【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百五十八時限目 それぞれの想いを花火に向けて[前]
弓野さんが佐竹君たちを更衣室に連れ出したとするなら、着替え終わっていてもおかしくない頃だ。すれ違っている可能性も踏まえて非常階段の踊り場に出る。肌を刺すような熱と、海の匂いが富んだ風。踊り場の手摺りを掴んで眼下をぐるりと確認。びっしりと車が並ぶ駐車場に、それらしい人影はなかった。
「よかった」
まだ、着替えは終わってないらしい。
確信を得た私は、再び建物の中へと戻った。イベント会場の華々しさとは無縁の三階はオフィスビルに近いものを感じる。白い蛍光灯が照らす廊下を歩いていると、一般から寄贈されたであろう作品が飾られていて、この会場が『展示会場』ということを思い出させてくれた。
様々な人がこの会場に自作品を寄付しているようで、廊下を歩いているだけなのに美術展に来ているような気分だ。数ある作品の中で、一際目を惹きつける作品があった。素人目で見ても、圧巻。ダークブラウンの額に飾られている絵の下には銀色のプレートがあり、題名と作品提供者の名前が黒で彫られてあった。
題名 Period
作 KOTOMI SATAKE
ゴッホやモネのような印象を受ける筆使いは力強く、そして、流動的な線を描いている。然し、これはどこの学校だろう。夜の校舎、空には星の瞬きが無く、どんよりとして不気味な印象を受けた。この絵にある唯一の光源は、どこかの教室の窓から溢れる明かり一点のみ。深夜を思わせる時間、この教室で、だれがなにをしているのだろうか。題名に隠された意味とはなにか、好奇心と想像が掻き立てられる。
ピリオドの意味は『終止符』、慣用句にすると『ピリオドを打つ』がある。つまり、どちらも『終わり』を示す意味だ。絵の中に存在する学校の教室で、『だれか』の『なにか』が終わりを告げたと考えるのが一般的な回答だろうけれども、あの琴美さんが、そんな安直なメッセージを絵に込めるとは考え難い。
ふと、『終わり』ではなく『諦め』ではないか、と考えた。
教室の中にいる人物は、夜中の学校に忍び込んで、なにかと決別した。その行為は、だれにも見られたくないような行為だった。でも、だれかに見つけて欲しいという矛盾を、『教室の明かり』で表現したのではないだろうか。
「琴美さんって、ちゃんと美大生していたんだ」
ボーイズラブ漫画家『コトミックス』の側面しか見てこなかった私にとって、『佐竹琴美』名義の絵は、深く脳裏に刻まれた。
壁に飾られた絵画をちらちら見ながら歩いていると、前方から馴れ馴れしく「よう」と片手を上げて声をかけてきたのは、浴衣に着替えた佐竹君。
藍青色の浴衣に黄朽葉の帯を巻き、ハット型の麦わら帽を被っている。振袖から見える右腕には、皮製のブレスレットを付けていた。和服も似合うとは、さすがは学年トップレベルのイケメン。ここまで完璧に浴衣を着こなしていると、文句の付け所がない。
「浴衣にしたの?」
へえ、みたいな目をして見る。
佐竹君はちょっと照れながら、
「姉貴が〝絶対に着ろ〟って煩くてな。マジで」
俯いて、頬を指で掻いた。
「つか、その……、似合ってるじゃん。その浴衣。普通に、ガチで」
倒置法の連続が可笑しくて、頬が緩みそうになるのを堪えた。
嬉しい、という感情を、否定しいたいだけかも知れない。
「ありがと。佐田君も、似合ってるよ」
「お、おう」
優梨という存在が露になった頃から、『佐竹君』と呼ぶのがどうも気恥ずかしい。琴美さんに散々言われた後だったから、自分の中にあるもう一つの性を余計に意識してしまっているんだ。耳がじんわり熱くなるのを感じて、顔を逸らした。
「つうか、アレだな。下駄って慣れねえから疲れそうだ」
「それは、私も思う」
「草履でいいって言ったんだ、け……あ」
しまった、と口を抑ぐ。
「もしかして、琴美さんに浴衣をオーダーしたのは佐竹君なの?」
「あー、いや、ええっと」
「白状しなさい」
言って、彼のお腹辺りを軽くパンチすると、佐竹君は両手を挙げて降参のポーズをした。
「姉貴に〝浴衣と甚兵衛、どっちがいい?〟って訊かれてさ」
ふむ、どこかで訊き覚えのある質問だ。
「俺は〝甚兵衛でいい〟って答えたんだ」
で、蓋を開けたら浴衣だった、と……。
「琴美さんらしい嫌がらせ、だね」
「嫌がらせに金をかけ過ぎだろ。……あ、もしや俺の日給分がこれに回された!?」
私の報酬が浴衣だったから、可能性は充分にあり得る。
