【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百五十七時限目 佐竹琴美が与えるモノ[中]
更衣室とは名ばかりの会議室。机は全て会場で使用されているのか、どこかに移されたようだ。まるで空洞。企業ブースから漏れ出す音楽が相俟って、余計に静けさを感じる。会場と温度差が違い過ぎる室内に、温もりは感じられない。裏方なんてこんなものかも知れないけど。
床には糸屑と長い髪の毛が所々に落ちていた。でも、差し入れのお菓子袋や空き缶、ペットボトル、アイスの空箱が放置されたりしていない。イベントを成功させようとしているサークルの意識が高いから? それもあるけど、決められたルールに従うのは、最低限のマナーだ。
でも、イベント会場の外は、こうはいかない。
派手な衣装に身を包んだコスプレイヤーたちを囲むカメラ小僧の群れの傍に、平気で空き缶などのゴミが落ちていたりする。スタッフが巡回して拾っているようだが、ゴミ拾いスタッフが足りないのと、参加者のマナーが悪いのとで、いたちごっこ状態。
ゴミ箱は各地に用意されて、分別のお願いを書いたポスターが貼られているけど、そのゴミ箱だって三〇分もすれば直ぐ満杯に。人が密集すればマナーの悪い客もいる。ゴミ問題もそうだけど、コスプレイヤーに迷惑行為を働くヤツだって。警察沙汰になるような事件こそ起きていないけど、起きないという保証は無い。モラルの低下はネット世界に留まらず、現実世界も同じだ。
サークル参加者用に解放されている更衣室は三つ。
女子更衣室は非常階段を上がって廊下をずずいと進み、トイレの手前に隣接した二部屋。男子用の更衣室は更に奥へと進んだ場所にあり、過去になにかあったんじゃないか? って疑うくらい離れていた。
いまでこそ会議室を更衣室としているが、一応、フィッティングルームも存在しているらしい。然し、広さはこの会議室の半分も無いとか。建設される当時は、ここまで大規模なイベントが開催されることを想定していなかったんだと、私の着付けを手伝いながら琴美さんが語る。
会場は広く、展示するにはもってこいでも、何万もの人が集結すればキャパオーバー。不便な点が多く目立つのはしょうがないと割り切るしかない。
琴美さんに連れられて入ったのは、女子が使用する更衣室だった。だれもいないのが救いだ。一抜け同然に撤収した琴美さんのサークルだからこそ、私が使用できる。女子特有の甘い匂いが充満した部屋は、罪悪感を余計に引き立てた。
本来、私が使用するべき更衣室は、男子更衣室である。『コスプレ』が許された空間だからこそ、私が男子更衣室で着替えや化粧をしても違和感が無い。とはいえ、それは自分が許せなかったので、自宅から完全武装状態で現地入りした。
私の格好は胸元が大胆に開いていたり、スリットがエグかったりせず、その辺を歩いていても違和感が無かったから、というのもある。
でも、レンちゃんはそうはいかない。
男装をするにあたって更衣室を利用しなければならなかったせいで、会場に戻るまで三〇分以上もかかったのだが、その記憶もなんだか遠く懐かしく思う。
「よく似合ってるじゃん♪」
私の浴衣姿を遠くから眺めて、うんうんと頷いた。
「私のチョイスに間違いはないわね!」
これまで琴美さんが私に服を選んでくれたことがあったけど、そのどれも似合っていると思えた。絵描きの美的センスってやつ? それもあるし、琴美さんが目利きだって理由もある。
普段はずぼらなお姉さんでも、こういう場所に来るときはしっかりとおめかしするし、いつも以上に活力が漲っているのが見て取れた。琴美さんにとって、この会場は戦場であり、同時に、同じ趣味を持つ者たちが集うお祭り会場でもあるからだろう。
琴美さんの服装は、無地の白いVネックシャツに葡萄色の膝丈ジャンパースカートを合わせ、鼠色のキャスケットを被っている。首にはチェーンのターコイズネックレスをチラつかせて、木製の白と黒のブレスレットを左手首に付けていた。爪は塗らずに艶出しだけ。
そんな格好をしているもので、どうしても視線が胸元に引き寄せられてしまう。これ、絶対にわざとだ。
