【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百三十二時限目 そこに許しもなければ和解もない
僕らが集めた資料は、どれも似たような物ばかりだった。
そんなことになるんじゃないかって予感はしていたけど、その予感は的中してしまったらしい。
「無能過ぎないか、俺ら」
「佐竹と同じ括りにされるのは不愉快だなと、心の中で僕は思った」
「口に出てんじゃねぇか。もう少しビブラートに包めよ」
さたぁ〜けとぉ〜おなじぃ〜く〜く〜りにぃ〜されぇ〜るのは〜ふ〜ゆか〜いぃ〜だなぁ〜あ〜あ〜あ〜。
レミオロメンの粉雪の調子で再現してみたけれど、そもそもあの曲にビブラートって使われていただろうか。どちらかと言えば、感情を全開に押し出して歌う曲だ。小細工無しで歌ったほうがいいと思う──佐竹は『オブラート』と言いたかったんだろうけど、天野さんも月ノ宮さんも、佐竹の間違いを訂正しなかった。いつかの音楽の授業で、「この曲のこの部分は、もっとオブラートに包みたいよな」とドヤ顔して、赤っ恥をかけばいいさ。暗黒微笑。
こういうとき、その真価を発揮するのが月ノ宮さんだ。
月ノ宮さんはプリント用紙をリュックから取り出して僕らに配る。内容は、僕らが調べてくるであろうと予想した宿とその宿泊費。それが上段から中腹にかけて箇条書きされていた。月ノ宮さんの中で、僕らがポンコツな情報しか持ってこないというのは想定内だったんだろう。月ノ宮楓はその一歩、二歩先をゆく──。
「下記に記されているのが、ネットクーポンを利用した宿泊費です。割引きは各サイトで違っていましたが、一番割引き率の高い物を厳選しました。一応、このクーポンが利用できるのか電話で訊ねたところ、可能と答えが返ってきまして──ですが、すでに予約満杯状態らしいんです」
予約満杯という言葉で、いよいよ雲行きが怪しくなってきた。
そもそも旅行というのは、突発的にするものじゃないもんな。数ヶ月前から計画を立てて遂行するものであり、当然、安い宿は人気ですぐに埋まってしまうだろう。ちょっと考えればわかりそうなものだけれど、名無しさんの手紙のせいで、それを一考する余裕がなかった。
「こういう場合ってさ、楓の別荘とかあって、そこに宿泊する──みたいなのがセオリーだったりしねぇ? 漫画とかでそういうのよくあるだろ?」
「……まあ、あるにはあるのですが、そうなると海外になります」
「スケールが違うわね……」
月ノ宮家の財力半端ねぇな──と、佐竹は演技っぽく驚いてからテーブルに突っ伏した。
この旅行は、月ノ宮家の施設に頼る計画ではなかったはずだ。一から自分たちで計画して実行する。それに意味があったはずなので、僕らは初めから月ノ宮家の別荘を当てにしていない。……いや、気持ち程度には当てにしていたかも。
「やっぱり温泉旅館は無謀過ぎたかもしれないわね」
開幕早々、暗礁に乗り上げてしまった僕らは、手元にあるプリントと睨めっこする状態が数分続いた。
「諦めるか──」
佐竹が白旗降参ハンズアップと、弱々しい声を漏らす。
見切り発車だったしな──。
人生には時に諦めも必要である、というお手頃な常套句もあることだしすぱっと諦めて、のんびり自宅で英気を養うのも有りなんじゃない? と、僕らは思い始めていたけれど、一人だけ、逆境に立ち向かわんとしている者がいた。
「このまま終わるわけにはいきません。それは、月ノ宮の名が許しません!」
誰しもが諦めムードだったにも関わらず、月ノ宮さんだけはハングリー精神を燃やしていた。熱いよ、熱過ぎるよ月ノ宮さん! でも、その理由が何となくわかってしまうので、素直に褒められないよ月ノ宮さん!
