【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
三百二十六時限目 八戸望の意外な言葉
八戸先輩は多目的ホールに目もくれず、そのまま道なりに突き進んだ。
この先には理科室がある。廊下には陰湿な空気が淀んでいるが、それは理科室のせいではない。陽が当たらない場所だからだ。理系ってだけで根暗と決めつけるのはよくないし、卓球部ってだけで陰キャと決めつけるのだってよくないだろう? 僕が言うのも難だけど、それは激しく偏見だ。
左右にある理科室は三つ。A、B、Cと区分された理科室は、理科室Cだけ広々としている。主に実験で使用される教室──この教室だけ化学実験室と呼ばれている──で、理科室あるあるの人体模型は飾っていない。昔、人体模型の内臓が盗まれる事例があったとか。
人体模型の内臓なんて盗んでも、役に立つとは思えないけれど、盗んだ犯人には魅力的なお宝にでも見えたのだろう。そんな事件があってから、人体模型は理研に保管するようになった……と、化学担当の教師が言っていた。盗まれた内臓は買い足さず、手先が器用な生徒に紙粘土で作ってもらったらしい。
これは、教員が一年生の気を引くための鉄板ネタになっていて、梅高生徒なら知らない者はいないくらい有名な話だ。今年入った新一年生も、担当の教師にこの話を訊かされたことだろう。もっとも、話された側は愛想笑いもできないくらい退屈な話だった。
理科室のある廊下を通る度にこの話を思い出しては、名状し難い感情に襲われる。蔓延している薬品の匂いも、それを助長させるんだろうか。
ただ、ここのトイレは朝の時間に使用される頻度が低いので、『うんこマン』という不名誉なあだ名を付けられたくないならば、利用するに越したことはない絶好のトイレスポットであると、僕の中では話題だ。
理科室を抜けると、真正面には体育館入口が見える。アーチ状の屋根と、床に使用されているタイルは食堂に向かう途中にある物と同じで、長年に渡り雨風に晒されたタイルは色が薄くなり、所々が欠けている。
体育館が目的地なら、随分と遠回りだ。
最短で向かうならば、それこそ一年の教室がある廊下を突っ切って、非常口から向かえばいい。
八戸先輩はアーチ状の屋根がある外廊下を進んで、体育館入口横の自販機の前で立ち止まった。
「なにか飲むかい?」
「じゃあ、ホットのカフェオレを……。どうしてわざわざここの自販機を?」
喉が渇いているなら、昇降口に缶の自販機と多少安い紙コップの自販機がある。ここまで来て買うほど、目ぼしいジュースでもあったのか。それだって、遠回りして買いに行くのも不自然だが……。
八戸先輩が買ってくれたカフェオレを飲みながら、なにを買うのか窺っていると、八戸先輩はオレンジ色のエナジー飲料を購入した。僕も飲んだことがある。薄いオレンジ味だ。エナジー飲料とは書いてあるけれど、モンエナのようなドリンクじゃない。……あ、モンエナ飲むの忘れてた。
「こいつは、ここの自販機にしか置いてないからね。朝に飲むとシャキッとするんだよ」
「気持ちの問題じゃないですか」
「つれないなあ……」
そういいながらプルタブを開けて、ぐいぐいっと呷る。
「たしかに、それはこの自販機にしか置いてないですけど、なんで遠回りしてきたんですか?」
──どうしてだと思う?
──質問に質問で返すのは感心しませんよ。
やっぱりつれないな、と八戸先輩は笑う。
例え腹を空かせてようとも、なんだか悔しい気がして、八戸先輩にはそう簡単に釣られてやらないと決めていた。仮にも一年は人生経験の差があるのだ。三百六十五日の時間は、どうしようにも埋まらない。
それに、僕はまだ八戸先輩の全てを信用できないでいた。
八戸先輩は、僕を高く評価してくれているけれど、それだって腹の中ではどう考えているのか定かじゃない。内心、世間知らずのガキだって馬鹿にしている可能性だってある。そういう『腹の黒さ』は、どこか月ノ宮さんに似ている気がした。
「で、どうなんですか?」
「可愛い後輩と朝の散歩……って理由じゃダメかな?」
「却下です」
手厳しいツッコミだなあ……と言いながら、八戸先輩は段差に腰を下ろした。目だけで座れと訴えられた気がして、僕は拳四個分くらい距離を取って座った。
──遠くない?
