【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

三十九時限目 月ノ宮楓は明るい未来を目指す ③


 お父様とお兄様が決別した時点で、私の進路は決したと言っても過言ではなかった。

 聡明なお兄様の代わりに『月ノ宮の名を背負う』という意味を、わからないほど子どもではない。要求されるレベルは高く、お兄様を凌駕するくらいでなければ納得して頂けないでしょう。超えたいし、越えてみたい。それとは逆の気持ちが私の中でせめぎ合っている中、夢を掴む努力を積む日々の隙間に『お兄様の代わりが務まるのか』と、憂鬱が影を落としたりもする。

 期待という言葉はときに身勝手だ。無責任、と言い換えてもいい。それでも私は『月ノ宮の名を背負う』と決めたのだから、今更引き返せはしない。弱さを見せれば付け込まれる。それが競争社会ならば気丈に振る舞うことだと、私は私の背中を押した。

 ──臆せば死ぬと思え。

 想い半ばで生き絶えるわけにはいかないのだ。船を浮かべた海がコンクリートで埋め立てられても、コンクリートを割って進むくらいの反骨精神を持って成し遂げるべし。

 その船にアナタがいれば、私はいくらでも舵を取れる。船体がひっくり返るほどの荒波にも、笑いながら立ち向かいましょう。

 だから傍に居て欲しい──。

 心は届けた。

 あとは、なにを届ければよいでしょうか。

 そればかり、往々と考えていた。




 * * *




 私を乗せた車は市街地を進む。

 家族連れが子どもを真ん中にして手を繋ぎ、楽しそうに歩道を歩いていた。父親の片手には買い物袋が握られている。近くの古いおもちゃ屋で誕生日プレゼントを買ったのでしょうか。子どもの笑顔がそれを物語っていた。

 誕生日なんて、もう何年も祝われていない。言葉と現金だけの支給で、現金は講座振込み。高津さんだけは毎年のように、薔薇の花束を送ってくれる。薔薇の花言葉には『愛情』が込められていて、本数によって意味合いが変わってくるのを知っているのか知らないのか、花束はいつも二十五本。

 嬉しいのですが、どう飾ろうかと毎年悩んでしまうのは秘密。

 高津さんは「車内が暑くなってきましたので」と、片手で窓のスイッチを操作した。閉まる窓の外にあの家族連れの姿はない。もうずっと前にすれ違って、いまはどこを歩いているのかもわからなくなった。

 あの子が幸せになれますように。誕生日おめでとうございます。私の言葉はどこにも回帰せず、エアコンの風音に掻き消された。

「お嬢様は高校を卒業し、大学を経て月ノ宮グループへ入社することになると思われますが……」

「はい」

 長い沈黙を経て、高津さんは遠慮がちに口を開いた。

「いえ。後悔のないようにお過ごし下さいませ」

「後悔? ……どういう意味でしょうか?」

「これも〝老いぼれの独り言〟で御座います」

 高津さんはどうしてか、なにかを伝えようとして呑み込んだように見える。なにを伝えようとしたのか。言葉巧みに追及したっていい結果にはならなそうではある。けれど、単なる『老いぼれの独り言だ』と吐き捨てるのは難しい。高津さんはいつだって、私の身を案じてくれるのだから。

「心に留めておきます」




「お待たせ致しました」

 百貨店の裏手に停車させてた高津さんは、後部座席の横に回り込む。丁寧に後部座席のドアを開けた。私が出るまで車のドアに手を掛け、降りたのを確認するとゆっくりドアを閉めた。

「照史様によろしくお伝え下さい」

「わかりました。では、いってきます」

 車から数メートル先の場所で立ち止まり、一度だけ後ろを振り向いた。高津さんは会釈程度に頭を下げた。それに倣い、謝意を込めたお辞儀で返す。その足でダンデライオンへ向かった。




 * * *




 お兄様の店で珈琲を嗜みながら、気儘に読書も悪くない。道中で本屋に寄って話題の小説を購入しよう。読書に疲れたら窓の外を見たり、飾られているアンティーク小物を見て回るのも楽しい……と算段を立てていたにも関わらず、その予定は一本の電話で阻まれた。

 相談相手に困るほどご友人の数も少なくない彼が、私を相談役に指名するのは当然の結果ではあった。『相談役に足る人物』として、私以外に適した存在などいない。仮にいたとしても、彼に相談できる内容ではないでしょう。

 それはそれで不便ですね、とは思う。

 他人の交友関係に口を挟むべきではないのは百も承知で言わせて頂くと、類は友を呼ぶといいますか、ラベルは違えど中身は同じというべきか、佐竹さんのご友人は個性だけで生きているような方々ばかりで、寛容し難い場面もちらほら見受けられる。その都度、佐竹さんが軌道修正をしているけれど、傍から見ていて不愉快に感じることも多々あった。

 喋り声が大き過ぎる。授業中、先生方に対して無礼を──といっても、ちょっと巫山戯る程度ではあるが──働く。他人のパーソナルスペースに土足で踏み入ろうとするなど、彼らの粗暴な態度を挙げればキリがない。

 受けた電話の相手が恋莉さんだったら、こんなに足取りも重くならないのに。……どうでもいいような内容でしたら、本日のお会計は佐竹さんに持って貰いましょうとぶつぶつ小言を吐きながらダンデライオンに入ろうとしたとき、老齢の男性と鉢合わせた。

「あ、どうぞ」

 ドアを開いて道を譲ると、老齢の男性はハンチング帽を脱いで「どうもありがとう」と礼儀正しく会釈をした。

 この方は常連様で、店内だともくになる。中と外では随分と態度が違うものだから、キョトンと目を丸くしてしまった。頑固な性格の御仁で、すれ違い様に会釈をするような方でもないと思っていただけに、意外な一面もあるものだ。

 老齢の男性は頭を上げると、胸元にハンチング帽を抱えたまま頬を弛緩させた。

「キミのお兄さんが淹れた珈琲は、今日も美味しかったよ。この店の珈琲はそこら辺にある店と違って、特別な味がするもんでねえ」

「特別な味……、ですか?」

 私の問いは耳に届かなかったようで、老齢の男性はハンチング帽を被り直し、「ご機嫌よう」と言ってその場を去っていった。 

「御機嫌よう……」

 お客様を感動させるくらい美味しい珈琲を淹れることが出来るお兄様を誇りに思う反面、自分が褒められたようで頬が赤く染まっているのがわかる。このまま店内に入るのは恥ずかしい。落ち着いてからと深呼吸をする。

 重たいドアを開いた。

 この店はお兄様の世界。お兄様がお兄様であることを証明し得る場所。その世界に足を踏み入れることが出来て嬉々とした想いが募るけど、この世界から一歩でも外に出れば、他人として別々の生活を送ることになる切なさも混交している。

 叶うのなら昔のように、あの家で一緒に笑い合いたいと思う。

 そんな日はもう訪れないってことは重々承知だからこそ、この店があるうちは先程の常連様のように足繁く通うと決めていた。

「やあ楓。いらっしゃい」

 カウンター越しにいるお兄様は月ノ宮照史ではなく、喫茶店〈ダンデライオン〉のマスター足らしめている。

「佐竹君が首を長くして待っているよ」

「はい。……お兄様」

「うん? どうかした?」

 ──また一緒に暮らしたいです。

 なんて言えるはずもないから、それとは別の注文をする。

「アイスカフェラテをお願いします」

「はい、かしこまりました。座って待っててね」

 いまのお兄様は、流行らない喫茶店のマスターだ。








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 by 瀬野 或

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