【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百三十八時限目 待ち合わせはいけふくろうで
この三日間、電車に乗りっぱなしだなと、私は揺れる電車の中で思う。
池袋行きの急行電車、車両と車両を跨ぐドアの付近にあるシートに座り、壁に右肩を押し付けるようにして寄りかかった。車内は混雑していて、とてもじゃないが座れないだろうと諦めていたけど、私の前に止まった車両は左右の車両よりは空いていて、運よく座ることができた。でも、一駅、二駅と電車が止まる度に乗客は増えて、今ではつり革に掴まる人々しか視えない。この電車にはどれだけの人数が乗っているんだろう。そして、その人々はどんな理由で池袋、東京を目指しているのか。私には人の心を読む能力なんて無いから、考えたところで答えなんて出てこないのにな。だって、目的地は私のように、池袋とは限らないから。新宿、原宿、御茶ノ水、銀座、もしかするとスカイツリーを目指している人もいるんじゃないかな。一度くらいなら行ってもいいけど、一人で行こうとはとても思えない場所だ。
私は退屈しのぎに、人差し指の腹で親指の爪を触っていた。爪に薄く塗った桃色のマニキュアはつるつるしていて肌触りがいい。ちゃんと爪も磨いたので、つるつる具合は申し分無い。いい感じだ。メイクにも力を入れたし、この姿を視て、私を男だと思う人はいないだろう。……多分。最初は違和感を覚えたパットやブラにも慣れたし、女装して電車に乗るくらい朝飯前だと言えるくらいには、女装も板についたと思う。あとはそれに慢心したり、過信したりしないこと。私は今、女の子として存在している。それを一瞬でも忘れないよう心に刻み込む。
私は今、鶴賀優梨という女の子だ──。
『ご乗車、誠にありがとうございました。間もなく終点、池袋、池袋、です。車内にお忘れ物ございませんようご注意下さい』
車掌さんは業務的な挨拶をして、電車は徐々に速度を落としていく。つり革に掴まる人々の隙間から、CDショップの黄色い看板が視えた。タワレコか、CDは通販で購入することが多くなったから、タワレコに足を運ぶ用事は無い。CDショップは好きなんだけどね。特に大型店舗になると、まるで外国に来たような感じがする。これはおそらく、私だけしかわからない感覚かもしれないな。音楽を趣味とする都会人は、飽きるほど通っているだろうし。
池袋へと到着した電車は、人混みを吐き出すようにドアを開ける。どっと流れる人の海。我先ぞと押し出されながら、私は待ち合わせ場所に指定した〈いけふくろう〉を目指して階段を下りた。
腕時計で時刻を確認すると、待ち合わせ時間十分前。流星はもう来てるかな? 彼は時間を守るタイプだから、もっと早く到着してるかもしれない。もし時間に遅れて来ても、ガルボのいちご味が貰えるから問題ない。何なら、時間通りに来て、ガルボもくれたらいいんだけど、そんな虫のいい話はないよね。ガルボ、と思うと無性に食べたくなり、私は駅中にあるコンビニに立ち寄って、ガルボと少量サイズのペットボトルに入った緑茶を購入した。つめた〜い、やつ。あたたか〜いやつを購入してもどうせ冷めてしまうなら、最初から冷えたやつでいいや。そんな考えで買ったけれど、一口飲んでみると思っていたよりつめた〜くて、体が一気に冷えてしまった。ガルボは食べずに、鞄の中のポケットにしまった。
駅の壁には企業のポスターが並ぶ。大きく印刷された自分を視たご本人様はどう思うのだろう? 私だったら恥ずかしくて近づけないが、そもそも私が企業のイメージキャラクターになり得るはずもない。芸能人じゃないし。
駅中にあるドラッグストアを通り過ぎると、遠くに〈いけふくろう〉が視えた。その周りを柵が囲っていて、更に待ち合わせをしている人々が囲む。さながら、二重の防壁だ。人壁の中に流星の姿を探してみたけど、その姿は確認できなかった。彼らは俯いて、手元にある携帯端末を視ている。でも、待ち合わせ相手と連絡を取っているようには見えない。ただただぼうっと画面を見つめているだけ、そんな風に見える。
私はその付近の適当な場所で、人の往来を眼で追いながら、その中に流星がいないかと探していた。時間は定刻になる手前で、秒針が一十二の数字を越えた時点で遅刻確定となる。ででーん、流星、アウト。そんなサウンドエフェクトを頭の中で再生していたら、「あの」と、誰かが私の横から声をかけてきた。
白のもこもこベレー帽を被っていて、帽子から内側にくるりんとカーブする髪が両耳を覆っている。黒いポンチョを羽織り、内側には、首元から胸元まで垂れている大きな二つのボンボンが特徴の白セーター。茶色と白のチェック柄のスカートからはすらりと細い足が伸びて、黒のハイソックスが清純さをアピールしているようだ。靴は白のローヒールパンプス。遠目から視ればお嬢様のような上品さもある。私もこういう服装をすれば、楓ちゃんの隣を歩いても気後れしなそうだなぁ。
