【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三十九時限目 月ノ宮楓は明るい未来を目指す ④
「急に呼び出して悪い」
佐竹さんは大袈裟に頭を下げた。
「いいえ、大丈夫です」
頭を上げて下さいと言うと、彼は言葉そのままの意味に受け取ったのか、頭だけを上げて私を上目遣いで見る。『面を上げて』と言えばよかったでしょうか? 佐竹さんでも時代劇くらいは見たことあるでしょう。とはいえ、そこまでしなくてもわかるものでは……?
「佐竹さんはもっと日本語を学ぶべきかと。なんでしたら、私が家庭教師をしてもいいですが」
「マジ勘弁。いやいや、そういう意味じゃなくてだな……。なんかすまん」
「はあ。まあ、いつものことなのでいいです」
なにが悲しくて、せっかくの日曜日を佐竹さんに割かなければならないのか。
恋莉さんのアルバムを見ながら想いを馳せていたときに電話が鳴れば、『もしかして!』と心が躍るのも当然だけれど、携帯端末に表示された名前を見て、現実に引き戻されるのもまた然り。そんなことを繰り返していればいくらか免疫はつくといっても、少しくらい夢を見せてくれても罰は当たらないでしょう?
「……それで、ご用件は?」
電話口での声は、この世の終わりでも知ってしまったかのような悲壮感が漂っていた。
佐竹さんはいつでも大袈裟ですから、と思って深く考えずに二言返事で馳せ参じたけれど、私の譬えは強ち間違いでもなさそうだった。彼の口から「明日、ラグナロクが起きる」と言われても信じてしまいそうなほど顔に雲がかかっている。
「力を貸して欲しい」
「生憎、天使と悪魔の抗争に打ち勝つような力は持ち合わせていないのですが……」
──は?
──え?
「なんだっけ、それ。たしか〝ハルマゲドン〟だったか?」
「よくご存知ですね」
あどんわなくろーうずまいあーいずう、のやつだろ? と佐竹さんは歌いながら答えた。
「ああ、映画のほうでしたか」
ラグナロクとハルマゲドンは、語る宗教が違うだけでその意味は近い。もっとも、それらを深く語れば細部が色々と変わってくるのですが、佐竹さんにそれらを説いても理解できないでしょう、と説明だけ省く。
「エクスカリバーとか出てきそうだよな。普通にガチで」
天使と悪魔の抗争に、聖剣が必要とは思えませんけど……。
「あの、忘れて下さい……。少々、太陽の熱に当てられただけなので」
思ったことを口走るなんて私らしくもない。耳の火照りも夏が刺激したせいにできないでしょうか。出すとこ出してたわわになっても、やれ爽快な気分になれるほどの快楽主義ではないので。……コホン。
「相談でしたよね」
「あ? ……ああ、頭を貸して欲しいんだ」
頭を借りる、とはまた不思議な言い回し。
「もしかして知恵を借りたいと、そう仰りたいのですか?」
「それだ!」
まあ、そうでしょう。
最初から察していたけど、急に呼び出した佐竹さんに意地悪をしたくなって、つい悪戯心が芽生えてしまったのは胸中に秘めておく。
「一人で考えてても埒があかなくて。逆にワンチャンなにかわかんじゃねえかって照史さんを頼りに来たんだけど、普通に〝相談する相手が違う〟って言われてさ。ガチで。……結局、バニラアイスとアホガードをご馳走になっただけで、なにもわからずいまに至るってわけだ」
「はあ……」
彼は何語を話しているのでしょうか……?
そして、あほがあど、とは一体……?
