【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三百四十八時限目 手段と目的[前]


 僕の昼食場所は、校庭の隅にひっそりと佇む古ぼけたベンチと決まっている。

 だだっ広い校庭を見渡す限り、ここにだけしかベンチがない。その理由は定かではないが、塗装の剥がれ具合を鑑みるに、梅高創立からこの場所に存在しているのは間違いないはず。おそらく、サッカー部か野球部のために作られた物だが、時代とともに忘れ去られて、ベンチだけがこの場所に残ったんだろう。

 サッカー部と野球部は、校舎側にある斜面を削って作られた壇の上に荷物を置いている。壇と言っていいのかどうか、曰く言い難し。存在定義が酷く曖昧で、いまいち利用方法がわからない。体育祭時に得点板を設置する場所、という認識。それ以外の用途で使用されているのを、僕は見たことがなかった。

 梅高には、教員たちさえ把握していなさそうな『用途のわからないスポット』が存在する。ある意味、七不思議にも匹敵するミステリースポットだ。その代表格なのが、中庭にある『ビオトープ』。生態系の観察を目的に作られたって知らなければ、単なる汚い沼地って印象しか受けない。

 学校説明会で、初めて梅高を訪れたときの第一印象は、「変な学校」だった。なんといっても、複雑怪奇な構造をしている。『多目的ホールを目指せ』と言われて、学園案内図無しに辿り着ける者は先ずいない。仮に辿り着けた者がいるなら、ハンターライセンスを与えたっていいくらいだ。きっと、毒に耐性があったり、小宇宙を感じてたり、黒い羽衣に大剣を背負ってたり、ヒーローに憧れてたり、体がゴムだったり、語尾に『てばよ』が付いてたりする者たちが集うに違いない。そういうゲーム、あったな。

 ベンチの周囲に生い茂っている雑草は、僕の膝下まである。毎日のように踏み慣らした場所だけ、一本道の轍が出来上がっていた。一年生たちも、ここからベンチへと進んでいるに違いない。何度も踏みつけらた雑草のいくつかは、茎が折れて栄養が届かなくなり、枯れ草色になっていた。

 ベンチに座ると、深緑の葉を付けた桜木の下は涼しげで、風で揺れる度にサラサラと鳴り、影が揺れる。木陰になっているけど、上昇し続ける気温は無視できない。じっとしているだけでも汗が吹き出してくる。服の隙間から制汗スプレーを吹き付けて、なんとか暑さを遣り過す。こんな暑さでも体を動かすのを止められない運動部員を見て、魚に喩えるならマグロだなって思った。

 マグロは泳ぎを止めると死んでしまうらしい。なんでも、泳ぎを止めると窒息してしまうとか。息苦しさを感じる世界に存在している僕ら学生は、に没頭してなければ窒息してしまうんだろう。彼らにとっての呼吸が運動なら、僕は読書か?

 読書は人生を豊かにする。だからといって、本を神様のように讃えようとは思わない。読書は手段であって、目的ではないからだ。読書が目的になってしまったら、それこそ本末転倒である。『息をしなきゃ』って思いながら、意識して呼吸をする人なんて滅多にいないだろ。僕は息を吸うようにページを捲り、息を吐くように本を閉じる。本を読むことに意味はない。なぜなら、本の内容にこそ意味があるのだから、そこを履き違えてはいけない。

 サッカー部員たちがミニゲームをしていなければ、静かで落ち着く昼の光景だけど、昼練に勤しむ彼らを煙たく思ってはいけないな。弱小運動部が部活をしてはいけない、なんて決めごとはないのだ。それに、熱中できる趣味があるのは羨ましくも眩しく見えた。

 お弁当箱を膝の上で広げた。エビチリ、プチトマト三つ、ほうれん草のおひたし。黒胡麻をふりかけたごはんの中央と隅っこには、大粒の梅干しが一つずつ添えられている。食中毒発生防止のためだとしても、大きければいいって物でもないはずだ。『大は小を兼ねる』って言葉があるけど、食べ物にあてがう言葉じゃないんだよ。