「やけに騒がしいな、お前ら」
別卓でお茶をしていた柴犬と春原さんが、月ノ宮さんの台詞を訊きつけてやってきた。
彼らには一緒に昼食を取っている間、『温泉旅館に行く計画を企てている』と告げていたので事情だけは把握しているものの、どうして月ノ宮さんがめらめらと闘志を剥き出しにしているのか理解し難かった様子。「まあ、そういう人なんです」としか言えないけれど、それを言ったとて首を傾げるだけだろう。僕は「騒がしくてごめん」とだけ謝った。
「ん? なんだこれ」
柴犬が興味本位で手を伸ばしたのは、佐竹に配られた報告書だ。柴犬はそれをざっと目で追ってから、「なんだこれ」と同じ台詞を吐いて、僕に視線を合わせた。『説明しろというサインだ』と、僕は受け取る。
「旅のしおり、かな」
「これが? どっちかと言えば企画書とかお堅いもんじゃねぇの? しっかし、よくここまで調べたもんだな」
それには僕らも同意見だ。数十件の宿名に、一泊二日の通常宿泊費、クーポン、室内風呂の有無、温泉の特徴、主な効能までもが記載されているので、『要点だけをまとめた〝じゃらん〟』と言われてもおかしくはない。それだけ調べたということは、どれだけ天野さんと温泉に浸かりたかったのか──じゃなくて、『僕らだけで企画した宿泊』に想いを込めていたのかがわかる。
「楓ちゃんは忠実だもんねー。こういうときに頼りになるのは男性人じゃなくて女性陣だよ」
マジでそれだわ、と佐竹が同意する。
「言われてみりゃ、旅行のプランニングはオヤジより母親のほうが上手いな」
「ババァって──柴犬は絶賛反抗期なう?」
「〝なう〟って、今日日訊かねぇな」
その台詞はリゼロかな? いや、柴犬はアニメに詳しくなかったから違うか。むしろ、柴犬はアニメを視ている人たちを馬鹿にしている風潮があった。「これだからアニオタは」とか、「声豚はきもい」とか、そういう言葉でクラスにいるアニメ好き君たち、アニ研、漫研部員を罵っていた──今でもそれは、はっきりと覚えている。
現在の柴犬が聖人君子になろうとも、過去は絶対に変わることはない。彼に対しての苦手意識は、アイスコーヒーの氷が溶けた程度に薄まったけれど、これから連絡を密にして関わり合おうとは思えない。人間には適材適所があって、住み分けは必要不可欠だ。彼のパーソナルスペースに入り込もうと思わないし、彼もこれ以上、僕と距離を詰めようとしないだろう。お互いがお互いに、お互いの過去を知っているからこそ、……である。
「ま、適当に頑張れよ。オレらはそろそろ移動するわ」
「そっか。──またね、凛花。お幸せに」
「うん。恋莉もね」
月ノ宮さんと佐竹も、彼らに別れの挨拶を告げた。
「鶴賀。お前くらい見送りにこいよ。昔の誼があるだろ?」
「ないよ」
僕が即答で拒絶すると柴犬は頭をがりがり掻いて、僕の耳元で「──話があるって意味だよ」と、僕以外には訊こえない声で囁いた。ミントの匂いがした。
見送る、という体で彼らの背中を追うと、柴犬はコインパーキングの前で足を止めた。
話があるとは言っていたけど、僕から柴犬に用は無い。どちらかと言えば、駅前で言いかけていた春原さんの言葉の続きのほうが気になるんだけど……と、柴犬の隣にいる春原さんを視る──際立って不審な点はない。柴犬と付き合うにあたって、なにか不安でもあったのかと思った。然し、これまでの行動から察してみても、不安のようなものを感じ取ることはできなかったし、何なら自慢もしていた。彼の過去を知る僕は、自慢できるような男じゃないと思う。でも、春原さんは今の柴犬を評価しているんだ。それこそ、佐竹や天野さん、そして月ノ宮さんが僕にしてくれたのと同じだろう。『いい彼女ができてよかったね』とだけ、心の中で呟いた。
昼時が過ぎたこの通りに、人影は見当たらない。元々、人通りの少ない場所というのもあるけれど、このコインパーキングを利用する人もそんなにいない。百貨店には駐車場もあるので、ここに停めているのは安さ目当てのサラリーマンか、この町を散策してやろうという物好きくらいなものだ。
「ぶっちゃけるとな──」
柴犬は、僕と反対側の遠くを視ながら、訳ありっぽく切り出した。
「お前があんな風に笑うんだって、初めて知った」
隣にいる春原さんは、柴犬から少しだけ離れた。