「ええと。佐竹さんの話を要約すると、つまりは〝相談したい〟ということですよね?」
「最初からそう言ってるだろ? 普通に」
頭が痛くなってきた。
「そう、ですね。では、その内容をお訊かせ下さいますか」
──話はそれからです。
「優志は優梨で、優梨は優志だろ?」
「はい?」
唐突に「お前が俺で、俺がお前で」みたいに言われてもさっぱりわからない。
「もっと具体的にお願いします」
優志さんが女装した姿を優梨と呼ぶ、なんていまに始まったことではない。彼が言いたいのはそんなことではなくて、もっと突っ込んだ話だと踏んでいた。
「どっちかを選ぶってのは、卑怯だよな?」
それを私に訊かれても……。
「同意が欲しいだけならば、私はそれでも構いませんけれど」
「いや、そうじゃなくて。ええっとだな……」
わかってます、と続く言葉を遮った。
「私をここに呼んだ時点で、その理由は想像に容易いです」
──だったら。
──あの。
有無を言わさずに言葉を続ける。
「もう一度、協定を結びませんか。今度は、私と佐竹さんの二人だけで」
「は? え、どういうことだ?」
動揺するのも想定の範囲内だった。
私は矢継ぎ早に捲し立てる。
「現状、このままだと優梨さん……いえ、優志さんは恋莉さんに奪われて、恋莉さんは優梨さんに奪われてしまいます」
恋莉さんの魅力を前にしたら、物言わぬ貝でも口を開くというものです。
然し。
「それは、私の思い描くビジョンとかけ離れ過ぎているので、是が非でも阻止したいのです」
助けて欲しい、とは言えない。その言葉を吐くことを〈月ノ宮〉の名が許さない。だからこその『協定』であり、お粗末な『妥協』でもある。
「力を合わせて、望む未来を手に入れましょう」
「言い方が悪徳商法の勧誘みたいだけど、本当に大丈夫なのか……?」
「活動の一環とならば、佐竹さんが悩んでいることに関しての答え探しもお手伝いさせて頂きますが。……悪い話ではない。そうでしょう?」
──やっぱ楓は腹黒だわ。
──褒め言葉と受け取っておきます。
佐竹さんは顎に手を当てながら、テーブルの片手の指でコツコツと叩き熟考している。
佐竹さんが沈黙する最中、私はカフェラテの入ったコップにストローを挿して、味わうように飲み込んだ。
ピアノジャズが流れていてる。
日曜日の昼間だというのに、店内には私たち以外に数人の常連客しかいなかった。この店の珈琲は他のカフェチェーンよりも安く、遥かに美味しい。無知は損であり罪である。私が『本当に美味しいカフェラテ』に舌鼓を打つ中、この店を知らない者たちは『形だけの美味しさ』に納得したような顔していると思うと嘲笑すら浮かべてしまいそうだった。
ピアノの綺麗な旋律にウッドベースが絡み合い、ドラムがグルーヴを作り上げる。タムタムが『おかず』を奏でると、待ってましたと言わんばかりにアルトサックスが唸りを上げた。軽やかな音色のライドシンバルがタクトに訊こえる。サックスに負けずとピアノがポロロンと歌い、ウッドベースが縁の下を支えていた。
喫茶店にとって『空気作り』は欠かせない。空間を演出すれば相乗効果を発揮して、美味しい珈琲も更に美味しくなる。記憶の中にある『いい店』は、内装に拘っていたり、オーシャンビューが美しかったりするものだ。『インテリアプランナー』という専門職があるほど、空間演出は非常に大切である。
……差し出がましいとは思いますが、佐竹さんの背後の壁に飾られている絵画だけは、違う物に差し替えるべきかと……いやいや、あの絵があってこそのダンデライオンでしょう! たぶん、おそらくは。
ダンデライオンで流れる音楽は、お兄様の趣味でもある。好きな音楽に、好きな場所で、好きな仕事を勝ち得たお兄様でも悩み苦しみ、恩師の死を乗り越えていまがある、と私は知っている。
私が抱えている苦難だって、乗り越えればきっと素晴らしい世界が広がっているはずだ。
その景色をアナタと見たいから、彼に負けるわけにはいかない。
「……わかったよ」
──提供を結んでやる。
──提供ではなく、協定です。
「私のスポンサーにでもなるつもりですか?」
「どっちでもいいだろ。面倒臭え」
「では、本題に入りましょう」
この協定がどう転ぶか。現段階ではっきりとは言えない。同じ目的を持ったもの同士が手を結んで、悪い方向へ転がるなんて最悪の事態は早々起こることではないでしょうけれど、油断は禁物だ。
だとしても、『明るい未来に目を向けていたい』とは思う。
喩えそれが泡沫の夢物語であったとしても、人魚姫のように運命に翻弄されて、黙って消えるわけにはいかない。
最期まで足掻き続けるのが、月ノ宮家に生まれた私のプライドだから。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。
差し支えなければ感想など、よろしくお願いします。
by 瀬野 或
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