【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百二十一時限目 カトリーヌ先生のメイク講座は基本に忠実である


 その姿を視た時、僕らは言葉を失った。いくら頭を働かせても、適切な言葉が思い浮かばない。『格好いい』なんて、使い古された賛辞では失礼に値する。『素敵』という嘆美が、一番しっくり来るだろうか。それでも、彼女の姿を言い表わせる言葉としては、物足りなさを覚えた。

「そんなにじろじろ視ないでよ。……恥ずかしいじゃない」

「あ、ああ。ごめん」

 じろじろなんて視ていただろうか? 視てないよなぁ、視てたかもなぁ。何なら全身、隙間なく観察していたかも知れないまである──そう言うと語弊が生まれそうなので、後に続けようとした言い訳を呑み下した。

「姉さんって、本当は男だったんじゃないの? 産まれかたを間違えたんじゃない?」

「なに言ってるの、ばかじゃないの?」

 歯に衣着せない姉弟のやり取りは、ほんの少しばかり羨ましく思うけれど、僕に兄妹がいたら、顔を合わせる都度、言葉と言葉の殴り合いになりそうだ。それも一つの兄妹という関係性だと言えるけれど、ラノベのように、主人公を溺愛する兄妹というのも悪くない。そうだな、エロマンガ先生とかね。エロマンガ先生なんていません。

「──では、優志さん。残すはアナタのみです」

「僕が女装する意味ってあるんですか?」

 ……無いような気がする。

「あります。そういう契約ですので」

「……ですよねぇ」

 カトリーヌさんなら、そう言うと思ってましたよ──と、心の中で呟いた。




 * * *




「──ところで、優志さん」

「はい?」

 手慣れた手つきでメイド服を着ていると、ドア付近で様子を視ていたカトリーヌさんが、含みを帯びた声で僕を呼んだ。

「単刀直入にお訊ねしますが、優志さんはバイセクシャルですか?」

「──それは、かなり突っ込んだ質問ですね」

「ええ。お気を悪くさせてしまったのなら謝罪致します」

 謝罪する気があるのか無いのか、真顔に近い表情からは見て取れない。カトリーヌさんは僕にどう思われようが、どうってこともないのだろう。僕はこの店のスタッフではないし、知人と呼べるのかすら危ぶむ関係だ。質問の意図を探ろうとしても、脈絡も無い質問だったので、どうしてそんな質問をしたのか。今、それを知ってどうなるというのか。皆目見当も付かない。

「私が昨日お話しした内容については、記憶に新しいと思いますが、先の質問は、だとご理解下さい」

 昨日、カトリーヌさんは、性自認についての話をしていた。それの延長線ということは、おそらく、カトリーヌさんの恋バナってこと? ──ううん、差し当たって興味は無いなぁ。けど、質問されて答えないわけにはいかない。

 さて、どう答えるべきか? と、カトリーヌさんの顔色を窺いながら頭を捻ってみる。真っ先に頭の中で思い浮かべたのは、僕に好意を寄せてくれている二人の男女。もう、何ヶ月も答えを引き延ばしているのに、それでも待ってくれている二人。嫌な顔せずに忍耐強く、僕の答えを待ち望んでいる佐竹と天野さん。僕はどちらかを選んで、どちらかを失望させなければならない。心苦しい選択だけど、そろそろ誠意を見せなければならないとも考えている──然し、今はその時じゃない。月ノ宮さんのこともあるし、現在は奏翔君の事情に首を突っ込んでいる。そんな状況で答えを出したら、二人だって納得はしないはずだ。

 これまでに何度となく考えたけれど、僕の答えは定まっていない。答えを導く道筋となる出来事は、これまで幾度もあったはずだ──だから悩む。

 女装を始めた当初は、『同性の恋人なんてごめんだ』と思っていた。別に、同性恋愛を否定しているわけじゃない。ただ単純に、『同性と付き合う自分』というものが想像できなかった。だから佐竹の申し出には理解できなかったし、『の幻想を打ち砕いてやる』と、百貨店の通りを奔走したりもした。