「オレはあの頃バカみたいに調子に乗ってて、周りにいる奴らはオレよりも下だって見下してた」
「うん。そうだろうね」
「お前な……ま、いいか。でも、いじめをしていたつもりはない」
──そうだろうね、としか言えなかった。
僕だって、柴犬からいじめられていたという記憶は無い。ただ単純に、柴犬のことが苦手だった。……それだけ。
「お前がオレらのグループから離れたとき、〝なんだアイツ〟って思ったわ。〝ノリが悪いヤツ〟とも思った」
「否定はしないよ。僕は今でもその〝ノリ〟には、ついて行けそうにないからね」
「だろうな」
柴犬はふっと笑い、僕と向き合った。
「オレは、お前が嫌いになったよ」
「奇遇だね。僕も同じ気持ちだ」
言うようになったじゃねぇか──柴犬はどこか満足そうに笑った。
「もし、お前がオレのせいであんな風になったのなら──」
「違うよ」
僕は柴犬の言葉を待たずに、矢継ぎ早で答えた。
「僕がクラスの人たちと距離を取ったのは、柴犬が原因じゃない。まあ、一因ではあったのかもしれないけど、それで柴犬を恨むようなことはないよ」
ちょっとだけ、僕は嘘を吐いた。
あの頃の柴犬の暴君っぷりにはついていけなかったし、思い返してみれば、あれはいじめだったかもしれないと思う節もいくつかある。彼はそれらを、全て『ネタ』と言い放った。僕が『ネタ』や『ノリ』という言葉に過剰な反応を示すのは、柴犬が原因だと言っても過言ではない。彼が具体的に何をしたのか、ここで洗いざらい吐き出してやってもいいけれど、春原さんがいるこの場でそれをするのはなんとも卑怯だ。僕は嘘つきで卑怯者だ。でも、本当の意味でそれらに成り下がるような真似はしたくない。
「だから、それ以上の言葉は口にする必要はないんじゃないかな」
今更になって謝罪されても過去は変わらない。
僕の心はそんな感情任せの言葉で癒されないし、彼の心に生まれた〈後悔の念〉を、みすみす払ってやる義理もない。
いじめっ子が、いじめていた子と、恋仲になる漫画があった。
世間では『感動するいい物語だ』と絶賛されて、ベストセラーになり実写映画化もされた。でも、それは『そういう経験が無い人向け』だと僕は感じてしまったんだ。いい話なんだと思うし、涙が自然に溢れるような素晴らしい作品なんだろう。でも、経験者の意見は違うはずだ。……つまり、みかたが違う。
それは趣向品と似ている感情で、酒とたばこが好きという人もいれば、それらに嫌悪感を抱く人もいるということ。どっちが正解で、どっちが不正解だとも言えない。戦争に大義も無ければ正義も無いというように、人それぞれの物差しで測るしかないのだ。禁煙と喫煙で住み分けされている通り、人にはそれぞれ住むべき世界がある。柴犬は担任の藤沢先生にそれらを教わって改心した。それでいいじゃないか。改めて過去を振り返る必要なんかない。それは僕の専売特許なんだから、わざわざ譲ってやらないさ。
「理屈っぽいところは今も健在だな」
「こういう性分なんでね」
そう、僕はこういう性分なのだ。
「えっと、……あのね? 実は、私、知っちゃったんだ」
今まで黙して語らずだった春原さんは、気まずそうにしながらも、声をやわらげて確信に迫る。
「訊いちゃったんだ、風の噂で」
ああ、と僕は思う。そういう訳あって春原さんは、複雑な心境を打ち明けるような表情で僕に訊ねようとしていたのか。
「まじかよ、きっちぃな……」
自嘲気味な笑みを湛えている柴犬は、ぶらりと下げた掌をぐっと握った──振られる、そう思ったのかもしれない。さすがに僕もそこまでは望まないので、そんな結果になってしまったら不本意だ。どうにかして話題を変えようと言葉を探していると、春原さんはぐいっと柴犬の腕に抱き着いた。
「でも! やっぱ私は、今の健が好きだから! ルガシーにはごめんって思うけど、やっぱ好きなんだよ、私」
まるで青春ドラマを見ているかのような錯覚すら覚える光景に、はいはい、ご馳走さまでした。末永くお幸せに──としか言えない。
「嬉しいけど、やっぱ鶴賀の前ではキツいな」
あの柴犬がたじたじになっている様は傑作だけど、笑ってしまっては失礼だよね。いやもう本当に、笑ったら失礼だからさ? 笑うのだけは勘弁してあげようよ……無理だって!