声の主の正体は、らぶらどぉるでメイドをしている、通称・マリーさんだった。私が「どうしてマリーさんが?」と小首を傾げていると、マリーさんは「驚かせてごめんなさい!」と頭を下げた。
「ちょっと驚いたけど、ええと……頭を上げて?」
マリーさんが頭を上げると、襟元にあるボンボンがバユンと揺れる。大きい、と私は思った。何が大きいかは、私の沽券に関わるので言明はしない。でも、すっごーい! キミはとても大きなフレンズなんだね! ──虚しくなるからもう止める。
「りゅ──エリスは?」
私の問いに、マリーさんは髪の毛を少し揺らす程度に頭を振った。
「雨地さんは来ません。……ごめんなさい」
ふむ──と、私は一考する。
ここに流星が来ないで、マリーさんが来たということは、つまり、そういうことなんだろう。私の予想は正解だったと言える。
「色々とご説明しなきゃいけないと思ってるんですけど、先ずは落ち着ける場所に移動しませんか? この近くに美味しい珈琲を出す喫茶店があるみたいなので、ご案内します」
私がこくりと頷くと、「では、行きましょう」と笑顔を見せて、くるりんと踵を返した。そして、軽やかなステップでステップをステップしていく。ステップって言いたいだけだな、これは、と苦笑い。
「どうかしましたか?」
「あ、ううん。なんでもない」
──自分の下着を視て鼻を伸ばす男性教員なんて、気持ち悪くてゾッとするでしょう?
琴美さんが言っていた言葉が脳裏を掠める。
階段を上り下りするときにスカートの裾を抑えるのは、女の子として当たり前の行動だ。私だっていつもそうしているけれど、マリーさんの動作が『自然』過ぎて、『ああ、私もこういう風に女の子っぽく視えてるかな』と不安になってしまった。たったそれだけの行動でも、この姿で町を歩くときは細心の注意が必要なんだ……気を引き締めて階段を上った。
「今日はいい天気でよかったです」
信号待ちをしているとき、マリーさんは私の左隣で微笑んだ。柔らかい笑顔。穢れなんて無い、そう思わせるような笑みだ。
「そうですね」
私は迷っていた。
マリーさんは年上であり、敬語を使うべきなんだろう。でも、ファーストコンタクトから口調を崩してしまった手前、今更敬語に切り替えても不自然だ。だけどな、でもな、そう悩んだ結果、崩した口調に敬語を混ぜるという、よくわからない話し方になっている。
「敬語は無しでいいですよ? 私はいつもこんな感じで、学校の後輩からも敬語を使われませんから」
それは、どうなんだろう? と、私は思った。
マリーさんからは、ふわふわとか、もこもことか、ふんわりとした印象を受ける。マリーさんの周囲には、ゆったりとした空気が流れているような気がして、それが後輩たちにも伝わり、威厳や敬意を感じなくなってしまったんじゃないか、と。悪く言えば『舐められている』だけど、本人がそれでいいのなら、私がとやかく言うべきじゃない。私自身が気をつければいい、それだけの話だ。
「あの薄暗い路地にある店です。ほら、イーゼルが見えませんか?」
「あんなところに喫茶店があったんだ……ですね」
あったんだ、です! ──と、マリーさんは私の真似をしながら、自慢するように演技っぽく、えっへんと腕を組んだ。
「よく行くんですか?」
「初めてですよ?」
「え」
「え?」
えええぇ……、初めてなのに得意顔で勧めたよこの人。らぶらどぉるで働いているときも思ったけれど、マリーさんってもしや天然なのでは? もしやも何もないか、紛うこと無き天然だ。
「だめ、でしたか?」
「そ、そんなことないです! た、楽しみだなぁ……」
「私も楽しみにしてたんです!」
スキップでもしだすのではなかろうか? と思うくらい、マリーさんは心を弾ませているようだ。可愛い人だな、とは思う。素で『可愛らしさ』を表現できる女の子は、男子から注目されるけど、女子からも注目されるだろう──悪い意味で。
「あ! 青ですよ、優梨さん! 渡りきってしまいましょう♪」
マリーさんの視界には、横断歩道がレッドカーペットに視えているのかもしれない。「優梨さん、急いでー!」と、横断歩道の中腹にある待機スペースで手を振る彼女は、ずっと笑顔を崩さない。私よりも年上なのに、まるで頑是無い子供みたいな笑顔だ。
「あまりはしゃぐと転びますよー」
私はまるで母親のようにマリーさんに声をかけて、残りの白と灰色のストライプを渡った。
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当作品は『小説家になろう』でも投稿しております。ノベルバの方が読みやすいと私は思っていますが、お好きな方をお選び下さい。
(小説家になろうとノベルバでは話数が違いますが、ノベルバには〝章〟という概念が無く、強引に作っているために話数の差が御座います。物語の進捗はどちらも同じです)
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by 瀬野 或
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