【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百二十二時限目 その日は近いかも知らない
「さすがは鶴賀先輩。王者の貫禄すら感じます」
私は返答に窮した。
衣装室から出てきた私を視るなり、奏翔君は大袈裟に拍手喝采する。太鼓持ちされているみたな居心地の悪さを覚えた私は、困却の果てに「わかったわかった、もういいから」と照れ笑い。それでも羨望に満ちた眼差しは、今も私に向けられたままだった。
「日に日にメイクが上達してる。……凄いわね」
焦りではなく、羨ましいという感情が先んじた声で、レンちゃんは呟く。
女性からすれば、化粧というのは日常生活で必須のスキルだ。そのスキルがレンちゃんよりも上、という自覚は全く無い。もしそう思っているならば、それは紛れもなく自惚れだ。私の場合、慢心すれば足をすくわれる。そうなったら一大事であり、由々しき事態を回避するためにも、化粧は上手くならなければいけない。
「私よりも女子力高いって、ちょっと凹むわ」
「そんなことないよ。それに、今回の化粧はカトリーヌさんにしてもらったんだから。それは二人も同じじゃない?」
「あ、そっか」
「私が上手いんじゃなくて、カトリーヌさんが上手いんだよ」
カトリーヌさんは恥ずかしがる様子もなく、それが当然であるかのように首肯した。カトリーヌさんの腕は確かだ。端厳な表情も、自信から来るのだろう。そうでなければ、私の依頼を引き受けなかったはずだ。私たちとカトリーヌさんでは、踏んだ場数が違う。
今回の依頼──カトリーヌさんから言わせると、これは『契約』らしい──は、私たちの着付けと化粧、そして、奏翔君へのアドバイスの三つであり、それらがすべて終わった段階で契約は満期を迎える。
「通路での立ち話はここまでとして、一度、衣装室に戻りましょう」
最後の仕上げに入るようだ。
私たちはカトリーヌさんの指示に従い、衣装室へと入った。
壁に立て掛けてあったパイプ椅子の残り三つを部屋の中央に、円を作るように囲んで置いたカトリーヌさんは、「お掛け下さい」と私たちに座るように促す。私たちは近場にある、適当な椅子を選んで腰かけた。
何とも言い難い場の空気に、思わずごくりと生唾を呑む。
これから何が始まるというのだろうか? 『アドバイスをして欲しい』とは頼んだけれど、厳粛に執り行われる円卓会議を望んだわけじゃない。レンちゃんも、奏翔君も、粛然として、カトリーヌさんが開口するのを待っている。
緊張感が張り詰めて、『もう限界だ』と思った時、カトリーヌさんはようやっと口を開いた。
「そこまで緊張せずとも……。気を楽にして下さい」
そもそも、こういう雰囲気を作り出したのは他でもなく、カトリーヌさんご本人なんですが? と、苦言を呈したくなる気持ちを抑えて、二人に「身構える必要は無いよ」と、優しく声をかけた。
「僕、怒られるんじゃないかと思いました……」
「怒られるようなことはしてないでしょ? ──したの?」
してないよ! と、奏翔君は声を大にした瞬間、「しまった」という表情を浮かべて萎縮した。
「空気が悪いですね」
だから、それはアナタのせいですよ! この際、そうツッコミを入れたほうが、いくらか場を和ませられるだろうか。ここに佐竹君がいれば、すっとぼけた表情でこの空気を壊してくれるに違いない。肝心な時に不在なのが、佐竹義信という男だ。元より、呼んではいないけど。
「ここはミニゲームでもして、空気を変えましょう。椅子取りゲームなんてどうでしょうか?」
「椅子取りゲーム?」
奏翔君は首を傾げる。
「椅子取りゲームですか?」
レンちゃんは困惑している。
「椅子取りゲームはないですね」
私は断固とした態度で、その催しを否定した。
「ハンカチ落としでもいいですが……まあ、冗談です」
いやはや、これは一本取られましたなぁ!
