【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百五十五時限目 佐竹琴美はしめしめとほくそ笑む[前]


 八戸先輩のアイコンタクトに、目礼だけ返した。

 珈琲の香りに紛れて、常連さんが吸う煙草の匂いが鼻につく。ダンデライオンは古いタイプの喫茶店で、昨今の禁煙ブームとは無縁の領域。喫煙者にとって、この店以上の場所は無いだろう。

 新聞を広げながら煙草の煙を吐いている老齢の男性客をチラリと見てから、ゆっくりと口を開いた。

「この計画は、ここにいるだれが欠けても成立しない。だから、当日の予定を訊いておきたいんだけど、皆、参加できるってことでいいんだよね?」

 だれも異存はないようで、相槌を『イエス』と判断した。いまになって「やっぱ無理」と言われたらどうしようと案じていたが、その心配はなさそうだ。でも、まだ彼らに伝えていない情報がある。

 表情は崩さず、気を引き締めた。

「秘密にするつもりはなかったんだけど」

 前置きを入れて、

「このあと、琴美さんも店にくるから」

 ガタリとテーブルが揺れた。

 それぞれの前に置いてあるアイスコーヒーが、衝撃を受けて波を打つ。コトミックス先生に想いを募らせていた八戸先輩が興奮を堪えられずに膝をぶつけたのかな? って見やると、「なにかな?」みたいに涼しい顔をされた。

 テーブルを揺らした犯人は、右隣に座る佐竹だったようだ。ちょっと待てと言わんばかりに、「マジか!?」と声を大にする。その声がやけに大きかったもので、照史さんが堪らず「もう少し静かにね」と、僕らの席にやってきて注意した。

 僕ら以外に客がいなかったら、どれだけ騒いでも怒られることはないけれど、常連客がいる状況で大声を出すのはマナー違反だ。ペコペコ頭を下げて謝罪すると、照史さんは「気をつけてね」と戻っていった。

「ちょっと、アンタのせいで怒られたじゃない」

 小声で睨む天野さんに、佐竹は「すまん」とまたペコリ。月ノ宮さんは大好きな兄様に怒られてしょんぼりタイム。嘆くように「はあ……」と息を吐いた。

 佐竹琴美の名前が上がった瞬間に場がどよめくのは、それだけ苦手意識を持っている証拠でもある。

 静まったタイミングを見計らって、佐竹が口を開いた。

「姉貴がくるとは訊いてねえぞ」 

 他の三人も同じ気持ちだろう。

 八戸先輩は兎も角、僕の前に座る二人の表情も強張っていた。

 琴美さんは、打っても打っても手応えがない蒟蒻のような柔軟性に加えて、多種多様な変化球を自在に操るピッチャーのような文句を言う。おまけに、こうと決めたら梃子でも動こうとしない頑固さまで兼ね揃えているのだから、相手にしたくない相手ナンバーワンだ。

「どうして先にそれを言ってくれなかったんだよ。ガチで」

 大きくないよな? って確認をするように、佐竹は天野さんをチラ見した。反応が無いということは、天野さんのチェックは通ったらしい。「よし」とは口に出さず、小さなガッツポーズ。天野さんのことなんだと思ってるんだ、騒音機じゃないんだぞとは言わず、代わりに、鳩尾部分を指で小突いた。躾に一番効くのは痛みだって兵長も言ってたしな。

 先程までガッツポーズしていた右手で腹部を摩っている佐竹に、

「本人がくるって言ったら逃げるでしょ?」

「逃げねえよ! ……多分」

 どうだか。

 昨日だって「帰りたくねえ……、超気まじい……」と情けない声で弱音を吐いていたじゃないか。まあ、その原因を作ったのは、他でもなく僕なんだけど。

「まあまあ」

 すかさず、八戸先輩が間に割って入った。

「遅かれ早かれ、コトミックス先生とは相対するのだろう? 弟である佐竹君が困惑する気持ちもわからなくもないが、鶴賀君にだって考えがあってのことだろうし、落ち着いて話の続きを訊こうじゃないか」

 そうですね、と月ノ宮さんが首肯する。

「〝いては事を仕損じる〟とも言いますが、残された時間も少ないのは事実。勝算がなければ琴美さんを呼ぶなんて洗濯は選ばないはずですよね?」

 と、微笑む月ノ宮さんの目は笑っていなかった。

「私はちょっと憂鬱……」

 天野さんは気乗りしない様子で、顔を俯かせている。

 実を言うと、僕も憂鬱な気分だった。できるならば、身を切るような真似はしたくない。切り札を切らずに終わらせたいのが本音ではあるものの、出し惜しみする余裕なんて無いのが現状。