「そんなに私の胸が気になるう〜?」
体をくねらせてポージングをする琴美さんに、私は冷たい視線をぶつけた。
「破廉恥だと思っただけです」
「胸は女の武器よ? 小さくても大きくても、見せ方ひとつで最強の武器になるんだから。優梨ちゃんだって知ってるでしょう? 斜め掛けバッグはそのために存在してるまである」
絶対に違う、と断言できないから質が悪い……。
「優梨ちゃんは、磨けばもっと輝くダイアの原石よ。自分が可愛いってことを理解して精進なさい?」
こういうときだけ、琴美さんは師匠らしいことを言う。
とっても狡い。
「着付けも終わったし、崩れそうになったときの対処も教えた」
「ありがとうございます」
ぺこり、頭を下げた。
「他に、質問ある?」
念のために、着ている浴衣を隈なく観察して、
「いえ、特には……」
手取り足取り教えてもらったから、不遜な事態が起きても一人で対処できそうだ。
「じゃあ、私からの質問ね」
「はい?」
「義信のこと、どう思ってるの?」
佐竹君のこと。
佐竹のこと。
頼りないことのほうが多いクラスのリーダーで、いざというときはドキッとするくらいのイケメンを発揮する……、友だち。私のことだけじゃなくて周囲にも目を配り、問題が発生する前に対処するのは尊敬に値するけど、窮屈そうな生き方だとも思う。もっと自由に生きてみてもいいんじゃないかなって思う反面、それが佐竹義信という男の在り方なんじゃないかとも。
「答えてはくれないみたいね」
「すみません……」
「そろそろ決めなきゃいけない時期じゃないかしら。自分のこと、アナタを待っている二人のこと。多分、容易ではないと思うけど、いつまでも待たされるのは苦痛なのよ?」
耳が痛い言葉だ。
「先ずは、自分の生き方を決めなさい。これからどうなりたいのか、どうするべきなのか、どう在りたいのか。それがあやふやなままじゃ、いつまで経っても答えなんて出ない。いい、優梨ちゃん。自分に向けられた好意に、いつまでも甘えていてはダメ。時間は有限なの。アナタの時間も、義信の時間も、恋ちゃんの時間もね。茨の道を進むと決めたなら、自分が傷つくのを恐れてはいけないわ。相手を傷つける恐怖も……。その恐怖に向き合ってきたからこそ、いまの私がある」
私は、そこまで勇敢になれる気がしない。
自分が傷つくのは怖いし、自分のせいで身内が傷つくのも怖い。だからこそ空気を徹してきた。空気でいれば、だれも傷つけず、自分だって傷つかないのだから。
でも、彼らを受け入れてしまった。受け入れたからには、筋を通したいという気持ちもある。彼らと一緒に楽しい時間を過ごしたいからこそ、問題を先送りにしてきた。免罪符のように言い訳にしてきた。それが卑怯な行為であることを自覚しながら、一抹の夢に縋りついていたんだ。
「傷つきなさい、鶴賀優志君」
「え」
私をいつも、『優梨ちゃん』と呼んでいたのに。
「アナタはもう、不可視的な存在じゃないんだから」
不可視的……。
その言葉を訊いて、照史さんが貸してくれた本のタイトルを思い出した。本を借りたあの日、徐にページを捲ってそれっきりにした本。本棚の一番下の隅、タイトルが見えないように置いた一冊。
「花火大会、楽しんでね」
「はい。その……、ありがとうございます」
「え、なにが? 私は優柔不断な優梨ちゃんを揶揄っただけよ。憎まれる謂れはあれど、感謝される義理はないんだから……、勘違いしないでよね!」
やっぱり、琴美さんは狡いひとだ。
「そのツンデレは、もう死語になりつつありますよ?」
「ばかね。ツンデレは永遠に不滅よ? ラブコメのド定番じゃない。魔法使い学校の彼女も、世界を滅ぼしかねない彼女も、名作として認知されているのがなによりも証拠でしょう」
次回作はツンデレ君とイケオジにしようかしら……、などとブツブツ呟いているところに、ノックの音が三回鳴った。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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