【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百五十三時限目 デモ行進は有志参加です[前]
部屋の中がサウナのように暑い。この状態ではエアコンの効きも悪いなと窓を全開にして、物置から扇風機を引っ張り出した。去年ぶりに出した扇風機は、ところどころ日焼けして変色しているけども、「使えないわけじゃないし、いいか」。
被せてあるビニール袋を剥がして、羽に埃が溜まっていないか隈なく確認する。長年使っているせいで透明だった羽は曇っているとはいえ、目立った汚れは見あたらない。エアコンの風が当たる場所を選んで『強』のボタンを押すと、人工的な風が部屋の中で暴れ始める。
壁に貼ってあるカレンダーがパタパタはためいた。密閉されていた部屋の空気が窓の外へ流れていく。見えないけど、風の流れを肌で感じとれた。
夜の音は、扇風機の稼働音、時計の秒針、近所の犬がワンと吠えて、猫の甘えた声が庭の近くから訊こえた。近隣の住人が飼っている猫たちは、僕に懐いてくれない。見かける度に声をかけてはいるのだが、餌を差し出さなければ靡かない現金なヤツらだ。僕を嘲笑うかのように『にやあ』と鳴かれても、「こんにゃろ、お前可愛いな」って思ってしまうのは仕方が無い。いつか、猫まっしぐらなちゅ〜るを振舞ってやろうと策略を巡らせている。といっても、本当に実行するかは微妙。苦情がきても面倒だしな。人間関係は猫よりも複雑怪奇であり、想像以上に支離滅裂なのである。
蒸し暑さが収まった頃合いを見計らって窓を閉めた。「エアコンのリモコンは」と一瞬だけ考え、ベッドの枕元にある小物置き場だと思い出した。置き場所を決めておけば探す手間が省けるのに、ついそこら辺に放置してしまうのは、『怠惰ですねえ』としか言いようがない……デス! ゴキンと、首から鈍い音がした。
エアコンと扇風機のコンボは最強だ。一〇分待たずして、快適空間の出来上がり。「火照った体が冷やされていく感覚は堪りませんなあ」などと口にしながら、乾ききっていない髪の毛をバスタオルでごしごし拭いた。
ドライヤーの熱風を浴びる気分にはなれず、夏場はもっぱら自然乾燥派。
ほら、エアコンによって空気が乾燥するけど、濡れた髪が湿度を補ってくれる……みたいな? 濡れタオル一枚干しておくだけでも違うって訊いたことがあるし、タオルも髪の毛も大差無いでしょう? そんなはずないか。
髪が半乾きになったところで、湿ったバスタオルを適当に干した。
──俺を、花火大会に連れていってくれないか。
並々ならぬ我慢を経て、ようやく口にした『願望』。言いたくても言えなかった『あのさ』。僕は、この言葉を待っていたのかも知れないって思った。これがなくちゃなにも始まらない、とも思った。喩えるならピストルの合図。佐竹の「あのさ」は、そういう意味合いを持っている。だからこそ、「しょうがないな」って自分に言い訳ができるのだ。
──まだ私に立ち向かう気力があるのなら、優梨ちゃんの全力を持ってぶつかってきてちょうだい?