 僕が提示する作戦は、自分の身を斬ることで相手の骨を断つような諸刃の剣と同じ。情けない続きだが、この選択を強いたのも琴美さんだ。僕はどこまでも後手とはいえ、琴美さんの策略に従うほどお利口さんじゃない。

 必ず、一矢報いてやる。

「琴美さんが来るのは二時間後。それまで、どれだけ作戦の成功率を上げられるかはわからないけど、潰せる限りの負け筋は潰しておきたいから遠慮なく意見を出して欲しい」

 僕は、作戦の概要を伝えた──。




 * * *




 カランコロンとドアベルが鳴り、「マスター、やってるう?」と巫山戯た声で登場した琴美さんは、「取り敢えず、冷えた黒のブラックで」なんて、謎の注文を照史さんにして困らせた。その足で、軽やかなステップを刻みながら僕らの席に到着。「へえ」みたいな口をして、手頃な椅子を勝手に持ち運び、ドスンと座った。

「一人、増えたのね」

 隣にいる八戸先輩の顔をじいっと見つめて、「あ!」と声を上げた。

「もしかして、キミ。うちの愚弟が休憩するタイミングで私の本を買いにくる子じゃない?」

 いつもお買い上げありがとー♪ と琴美さんが手を握ると、八戸先輩の頬が赤くなった。

「覚えて頂いて、ありがとうございます!」

「そりゃあ覚えるよー。腐男子は希少な存在だからねえ? そ・れ・に」

 誘惑するような猫撫で声を出して、

とこの本も買ったの、知ってるのよ?」

 ガタリ、とテーブルが揺れた。今日は佐竹がテーブルがよく揺らす日だ、なんて他人事のように傍観していると、佐竹の顔色がどんどん青ざめていくのがわかった。

「ま、マジスか先輩……」

「初恋さんって、なに?」

 天野さんが訝しむように訊ねる。

「知らないほうがいい。世の中にはな、知らないほうがいい性癖ってもんがあるんだ」

 佐竹の反応を見て、僕も察しがついた。

 佐竹宅にお邪魔した日、僕は、悪魔の経典とも呼べる本を琴美さんに読まされた。思い出すのも悍しいその本のタイトルは〈どすこい初恋〉。内容は……、想像を絶する。ビギナーが手を出そうものなら、今後一切のBLを読めなくなること間違い無しの作品だ。

「男の娘専じゃなかったんですか……」

「去年の冬に発行されたのは、〝どすこい初恋♡ 〜キミにうっちゃりハニーモード〜〟っていうタイトルでね。主人公の男の娘と、幼馴染の男の娘が共に力士を目指す物語なんだけど。力士って褌がユニフォームだろう? でも、彼女たちは男の娘だから、夢を追うべきか、自分を貫くべきかと葛藤するんだ。その表現がとても尊く美しくて……」

「いや、もういいッス。お腹いっぱいッス」

 佐竹が降参のポーズと共に音を上げた。

「私も、初恋さんがそっちで攻めてくるとは思ってなかったから、自分の本を売りつつ監視してたのよねー」

「斬新でした。いや、画期的と言い換えたほうがいのか……。しかし、コトミックス先生の本には一歩及ばずと言ったところでしょうか。ラストシーンは感動的でしたが、そこまでに至るプロセスが少々難解で」

「あー、やっぱりそう思う? 私もあのシーンはよかったと思うけど」

 二人はすっかり意気投合して、自分たちの世界を構築している。同じ土俵にいる者同士だからだろうか? 相撲だけに。ただ、自分がリスペクトしている人と会話が出来るのは、ちょっと羨ましくも思った。これが薄い本の話でなかったら僕も混ざりた……くはないな。

 熱弁を繰り広げている二人とは対極的な反応を示しているのは、天野さんと月ノ宮さんだった。対極的なんてもんじゃない。借りてきた映画が思っていたよりもグロ表現が多かったときのような目をしている。

 つまり、ドン引き。

「月ノ宮さんは、二人の話題についていけそうなものだけど」

「私は節度を弁えていますので、公共の場では口にしないように気をつけています」

「そ、そうなんだ……、へえ……」

 天野さんの話をしているときの月ノ宮さんの興奮は、八戸先輩たちのソレと同じ匂いがするんだけど、無自覚って怖いなあ……。








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 by 瀬野 或

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