 両性だと自覚した辺りから、『恋愛に性別は関係ないのではないか?』と思うようになった。優梨の姿であれば、同性とも恋愛が出来るかもしれない。……そう感じたのは、実は最近になってからだ。流星に言われた一言がトリガーになったのはげんを俟たない。だから先程、途方に暮れていた奏翔君に対して、大言壮語を吐いたんだろう。思い返せば、そういう理由もあったと納得できる。

 従って、カトリーヌさんの質問に答えるならば──

「多分、バイセクシャルなんだと思います」

 僕は、自分に言い訊かせるように答えた。

「やはり、そうでしたか。〝優梨さん〟になられている時に、〝優志さん〟とは明らかに雰囲気が違っていたので、そうではないかと思っていたんです」

「それと〝延長線上の話〟に、どんな繋がりがあるんですか?」

 こちらは誠意を持って答えたんだ。

 質問の意図くらい、教えて貰わないと割りに合わない。

「性自認と自分の容姿というのは、切っても切れない糸で繋がれています。それは恋愛においても同じ事が言えるのですが、〝好意を抱く相手によく思われたい〟と思うほど、感覚が研ぎ澄まされて、些細な事にも注意を払うようになります。女装を〝趣味〟とするならば、今のままでも充分でしょう。けれど、それ以上の結果を生み出したいのであれば、中途半端なままではいけません。可愛いは作れます──然し、恋愛は〝可能性〟の話です。自分の可能性を、……更に高みを目指すと言うのなら、もっと自分と向き合う必要がある、と私は考えています。好きな人を想えばこそ、自分自身と語り合い、見つめ直し、その人に見合う自分になるのが大切なのです」

 淡々とした口調ではあったけれど、言葉の節々に熱が帯びていた。

 男性として誕生したカトリーヌさんは、男性として生きることを強要されてきたのだろう。そこには、『男性でありたい』と望んだ流星と、重なる部分がある。然しながら、物心つく前から、自分の性に対して疑問を抱いていたカトリーヌさんは、『女性でありたい』と、死に物狂いで努力を重ねて、時には変人扱いを受けながらも、信念を曲げる事無く今まで生きてきた──と、僕は想像しながら、カトリーヌさんの立場を慮る。

 好意を寄せる相手は常に男性。然りとて、世の男性すべてが同性恋愛に理解があるわけではない。否定的な意見を持っているほうが多いはずだ。だから、カトリーヌさんは自分の見た目に拘った。

 女性として視認されれば──と、女性服を着るために、無茶なダイエットもしただろう。人見知りであるカトリーヌさんは、誤解されることも数多にあっただろう。そうしてやっと手に入れた幸せが、ローレンスさんの隣なのだ。どんな巡り合わせかはわからない。もしかしたら、ローレンスさんとの出会いは奇跡だったのかも知れない。

 僕の周囲には『同性恋愛』に対して寛容的な意見を持つ人が多いけど、これは極めて稀なことだ。それこそ、天文学的な数値での巡り合わせだと言える。カトリーヌさんから言わせれば、『恵まれている』のかもな。だからこそ、言葉に熱がこもったのだろう。そこまで思考を重ねて、僕は、どう返事をすればいいのか。

 着替えの手を止めて、言葉を探す。

 これまでに、それこそ何度も繰り返してきた自問自答。毎度毎度、牛歩を辿り、なあなあにして終わらせてしまう自分会議──司会進行のやりかたが、そもそも間違っていたのかも知れない。『恋愛について』なんて漠然としたテーマで考えていたから同じルートを辿っていたのだとすると、〈続きから〉ではなく、〈最初から〉を選択して、一から組み立て直すべきだ。強くてニューゲームとはいかないけれど、それなりに思考力はついている。だから、現在に至るまで、そこまで時間はかからないはず……。