僕が敗北した理由は、琴美さんの意に反した攻め方をしたせいだ。琴美さんの言葉通りなら、挽回のチャンスは残されている。でも、茫洋とした思考では、徒に周遊してしまうだけだ。
「……さむっ」
扇風機の前で考え込んでいたせいか、体が冷えてしまった。電源を切り、その足で勉強卓の椅子にどすんと座った。ギシッと軋む音。背凭れに体重を乗せて、天井をぼんやりと見つめる。そのままの状態で、ゆらりゆらりと体を揺らしながら目を閉じた。
再び、思考の海へ。
『佐竹を花火大会に連れていくこと』
依頼内容は、これだけ。
では、障害になり得る事由はなんだ? と考える。
『夏コミ』
然し、これは決定事項であり、今更変更出来ない。
ならば、目的を変化させる必要がある。
『佐竹を夏コミに出席させて、尚且つ、花火大会に連れていく』
難易度が格段に上がったけど、やるしかない。
琴美さんの目的は、『佐竹を縛り付けることに非ず』として、『自作品の完売』こそ本願だと仮定する。いや、それこそが目的だと断言してもいいだろう。今回の作品は、これまで以上の力作らしい。それは、部外者である八戸先輩までもが知っている事実だ。おそらく、ホームページで告知してあるのを覗いたに違いない。佐竹家に訪問したときに過去作を何冊か読ませてもらったけど、プロ顔負けの画力に「さすが」と声が漏れた。内容こそアレだが、『コトミックス』の名前が売れるだけのことはある。
「売れる……?」
喉に引っかかった。
──全力でぶつかってっきなさい。
琴美さんは言った。
そして、僕を煽るように『ねじ伏せる』と続けている。
どうして僕を煽る必要があったんだ?
『なんだよ』
平時よりも更に不機嫌な口調で流星が言う。いきなり電話されたから怒っているのだろうか? それとも、〈らぶらどぉる〉で嫌なことがあったのかも知れない。
「穏やかじゃないね。なにかあった?」
訊くと、『アノヤロウがやりやがった』。
「アノヤロウってどのヤロウ?」
『昨日、お前の近くのテーブルにいたアイツがオレの尻を鷲掴みしやがった』
ああ、コーラフロートの重役、と思い出した。
「スリーアウトになったんだね。迷惑な客だったんでしょ? よかったじゃん」
『よくねえよ。男に尻を触られる気持ちがお前にわかるか』
メイドに扮しているときこそ、きゃわたんエリスちゃんを演じているが、流星の体は女性でも、心は男性である。それも、昭和の不良ノリを拗らせているものだから、やり返せない状況に憤りを隠せないでいるようだ。
『撫でるならまだしも鷲掴みだぞ』
「撫でるのはいいんだ……」
どっちもどっちに思えるけれど、流星の中では大きな差があるらしい。
『……で、要件はなんだ』
「あ、いや」
タイミングが悪そうだから掛け直すべきか、と躊躇った僕の眉を読むかのように、『いいから話せ。いまも明日も大して変わらねえよ』。
「わかった。……ところで、いまどこにいるの? 結構長くなるんだけど、大丈夫?」
『あ? いまは家の近くにある公園のベンチで一杯やってるところだ』
──お酒は二〇歳になってからだよ?
──ドクペ缶だ馬鹿野郎。
紛らわしい言い方をする。
「じゃあ、ブランコに乗ったまま訊いて欲しいんだけど」
『お前わざとオレを怒らせようとしてるだろ殺すぞ』
そう言う割に、流星の声音は普段の声に近くなっていた。『殺すぞ』の一言で、彼の機嫌が伺えるようになっている僕も大概だと思うけど。
「……って感じなんだけど、流星はどう思う?」
端的に話を終わらせて、流星に質問を投げ掛ける。
手に持っていた缶を握り潰したか、踏み潰した音が訊こえた。
『お前が思う〝全力〟ってなんだ』
「フルパワー」
『英訳しろって言った覚えはないが』
すかさず、
「いやいや、そうじゃないんだって」
と、訂正を入れた。
「自分の持てる全ての力を使うことって意味だよ」
『最初からそう言え。紛らわしい』
流星にだけは言われたくない、と思いながら、黙って続きを待つ。
『全力ってのは〝使えるものはなんでも使え〟って意味じゃないのか』
「物量の問題?」
『そうだ。一人じゃ駄目なら二人。それでも駄目なら三人。全力を出せってんなら卑怯もクソもねえよ。徒党を組み、数で押し切れ。数的有利を作れば、あとは囲んでフルボッコだ』
喩え話が昭和の不良そのものなんだよなあ……。
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※お知らせ※
持病の腰痛が悪化しているため更新スピードが著しく低下しておりますが、どうか気長にお待ち頂けたらと思います……。
by 瀬野 或
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