 嫌いじゃないからいいけどって思いながら、梅干しを一つパクり。

 これ、はちみつ漬けじゃないか、母さん……。




 エビチリの余韻に浸りながら、夏色に染まる空を見上げた。

 昔、父さんに『どうしてお空は青いの?』って質問をしたことがあったのをふと思い出した。この質問をされれば、大抵の大人は『海の色が反射してるから、空の色は青いんだよ』って適当に誤魔化す。だけど、父さんは『空には沢山の色があって、その中でも、青色と、赤色と、黒色と、灰色が強いんだ。その時間帯によって強い色が選ばれるんだよ』って答えた。赤色は夕暮れ、黒は夜、灰色は曇り空を言い表している。光の屈折がどうのと話したところで、幼い優志少年が理解できないと判断した結果、こういう答えになったらしい。おかげで、幼稚園時代に『空が青い理由』で友だちと大喧嘩する羽目になったのは、いまでも記憶に残っていた。

 友だち、か……。あの頃は、言葉を交わせば〈友だち〉って認定していたっけ。友だちの作り方を忘れてしまったのは、いつ頃だ? 現状だと、『僕と契約しいて友だちになってよ』くらいしか、友だちの作り方がわからない。きゅっぷい。

 幼稚園の友だち、よっくん、けいちゃん、まーくん、そう呼んでいた彼らの顔は覚えていない。道すがらにすれ違っても、わからないくらいには年を取ってしまった。幼少期の記憶なんて曖昧なもんだ。昔の友だちの顔を覚えていても、いまは友だちじゃないのだから無意味である。過去なんて、あんなーこーとー、こんなーこーとー、あーったーでしょー、くらい断片的にしか記憶に御座いません。いつになっても忘れないのは、この歌だけじゃないか。

「花火大会」

 この話が議題に上がったとき、どっちの僕で参加するべきか悩んでいた。

 天野さんたちは綺麗な浴衣に身を包み、髪に串を通したりする。二人とも、元がいいから涼やかな浴衣がえるだろう。

 佐竹は甚平が似合いそうだ。ちょっと柄が悪くなりそうだけど、明るい髪色と紺色の甚平は見栄えがいい。

 その中で忽然と私服でいるのは、なんとも居心地が悪いものか。甚平ならファッションセンター島村で購入できる。然し、浴衣となると難しい。一人で女装して町を歩くのには抵抗があるし、買い物なんて以ての外だ。必要ならそれも致し方無いと割り切れるけど、浴衣は必需品ではないからなあ。

 僕は、どっちを着たいんだろう。




 * * *




 昨日の続きを話すべく、ダンデライオンに集まった。

「やっぱり行けそうにねえわ、花火大会。姉貴は途中退場を認めないの一点張りで、そこをなんとかってガチでお願いしたんだけど、普通に駄目だった。すまん」

 げんなり肩を落として、意気消沈する。佐竹は、自分がなにを言ってるか理解した上で、琴美さんに「切りのいいところで帰りたい」と伝えたんだと思う。だが、佐竹の抵抗虚しく、琴美さんは首を縦に振らなかった。

「それは、残念ですね」

 月ノ宮さんは、難しい顔をして顎に手を添えている。多分、琴美さんの判断が正しいのかを考えているんだ。自分が琴美さんの立場だったらどうするかイメージしながら、最適解を模索しているような表情だった。

「そうね」

 天野さんがぽつりと零す。

「理由は訊いた?」

「給金を支払う以上、止むない事情が無い限りは認めないってさ」

 花火大会は『止むない事情』にならないだろうか? ならないか。

 琴美さんの言っていることは、世間一般常識のはんちゅうで筋も通っている。少々融通が利かない気もするが、無茶を言ってるわけじゃない。『仕事をして対価を得る』のがどういう意味を成すのか弟に説いた、そんな感じ。

「では、花火大会は中止ということになりますか?」

「ぐぬぬ」

 と、佐竹が唸る。

 ぐぬぬって、『うんともすんとも言わない』みたいな、表現方法の一種だよね? 口に出す人を始めて見た。佐竹なりに、語彙を増やそうと勉強しているようだけど、勉強の仕方がずれてる気がする。語彙の勉強に時代物を読ませたらどうなるだろう? 『てやんでえ、べらぼうめえ、しゃらくせえ』とか言い出しそうで、面白そうではある。ちょっと読ませてみたいが、絶対に読まないだろうなあ。

「佐竹が来れないのに、私たちだけ楽しむわけにもいかないわ」

「優し過ぎて逆に怖えんだけど……」

 高校二年の夏が貴重な期間だって重々理解しているつもりだ。それを意識しているから、悪ふざけで佐竹をおちょくろうという気分にはならかったのだ。








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 by 瀬野 或

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