なんてことになるはずもなく、私たちは愛想笑いをするしかできなかった。乾いた笑いが物悲しく衣装室に静寂を呼び、しんと静まり返った所で、カトリーヌさんはわざとらしく、「コホン」と咳払いして場を整えようとする。けれど、全然整ってないんだ、これが。色々と残念な結果になって、場の空気が更にごちゃごちゃっとしているが、カトリーヌさんはお構い無しに話を進めた。
「奏翔さん」
「は、はい!」
続く言葉に「元気です!」とあったら、小学校時代の出席確認だ。
私がいた小学校では、『ちょっと風邪気味です』と言うのが格好いい、みたいな謎の風潮があった。おかげでクラスの男子生徒の過半数がちょっと風邪気味。今にして思えば、担任だった根岸先生は、内心、『お前らの返事は元気だよな』と、微苦笑を浮かべていたに違いない。
「実際に女装をしてみて、どうでしょうか?」
私が質問した時は、『わからない』という返事だった。今も変わらずだろうか? と、奏翔君を視る。
「そう、ですね。……何だかふわふわした感じです」
「ちょっと奏翔。もう少し具体的に答えなさいよ」
「うるさいな、わかってるって。……ええっと、落ち着かない、ですかね」
二人の仲は、以前よりもよくなった。いや、本来、この姉弟は仲がよかったんだろうから、以前の関係に近づいた、というほうが正しいかも知れない。私も、楓ちゃんも、二人の仲直りに尽力した甲斐があったというものだ。
「最初はそういうものです。恋莉さんはどうでしょう? 男装をしてみてた感想をお訊かせ下さいませんか」
レンちゃんは、「うーん」と唸りながら言葉を探す。
「こういう服は着たことがなかったので、身が引き締まる思いです」
さすがはお姉ちゃん。
ふわっとした回答をした奏翔君とは違い、端的に、そして具体的に感想を述べた。
「──そうですか。ありがとうございます」
カトリーヌさんは座りながらお辞儀をして、ゆっくりと姿勢を戻す。
「実を言うと、これと言ったアドバイスは御座いません」
「え?」
「はい?」
姉弟の声が重なった。
「アドバイスとは、自分の限界を感じた際に、他人、または先駆者に求めるものです。ですが、今日は〝初体験〟ですよね。初体験でアドバイスというのはどうなんでしょうか?」
「これから先、どういう風に女装と向き合うべきか。…とか、そういうのは無いんですか?」
堪らず、私は声を上げた。
遠路遥々やって来たのだから、大なり小なりアドバイスはしてあげて欲しい。
「ありません」
「ええ……」
いいアドバイスをしてくれるだろう──そう期待していただけに、私は肩をがっくりと落とした。
「優梨さんは女装に対して、少し身構え過ぎていませんか?」
「え?」
「女装とは自分を表現する一つの方法でしかありません。私や優梨さんみたいに、死活問題に関わるならいざ知らず、奏翔さんは〝趣味として女装をしてみたい〟と、最初にお話を伺いましたが」
……言われてみればそうだった。
奏翔君は『ほんのちょっと、女装に興味がある』と言っていただけで、『女性として生きたい』とは言っていなかった。私はその言葉を訊いて、奏翔君には存在意義の中に、自分の性別に違和感を感じているのでは──と、推測を立てたけれど、それは大いに勘違いだったのだ。勝手に私と重ねて、勝手に女装の何たるかを説いて、勝手に暴走しただけ。かーっと耳まで赤く染まるのを感じて、私は思わず顔を伏せた。やばい、超恥ずか死にたい。やばい。
「つまり、奏翔さんと優梨さんは、最初から噛み合っていなかったんです」
「……そう、なんですか?」
今まで沈黙していた奏翔君が、異を唱えるように発声した。
「ええ。奏翔さんは〝女装を趣味として楽しみたい〟。一方、優梨さんは〝私生活に女装を取り入れる事による弊害に対して、どうする対策をするべきか〟を私に訊ねていました」
なるほど、と奏翔君は、顎を下げる程度に頷いた。
「なので、私は〝アドバイスは無い〟と申し上げたんです」
「……でもそれって、僕からすれば似たようなものなんですけど」
似たようなものとは? ──と、カトリーヌさんはぴくりと眉を動かした。
