【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百五十二時限目 鶴賀優志は妙な話を訊かされる


 一階に下ると、正面に旅館の玄関が現れる。

 僕らが先程通ってきた自動ドアは、よく見てみると新設されたばかりの品らしい。自動ドアと言ってもコンビニの入り口にあるようなガラス張りの物ではなく、この旅館に見合った渋いデザインの物で、それは従来あったドアを改造して作られたようにも思える。

 旅館の雰囲気を損なわないように配慮したのかもしれないが、自動ドアに改造するだけでもかなり高額だったはずだ。それだけの費用を捻出できるくらいには経営が安定しているのかもしれない──そう言えばトイレも洋式にしたと言っていた──が、客入りを考えればそこまで儲けているようにも思えない。これまた奇々怪界なものだ。

 受付けの奥では恰幅のいい男性が、パソコンをカタカタと弄っていた。

 エゴサだろうか? そんなことはないか。

 まあ、エゴサだって重要な仕事だと言えなくもない。

 旅館は客商売であり、どんな評判を下されているのか気になるのも頷ける。そこからヒントを得て店を改築した結果が、〈洋式トイレ〉と〈自動ドア〉だったりするのだろう。

 自動ドアじゃない! とイチャモンをつける人なんているんだろうか?

 いやいや、いるんだろう。

 消防隊員が勤務中に自販機で飲み物を購入しただけで、「職務怠慢だ!」とクレームを入れる人がいるくらいだしな。それ程に暇なんだろう。日本は今日も平和である。

 僕が受付けの横を通り過ぎるとき、パソコンと睨めっこしていた彼は僕に気がついたようで、「どうもどうも」と椅子に座りながら頭を下げた。釣られて僕も顰に倣うように頭を下げる。

「あ、そうだ! いけないいけない。すっかり忘れていました──お部屋はどちらにされましたか?」

「男は山側で、女性はその反対の部屋を選びました」

「そうですか、ええと……お客様のお名前は」

「鶴賀です。白鶴の〝鶴〟に謹賀新年の〝賀〟と書いて、鶴賀と書きます」

 ほほう、これは縁起のいい苗字ですねと彼は言う。物珍しい物を見るような眼をしながら、僕の名前をブラインドタッチでパソコンに打ち込んだ。

「お部屋はどうでしたか?」

「とてもいい部屋だと思います」

 そうですかそうですか、それはよかった──。

「気に入って頂けたようで、なによりです」

 ええ、こちらこそと僕は頭を下げた。

 急ぐ用事ではないけれど、長話をするのは億劫だ。このまま世間話に耳を貸すほど僕は甲斐甲斐しい性格じゃない。それじゃあまた──と切り出して、温泉に続く渡り廊下があるほうではない反対側の通路へと足を向けた。だがこの男性は、もう少し僕と話がしたかったようで「お待ちください」と呼び止めた。

 まだ何か? と首を傾げると、彼は深妙な趣きで声を潜めながら──

「もうご存知かと思われますが、に惑わされぬよう、どうかお願い申し上げます」

 根も葉も無い──とは、これ如何に? 僕は殊更に首を傾げた。

 ネット世界では、悪意を持って相手を陥れるために悪い噂を流す輩がたしかに存在する。この旅館もそんな心無い人たちの餌食になっただけ、と彼は言いたいんだろうか。悪評が立つような旅館ではない。僕だってそう思っているのだけれど、感性は人によってそれぞれ違ってくる。

 ハンドメイドのアクセを通販している方の話を引き合いに出すのは難ではあるが、「材料費はそこまでかからないんだから、もっと安く提供しろ」と、それが世間の総意であるかのように言ってくる人がいるらしい。気持ちはわからなくもないけれど、だったら市販品はどうなのだろうか? ドリンクバーだって原価を考えれば、表示価格よりも安いだろう。もっと言ってしまえば、祭りの屋台で提供されるアレやコレやだってそうだ。クレームを言い放つ側の主張に立って考えると、そこには『プロ』と『アマチュア』という線引きがされる。

 プロの仕事にはいくらでもお金を支払えるが、アマチュアに大金は使いたくない、だから安くしろ──ということだけれど、僕がこれらの問いに答えるならば、「じゃあ、ご自身で作ってください」である。まあ、販売しているアマチュアのアクセ職人よりも格段に劣るだろうけれども、ご納得する値段で作成できるだろう。頑張ってね! とうう一言も添えてあげたい。無論、嫌味だ。

 では、この旅館はどうだろうか。

 そういう『我こそ国民代表、正義のヒーローである』としている者たちから、サイバーテロよろしくな攻撃を受けているかと言うと、そうでもない。幽霊が出現するなんて噂は、旅館側からすれば溜まったもんじゃないだろうけれど、それだけで客足が遠退く──なんてことがあるだろうか?

 そんなことはないはずだ。

 それを言うのなら、東京なんてもう地獄と化しているだろう。凄惨な事件が連日のようにニュースで取り上げられている。どこそこに幽霊が出るぞ、なんて噂話はそこら中に転がっているじゃないか。しかもそれを『都市伝説』なんて大層な枠組で、面白可笑しく語り継いでいるのだから、栃木県の山奥にある旅館に幽霊が出ると言われても、「ああ、そういう話ね」くらいのネタにしかならないまである。

 そう──本来ならばその程度で、信憑性がない怪談の一部に過ぎない話だ。

 この旅館は、はっきり言うと異常という他にない。

 彼が言うところの『根も葉も無い噂』に、利用客が反応し過ぎている。そのせいで客が寄り付かなくなっているのだから相当だ。だから僕は、彼の言うことがイマイチ納得できないというか、肯んずることができないでいる──そうだ、肯定できる要素が足りないんだ。

「噂を鵜呑みにしているわけじゃないんですが、一体、どんな噂話なんですか?」

「ええ、それが──」

 彼は誠に言い難いお話ですが、と言葉を添えてから「わからないんです」と頭を抱えた。

 わからない。

 これまたおかしい話だ。

「どういうことですか?」

「私共としましても、幽霊なんて見たことがないんですよ」

 それは、さっき階段で会った老齢の男性スタッフからも訊いた通りだ。

「でも、どんな幽霊で、どこに出るとかは」

「それも、わからないんです……」

 ふむ、と僕は一考する。

 これは妙な話になってきた。

 僕はてっきり、この旅館ができる限り幽霊の情報を消しているもんだと考えていた。然し、彼は『わからない』と言う。どうもおかしい。もし仮に、彼ではなく、彼よりもパソコン事情に詳しい誰かが、幽霊云々のコメントを削除しているのだとすれば──だとしても、報・連・相くらいはして当たり前だ。もう一つの仮説を説くならば、旅館全体で『幽霊話は禁句』と口を噤んでいる──だが、これも、彼が僕に『噂を信じちゃいけないよ』と公言してしまっているので違うだろう。

 とどのつまり、またたび屋に勤務している彼らも、のだ。だから戸惑っているのだろうし、困惑もしているのだろう。内心、『どうも止まらない』と焦っているに違いない。ピンクレディもブルーレディになるくらい、信じられないことでしょう。

 野次馬の如く勇み足でいたけれど、こればかりは僕の出る幕じゃじゃない──と言うか、闇が深過ぎる。

 旅館を探索するつもりでいたけれど、雲を掴むような話を訊かされてすっかり萎えてしまった。

 僕は彼にもう一度、「そうですか。それじゃあまた」と頭を下げて、折角下りた階段を再び上り始めたのだった。









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