──適切な距離ですよ。
「実は、そこまで深い意図は無いんだよ。本当は多目的ホールでランデブーしようと思ったんだけど、今日は演劇部の朝練があるからね」
「参加しないんですか?」
それよりも重要なことがあるからね、と八戸先輩は真面目な表情で答えた。
「夏海は」
その呼び方に、どうも違和感を覚える。
八戸先輩は後輩に対して、男女問わず下の名前に『君』で呼んでいなかっただろうか? 七ヶ扇さんも『夏海』ではなくて『夏海君』と呼んでいた気がする。……気のせいだっただろうか? その式に準ずるなら、僕のことだって『優志君』と呼ぶはずだから気分次第かも知れない。
「ツンケンしているように感じると思うけど、本当は優しい子なんだ」
優しいとは感じなかったが、ミスドでその片鱗を垣間見た気はしないでもない。性格はツンデレとクーデレの間くらい。そもそも『ツンデレ』って性格と言っていいのだろうか? 『属性』と呼んだほうがしっくりくるけど、それはネットに侵され過ぎてしまった結果だろう。
「そうなんですね」
と、相槌を入れる。
「彼女はダイアの原石なんだよ」
磨けば光るなんて、磨かなければわかるはずもない。先見の明でもない限り、僕には七ヶ扇さんをダイアとは断定できない。
「だけど、自分には彼女を磨く術がなかった」
「まるで、その術があったら磨いてるって口振りですね」
「勿論」
間髪入れずにそう断言した八戸先輩は、自信に満ちた表情をしている。どこにそんな自信があるのか。他人に対してなにかを行うなら、その責任ものしかかってくる。……その責任を負えないから、七ヶ扇さんの告白を拒絶したと考えるのが妥当か。
「八戸先輩って、心の底からだれかを好きになったことってあるんですか?」
変な意味じゃないです、と付け加える。
「人生はまだまだこれからだから、いつかはそういう相手に巡り会いたいものだね」
「でも、高校生という時間は限られているじゃないですか。大人はいつも〝あの頃に戻りたい〟って口を揃えて言ってますけど、後悔したくないとは思いませんか?」
大人の言う〈あの頃〉とは、大体が〈高校生の頃〉を指している。女子高生は最強って言葉も訊くし、青春だって高校時代を示す代名詞である。
美化された記憶を押し付けられても、はた迷惑なだけだが、『あの頃に戻りたい』という願望だけは、わからないでもない。
「後悔、か。……そうだね。後悔はしたくないとは思っている」
右手に持っている缶の最後の一滴まで飲み干すように、八戸先輩は背中を反った。
「でも、自分の高校生活は後悔しかない」
それは、意外な言葉だった。
【感謝】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』にお目通し頂きまして、誠にありがとうございます。皆様がいつも読んで下さるおかげで最新話をお届けできています。まだまだ未熟な私ですが、これからもご贔屓にして頂けたら幸いです。
【お願い】
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【話数について】
当作品は『小説家になろう』と同時進行で投稿しておりますが、『小説家になろう』と『ノベルバ』では、話数が異なっています。その理由は、ノベルバに『章』という概念が無く、無理矢理作品に反映させているため、その分、余計に話数が増えているのです。なので、『小説家になろう』でも、『ノベルバ』でも、進行状況は変わりません。読みやすい方、使いやすい方をお選び下さい♪
【作品の投稿について】
当作品は『毎日投稿』では御座いません。毎日投稿を心掛けてはいますが、作業が煮詰まってしまったり、リアルが現実的に、本当に多忙な場合、投稿を見送らせて頂くことも御座います。その際は、次の投稿までお待ち下さると嬉しい限りです。予め、ご了承ください。
これからも──
女装男子のインビジブルな恋愛事情。
を、よろしくお願い申し上げます。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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