある。
「格好つけてるからだよーだ」
「うるせえなあ、たまには格好つけてえんだよ」
静かだった路地裏に、私たちの笑い声だけがやたらと響いていた。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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