【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百一十九時限目 世界の半分を与えようと魔王は僕らに問う


 ──きっと、値段詐欺だろう。

 そう思っていた『萌風カリー〜ドキドキスパイスを添えて〜』は、なかなかに美味だった。おそらく、レトルトパックを湯煎して、温めただけの代物だ。それでも、僕が知っているレトルトカレーよりも遥かに濃厚で、蕩けるように舌触りがよく、あっという間に完食してしまった。もしかしたら本当に、このカレーには品名に記入してある通りの、〈ドキドキスパイス〉が、添えられていたのかも知れない。……違法な薬じゃなきゃいいのだがと、冗談めかして苦笑いを浮かべていると、奏翔君がオムライスを食べ終わり、その数分後には、天野さんもパンケーキを食べ終えた。

 食後に僕と奏翔君は、メロンクリームソーダを、天野さんはホットコーヒーを飲みながら、今し方食べた各々の料理について、「あれが美味しかった、これはちょっとよくなかった」と品評会をしていたら、僕ら様子をマリーさんが見にきた。

「ご主人様、お嬢様。お料理はお気に召しましたでしょうか?」

 微笑みながら訊ねる彼女に、入店した時の動揺は窺えない。しっかりとした口調で、らぶらどぉるのメイド足る姿勢を見せている。

「美味しかったです。生クリームもたっぷりで、最後まで楽しめました」

 満足そうな口振りだが、先程、『生クリームの量がちょっと多過ぎかも』と言っていたのを、僕は忘れていない。『建前と本音』は違う。『相手を幸せにする嘘ならば、さして問題は無い』──そういうことなのだ。リップサービス、という体のいい言葉もあるくらいだしな。処世術と覚えておいて、損は無いテクニックだろう。左手は添えるだけ、とかね。

「ちょっと恥ずかしかったですけど、オムライス、美味しかったです」

 これは本心だ。

 奏翔君は、『美味しくなぁれ♡』に抵抗を示していたけれど、それと味は関係ない──と言ってしまうと、メイド喫茶の醍醐味も無い──ので、素直に感想を述べたようだ。それが微笑ましかったのか、マリーさんは嬉しそうに、「ありがとうございます」と、えくぼを作る。……この流れから察するに、僕も感想を言わなければなるまい。

「カレーも美味しかったです。……ところで、この〝ドキドキスパイス〟ってなんですか?」

「それは、……〝ナ・イ・ショ〟です♪」

 どうやら企業秘密らしい──まあ『特別気になる』、というわけでもないが。

「あ、そうでした。カトリーヌ様から伝言を預かっています。〝ご歓談の切りがいい所で、お話をお伺いしたいと思います〟──との事ですが、……どうされますか?」

 僕は天野さん、奏翔君と順番にアイコンタクトを送る。二人共に頷いたので、心の準備が整ったという意思を汲み取り、「お願いします」と返事をした。




 ──ここからが本番だ。

 今日、この店に赴いたのは、メイド喫茶で昼食を取る、ではない。それは、あくまでもついで、であり、本来の目的は、奏翔君の本懐である、『女装についてのアドバイス』だ。僕の知り得る知識ではあまりにも浅いので、カトリーヌさんにその穴を埋めて貰おう、というのが魂胆だが、カトリーヌさんの隣には、この店の代表取締役であるローレンスさんがいる。そのため、上手く事を運ぶには、僕の力量が試されるだろう──僕がどれだけローレンスさんを、奏翔君たちから遠ざけられるかだ。

 マリーさんが事務所のドアを三回叩くと、

『どうぞ、お入り下さい』

 中にいるカトリーヌさんの声が、ドアの奥から訊こえる。

「──では、私はこれにて失礼致します」

 ここまで案内してくれたマリーさんに頭を下げて、僕は事務所のドアをゆっくり開いた。

「失礼します」

 事務所の中央で待機していたのはカトリーヌさん。

 奥の机でにっこりと微笑むローレンスさんが不気味だ。

 僕は、後ろの二人が事務所に入ったのを確認して、音を立てないように注意しながらドアを閉めた。入り口のすぐ側に、パイプ椅子が三脚用意されている。来客用の予備だろうか。あまり使われた形跡は無く、真新しいそのパイプ椅子は、学校にある『座る部分が少し斜めっている、使い古したパイプ椅子』より座りやすそうだ。

「どうぞ、お掛け下さい」

 その言葉を受けて、僕らは用意されていたパイプ椅子に座る。左から天野さん、奏翔君、僕、という順番だ。天野姉弟の表情は硬く、特に、奏翔君は緊張に耐えるように、下唇を噛み締めていた。こういう場に慣れていないのは僕も同じだけれど、これまでに何度かこの事務所に足を運んでるいるので、僕には幾分か心の余裕がある。