「自分自身を見つめ直すって、当たり前のことなのに、見て見ぬ振りをしていた気がします。今の言葉は〝アドバイス〟ですよね? ありがとうございます」

「いいえ。これも契約なので」

 これは契約外ですよね? ──と、僕は笑う。

 ええ。冗談です──と、彼女と微笑んだ。




「優志さんのメイク方法は──例えるなら、模写、ですね」

 言い得て妙だ、と僕は感心してしまった。

「理想的なメイクを頭の中で描いて、それを模写するようになぞる。方法としては間違っていません。けれど、技術的に限界を感じていませんか?」

「どうしてそれを……?」

 琴美さんのメイクは、感覚というか、フィーリングというか、エモーショナルというか、天才肌な部分が多い。でも、言い返せば『大雑把』でもある。誤魔化す方法が上手くて、臨機応変ではあるけれど、弓野さんのメイクはそれと異なり、基本に忠実でありながら、どこか独創的でもあった。喩えるならば、マリナーズで活躍していたイチロー。基礎がしっかりできているからこそ、魅せるプレーができる。

 僕がどうやっても弓野さんのメイクを真似できなかったのは、基礎をしっかりと理解していなかったからだと、今更になって気がついた。

「メイクの仕方は人それぞれで、どうするのが正解とは言い切れません。メイクというのは基本的に、試行錯誤の繰り返しです。他人から教わる女の子は数少ないでしょう。……もし、〝本気で女性を目指す〟のならば、講習を受ける事を強く奨めます」

「今はまだそこまで考えられませんけど……そうですね。頭には入れておきます」

 今回のメイクは『私がします』というお言葉に甘えて、カトリーヌさんに任せていた。

 ──頬や鼻を撫でる筆の感触には、どうにもこうにも慣れない。

「終わりました。……如何でしょうか」

 ベーシックなナチュラルメイクだけれど、どうも違う。自分でするナチュラルメイクとは雲泥の差があった。『ここが違う』と言い表せないのは、弓野さんのメイクを彷彿とさせるし、薄っすらと紅葉を染めるようなチークの入れかたは、琴美さんのメイクにも似ている。けれど、どちらにも似て非なるものだ。非の打ち所がないメイクに、思わず感嘆の息が漏れた。

「すごいです。……いや、そんな言葉では足りないくらいすごいです」

 すごい、としか言いようがない。

 琴美さんも、弓野さんも、メイクに関してはプロ並の実力がある──そう思っていたけれど、カトリーヌさんのメイクは、それとは一線をかくする。何がどう優れているのか、僕には見当も付かない。それこそが『技術』なんだろう。

「これくらいのメイクなら、優志さん──いや、もう優梨さんですね。優梨さんでも可能です。ようで、あそこまでのメイクができるのですから」

「本当ですか? ……俄かに信じ難いですけど」

 私はこのメイクを忘れないように、隅に置いたジーンズのポケットから携帯端末を抜き取って、ぱしゃりと一枚。

「このタイミングでですか」

「今後の参考にですよ? それ以上の理由はありませんんから、勘違いしないでくださいね!?」

 ナルシストだと思われるのは心外なので、精一杯の言い訳を叫んでみた。

「わかっています。優梨さんは努力家ですね」

「まあ、……けんに関わることなので」

 この姿をしてきる時に、私の正体が誰かにバレるようなことがあってはいけない。それ即ち、社会的な死を意味する──琴美さんから、以前、そう忠告されたし、私自身もそのリスクを回避するために、部屋で往々と練習した。動画サイトで参考動画も観たし、雑誌だって、恥ずかしさに耐えながら本屋で購入した。会計を済ませた後、『通販サイトで購入すればよかった』と後悔して以降は、専ら通販だけど。

「リスク管理は重要です。……私たちのような人種は特に」

「それは最重要項目ですからね」

 長年『空気』に徹してきた私は、それだけに関して言えば『プロ並みだ』と自負している。空気と同化し過ぎて、放課後になっても寝ている私を、誰も起こしてくれなかったくらいだ。

 ──友だちがいなかっただけ、という事実は隠しておこう。









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