予定されていた日給よりも高価な品だし、文句を言ったら罰が当たりそうだ。だけども、佐竹君は『夏休みに使うお小遣い稼ぎ』を目的にして、琴美さんの手伝いをしていたから、ちょっと可哀想に思える。でも同情はしない。無駄遣いをしてきたのは佐竹君本人なのだから、金欠になっても自業自得。
「いざとなったら、本棚にある漫画を全部売ればいいよ。勉強にも集中できるようになるかも?」
「空いたスペースにBL本を並べる姉貴の姿しか見えねえ……」
たしかに、琴美さんならばやり兼ねない。「あ、新しい保管場所発見♪」って言いながら、自分の部屋の隅に積み重ねていた数々の薄い本を持ち運び、「デュルフフッ」って笑いながら並べてそう。
「過去の禁書だけはマジで勘弁だぞ……」
言葉だけなら厨二病臭い台詞──だが、嫌いではない──だけど、過去の禁書とは、とどのつまり『ガチのやつ』であり、それは、多大なトラウマを植え付けるには充分な代物だ。『初恋』なんて甘酸っぱいタイトルを掲げているのに中身は地獄。タイトル詐欺にも程があるけど、一定数の人気はあるのだから、人間の業は深い……。
そんな下らない話をしながら歩いていると、女子更衣室の前で浴衣に着替えた二人が私たちを待っていた。
「迷子になってるのではないか、と心配しました」
楓ちゃんの浴衣は、下に落ちるような線が入る鶸色で、蘭が全体に描かれている。蘭の中心は赤で染められ、外側に向かうに連れて色がぼやけていく。落ち着いた印象の楓ちゃんにぴったりな浴衣だ。普段は下ろしている髪も、くるくるっと巻いて団子状になっていた。髪留めに使っているかんざしに、装飾は無い。それが一層、楓ちゃん自身の美しさを引き立てていた。
「早くしないと、花火大会に間に合わないわよ?」
レンちゃんの浴衣は、鮮やかな赤に染めた生地に白い百合の花が咲き誇っている。薄い桃色の帯には白糸で縫った蝶が羽を広げて飛ぶ姿が描かれていた。全体的に大人っぽいけれど、それだけに留まらず、ワンポイントで遊びを入れるのは上級者テクニックのひとつだ。本人は胸元がかなり気になっている様子で、ちらちらと目を向けたりしていた。
これから何人の男たちが、レンちゃんのソレに目を奪われるのだろう。……なんか、嫌だな。
「遅くなってわるい。……にしても、楓が浴衣を着るとガチで人形みたいだな」
それ、褒めてるつもりなのかな? 佐竹君の語彙力では、これが限界なのかも知れない。楓ちゃんもそれをわかった上で、「ありがとうございます」と返した。
「佐竹さんもなかなか男前ではありませんか。馬子にも衣装とは、よく言ったものですね」
「俺は楓の孫じゃねえぞ? ま、サンキュー」
馬子にも衣装は、褒め言葉ではないんだけど……。
佐竹君がそれでいいなら、いっか。
「楓が車を手配してくれたわ」
「お、高津さんか?」
「いえ、高津さんはどうしても外せない用事があるとのことで、代わりに大河さんが来て下さいます」
「大河さん……」
日光の送り迎えをしてくれた女性のドライバーで、普段は月ノ宮邸で給仕の務めをしている。楓ちゃんのことが嫌いだと言っていた気がするけど、その気持ちに変わりはないのかな。クールな性格で、感情の起伏があまり見られないから、なにを考えているのかもよくわからない。あと、冗談が途轍もなく下手。
「そろそろ到着していると思います。待たせるのは申し訳ないので」
「そうね、いきましょ」
「俺たちを見てどう思うかな?」
佐竹君は足を早めて、楓ちゃんの横についた。
私の隣にはレンちゃんがいる。
「ねえ、ユウちゃん。……私、へん、じゃない?」
「ううん。とっても綺麗だよ」
「そっか。……うん、ありがと。ユウちゃんも、かわいい」
私の右手と、レンちゃんの左手がぶつかって、離れる。
「小指だけ、だめ?」
耳元で囁かれて、心臓が飛び出しそうになった。レンちゃんは、とても大胆だ。それも、私の気を引こうと、恥ずかしい気持ちを堪えて。拒絶されるのが怖くないのかな? いや、怖くないはずない。私がここで断ったら、レンちゃんは酷く落ち込むだろう。
……小指だけなら、いいかな。
右手の小指を伸ばすと、レンちゃんは嬉しそうに頬を赤らめて、自分の小指を絡めた。
「廊下を出るまで、ね」
「う、うん」
人肌の温もりは、どきどきする。意識をすればするほど、そのどきどきは加速していく。佐竹君から感じる、男らしさ。レンちゃんから感じる、女らしさ。そのどちらも、尊いもの。見えないけど存在している、意識の集合体みたいな。
……なに、考えてるんだろ。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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