「女装をするってことは、他人と違うことをするってことですよね?」
「そうですね。〝女装〟は特殊な趣味と言えます」
「自分が女装しているのは知人にバレたくない、それは当たり前だと思うんです」
奏翔君は先程のおどおどした態度とは一転して、冷静に状況を判断しているように視える。現場の空気に慣れたのか、本来の奏翔君を取り戻せたらしい。……姿はメイドだけど。
「──では、奏翔さん」
「はい」
「リスクを背負ってでも、女装を続けますか?」
「僕は──」
顎に手を当てて、暫し考える素振りを見せている奏翔君は、これまでの会話の流れを思い出すかのように、「そうだな……いやでも」とぶつぶつ言いながら言葉を引き出していた。そして、自分なりの答えを導き出せたのか、ぱっと顔を上げる。
「やっぱりわかりません」
「奏翔。それじゃさっきと変わらないじゃない……」
レンちゃんは、奏翔君がどう答えるのか気が気じゃなかったんだろう。奏翔君が思考を巡らせている間、生きた心地がしないとでも言いたげに、視線をあちこちに向けていた。
姉という立場のレンちゃんは、願わくば、女装はこれっきりにして欲しいと思っているに違いない。
いくら自分が『女装を否定できる学校生活を送っていない』としても、いざ、自分の弟が女装に目覚めたら、この先、奏翔君との関わりかたを改める必要がある、と考えているんだろう。
それは、奏翔君が自分の中に〈女性〉を見出していたらの話。
仮にそうだとしたら、『弟』と接するべきか、『妹』と接するべきか、或いはどちらも並行して接するか。……これはなかなか、煩雑した問題だ。然し、奏翔君の答えは今まで通りの平行線を辿っている。レンちゃんが桂三枝だったら、パイプ椅子から転がり落ちていただろう。それくらいの落胆はあったはず。
けれど、奏翔君の話はこれで終わりではなかった──。
「姉さん、一々横槍を入れないでくれよ。……わからないと言うのは、今すぐに答えを出すのは早計だと思ったからです」
この歳でよく、『早計』なんて言葉が出てきたものだと、私は感心してしまった。
「まだ僕は、女装のよさも、そのリスクも理解してません。だから、今日の経験を活かして、自分なりの答えを模索したいと思います」
「そうですか。……いえ、その通りですね。答えを導き出せたら、また私を訪ねて下さい。その時は、もっと有意義なお話ができるかも知れませんから」
はい、と奏翔君は柔和な笑顔ではっきりと答えた。
私はその笑顔を一瞥して、奏翔君が近いうちに、もう一度この店に訪れる日は近いかも知れない──そう感じた。
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』にお目通しを頂きまして、誠にありがとうございます。
もし『面白い』『応援してあげよう』と思って下さいましたら、☆マーク、♡マークを押して頂けますと、今後の活動の励みとなりますので、どうかご協力をお願いします。また、感想はお気軽にどうぞ。『面白かった』だけでも構いませんので、皆様のお声をお聞かせください。
当作品は『小説家になろう』でも投稿しております。ノベルバの方が読みやすいと私は思っていますが、お好きな方をお選び下さい。
(小説家になろうとノベルバでは話数が違いますが、ノベルバには〝章〟という概念が無く、強引に作っているために話数の差が御座います。物語の進捗はどちらも同じです)
最新話の投稿情報は、Twitterで告知しております。『瀬野 或』又は、『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』で検索するとヒットしますので、お気軽にフォロー、リスインして下さい。
これからも『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』並びに、瀬野 或をよろしくお願い致します。
by 瀬野 或
「恋愛」の人気作品
書籍化作品
-
-
841
-
-
440
-
-
63
-
-
15254
-
-
4503
-
-
49989
-
-
52
-
-
37
-
-
35
コメント