「予定時刻を過ぎてしまいまして、誠に申し訳御座いませんでしたねぇ。それにしても、優志君から連絡が来るとは意外でした。……今日はどのような要件でしょうか?」

 要件は既に、カトリーヌさんに伝えてある。だから、ローレンスさんだけ知らないということはないなずだ──試されているのだろうか? これから役職を一人奪ってしまうが、それは『カトリーヌさんでなければならない』という理由を、ローレンスさんは僕に問いているのだろう。迂闊な事を言えば即、『お帰りください』もあり得るような緊張感が、僕の胃をひしひしと痛める。ここで引き返されるような事態になれば、僕を『先輩』と慕ってくれている奏翔君にも、付き添いで来た天野さんにも面目が保てない。慎重に言葉を選べ。相手は須らく『大人』なのだから。

「忙しい時にお邪魔してしまいまして、申し訳御座いませんでした。本来ならば、私が解決しなければならない問題なのですが、如何せん無知ゆえに、事余ると判断致しまして、人生の先輩でもあるお二人のお力添えを頂きたく、恥ずべき事だと知りながらも、馳せ参じた次第です」

 ──こんな感じでどうだろう、とローレンスさんを視る。

「……キミは本当に高校一年生かい? これまで何人もの学生、フリーターを面接してきたけれど、直ぐに私の意思を汲み取り、理解したのは優志君が初めてかもしれません。いやはや、正直に言うと脱帽しました。これがアルバイトの面接でしたら即採用ですよ」

 ローレンスさんは今にも拍手喝采しそうに、嬉々とした笑みを浮かべている。僕らの横で待機していたカトリーヌさんも、どこか満足そうにも視えた。隣にいる奏翔君は、小声で『さすがです』と零し、天野さんに至っては、信じられないという風に、眼を丸くして僕を視ている。

 僕だって、こんな言葉をすらすら言えるとは思ってなかったけれど、趣味としている読書が功を奏したのだろう。ここ数ヶ月、ハロルド・アンダーソン作品を読み、目上の人に対する礼儀や作法が、自然と身についていたようだ──まあ、ハロルド・アンダーソンの作中にでてくる主人公や人物は皮肉屋が多いので、先に述べた言葉も、相応に皮肉の利いたワンシーンでの台詞だったが、重度のハロルドフリークでもない限り気づかないだろう。本を譲ってくれた照史さんには感謝だな。今度、サンドイッチでも食べに行こう。

「──事情はカトリーヌから訊いていますよ。ええと、奏翔君、だったかな?」

「は、はい! あ、天野奏翔です!」

 元気があって、いい返事ですね──そう微笑むローレンスさんに、奏翔君は林檎のように頬を染めていた。

「女装に興味があると訊いていますが、その興味を恥じる必要は全くありませんよ。……そうだ、お隣にいるのはお姉さん、でしょうか?」

「え、あ、……はい。姉の恋莉と申します。本日は弟がお世話になります」

 これはこれは、ご丁寧にありがとうございます──と、ローレンスさんは軽く頭を下げた。

「弟さんが女装するに当たり、お姉さんは〝男装〟をしてみては如何でしょうか? 幸いにも、当店にはメイドドレスと執事の燕尾服が御座います。奏翔君も、〝自分だけ〟というのは心細いでしょうし、ここは奏翔君の為に一肌脱ぐというのはどうでしょう? ──そうは思いませんか? 優志君」

 ──またしてもやられた。

 ここまでの筋書きは、ローレンスさんの手の内だ。『奏翔君のため』と言われてたら、それは大義名分になり得る。その言葉に逆えば、『仁義が無い』と言われても仕方が無いだろう。エンコを詰めるような事態にはならないが、二人をローレンスさんの魔の手から逃すには、僕の知識じゃ足りな過ぎる。大人って本当に狡いな。やり方が汚いぜ……。

「無理にとは言いませんが、恋莉さん。そして、優志君。如何でしょうか? 三人のお着替えとならば、さすがにこちらも〝それ相応〟にお手伝い致しますよ?」

 それは、『カトリーヌさんを貸す最低条件』という事だ──とどのつまり、ローレンスさんは、僕らにトドメを刺しに来た、という事に他ならない。

 ローレンスさん、なんて人なんだ。

 僕は、琴美さんこそ、一番厄介な相手だと思っていた。然し、考えを改める必要がある。僕らの目の前にいる大人こそ、僕の一番の天敵かも知れない。言葉巧みに相手を翻弄して楽しむその姿は、ゲームに登場する魔王、それに近い。一人で魔王討伐の旅に出たロトの勇者でさえ、ローレンスさんにかかれば、赤子の手を捻るかの如く、悪魔的なその話術で手玉に取ってしまうだろう──最強だ。そして、最凶の魔王がここにいる。

 僕らはその最凶の魔王に為す術無く、ロトのつるぎと引き換えに、世界の半分を受け入れた。











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 by 瀬野 或

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