「おい、鶴賀! 笑いどころじゃねぇぞ」
「ごめんごめん……ネタってことで許して……はははっ」
もし僕が梅高ではなくて、柴犬と同じ高校に進学していたら、僕らはもっと違う関係を築いていたかもしれないし、そうじゃないかもしれない。『もし』なんて考えは意味が無いんだ。違う世界線ではそうなのかもしれないけれど、ここはこういう世界線であり、僕にリーディングシュタイナーは備わっていないので、観測することは不可能だろう。
「なんだか毒気を抜かれちゃったよ。さすがはハラカーさんだね」
「〝愛は強引に理論を捻じ曲げるのだよ!〟って、泉ちゃんに相談したら言ってたんだけど、こういうことだったのかな?」
多分、そういう意味じゃない。関根さんのことだから、勢い任せの適当発言だろう。
『真実はそれなりにいつも一つなのだよ!』
どこからともなく、関根さんの口癖が訊こえた気がした。『それなり』って……まあ、それなりにではあるけど、名探偵が言っていい台詞なんだろうか? と、僕は小一時間くらい問い詰めたいところだ。
『愛は強引に理論をねじ曲げる』
──それは、もしかすると事実なのかもしれない。
『愛に対して理屈や御託は通じない。好きだという感情はどんな感情よりも色濃く、そして深いのだ。それゆえに、愛は尊いものだと私は思う。私は妻に、与えて貰った分以上の愛を返したいと思っていたが、それもとうとう叶わないらしい。マイケル、その拳銃で私を貫け。マグナムなら可能だろう? 最期の弾丸は、キミの一発がいい』
ハロルド・アンダーソンの作品『OLD MAN』に書かれた台詞が、ふっと頭を過ぎる。マフィアの抗争を描いた作品で、ハードボイルドな世界観だったにも関わらず、主人公の中年男性だけはどこか後ろ向きで前向きな性格だった。頭に過ぎったこの台詞は、親友の手によって最期を迎えたいと懇願するシーンだが、その願いは果たされることなく、彼は親友の腕の中で力尽きて、永遠の眠りにつく。
どうしてマイケルは主人公を撃たなかったのか──その理由は明かされていない。考察サイトでは、『マイケルのマグナムは全弾撃った後で、弾切れだった』という説と、『マイケルは相棒に、友情以上の感情を抱いていたのではないか』という説に分かれている。
僕は、どちらも正解じゃないかと思う。
マイケルは主人公を守るために奮闘していたし、その際に全ての弾丸を撃ち尽くしたという描写は無いけれど、愛する者を守るためには、後先考えていられない状態だったのも頷ける。戦場での弾切れは死に直結するにも関わらず、そうまでしたのは、それこそ『愛は理論を捻じ曲げる』なのではないだろうか? ──そして、この台詞は、死期を悟ったハロルド自身の言葉だったのかもしれない。
関根さんがそこまで考えてこの言葉を春原さんに送ったとは考え難いが、意図して効果を発揮したのだから、関根さんも本望だろう。
「──で、話の終点が見えないけど、僕はもう戻っていいのかな?」
いつまでもこんな胸焼けする光景を視せられていたら、僕の胃がどうにかなってしまいそうだ。
「ああ。そうだな──じゃ、またいつか」
「うん。またいつか、ね」
春原さんは暫く手を振っていたけど、大通りに入る曲がり角手前で手を下ろした。
彼らが乗った列車の終着点が、栄光であることを強く願う。
僕はマグナムを持ってないから、見えない自由が欲しくて、本当のことを教えてくれとは望まない。ほんのちょっぴりの好奇心と、見掛け倒しのはったりだけあればいい。いつかあの列車に乗る機会が僕にもあるならば、往復できるだけの切符は欲しいな──なんて思う僕は、やっぱり少し贅沢なんだろう。そんな退屈なことを考えながら、ダンデライオンまで引き返した。
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』にお目通しを頂きまして、誠にありがとうございます。
もし『面白い』『応援してあげよう』と思って下さいましたら、☆マーク、♡マークを押して頂けますと、今後の活動の励みとなりますので、どうかご協力をお願いします。また、感想はお気軽にどうぞ。『面白かった』だけでも構いませんので、皆様のお声をお聞かせください。
当作品は『小説家になろう』でも投稿しております。ノベルバの方が読みやすいと私は思っていますが、お好きな方をお選び下さい。
(小説家になろうとノベルバでは話数が違いますが、ノベルバには〝章〟という概念が無く、強引に作っているために話数の差が御座います。物語の進捗はどちらも同じです)
最新話の投稿情報は、Twitterで告知しております。『瀬野 或』又は、『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』で検索するとヒットしますので、お気軽にフォロー、リスインして下さい。
これからも『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』並びに、瀬野 或をよろしくお願い致します。
by 瀬野 或
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