【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百一十六時限目 備えあれば憂いなしとは言うけれど
朝のルーティンワークをこなしてから部屋に戻り、携帯端末のバッテリーを確認する。風前の灯だったパーセントゲージが、首の皮一枚繋がるくらいには充電されていた。
さすがは急速チャージ仕様のアダプタだ。メーカー純正の充電アダプタだったらこうはならないだろう。だが、非純正のアダプタは、充電を繰り返すとバッテリーの老朽化を加速させる。これはモロバツルギー。……確かそんな名前の曲がなかっただろうか? と少し考えて、『ドラマツルギー』だったと思い出す。
“ワタシ”なんてないの
どこにだって居ないよ
ずっと僕は何者にもなれないで
この一節に、ただならぬ既視感を覚えてならないけど、『自分のために歌われた歌などない』と、BUMP OF CHICKENの藤原基央が『才能人応援歌』という曲で歌っていた。どちらも素晴らしい曲だ。
僕には恵まれた才能が無い。どう足掻いて凡人止まり。成績は中の上くらいで、文系科目は得意だけれど、理系科目はそれなりだ。そんな僕が勉強以外を誰かに教えることになろうとは。高校に入学仕立ての僕が訊いたら鼻を鳴らして嫌味たらしく、『偉くなったものだね』と笑うだろう。それか、『僕にもご教授願えないだろうか、鶴賀先生』と、ありったけの皮肉を言われるに違いない──めっちゃ嫌な奴じゃん、数ヶ月前の僕。
兎角するうちに携帯端末のバッテリーは、『近所を出歩くくらいは平気。でも、最寄駅から梅高までの道のりまでは心許無い』程度まで回復した。
フルチャージまではまだまだ時間を要するけれど、今日は出掛ける用事も無い。突拍子も無く誰かが連絡を寄越さなければ、このままでも差支えないだろう。
そろそろワイドなショーが中盤に差し掛かる頃だ。松本人志の些細な小ボケに東野幸治が大袈裟に突っ込み、コメンテーターの古市憲寿が涼しい顔で毒を吐き、三浦瑠麗は女王様と持ち上げられる。過去に一度、エレカシの宮本浩次がコメンテーターとして出演した回があった。宮本さんのコメントはよくわからなかったけれど、あれはあれでロックだと、ロックが何たるかも理解していない僕が、まるでロック通かのように唸ったのを今でも覚えている。消し去りたい記憶だ。思い出しただけでも死にたくなるよ。生きていたいよ。おー。
「どうしたもんかなぁ」
昨日は頭を使い過ぎたし、今日は何も考ずにのんびり過ごしたいのは山々だが、そうも言ってはいられないのが、これ、現実なのよね。
奏翔君をどうするべきか考えなければ。……安請け合いした自分を呪う。奏翔君に協力するのは構わないとして、何をどうすればいいのやら。
以前の琴美さんのように、今度は僕が奏翔君にメイクを教えればいいのか? 然し、教えられるほどの力量が僕にあるだろうか。僕が知り得る知識は『習うより慣れろ』の精神で、自分でも納得できるメイクができるようになったのは試行錯誤の結果だ。奏翔君だって、かつて巨人軍の監督を務めた長嶋茂雄のように、『ぐっと構えてずばーんと打つ』と言われてもわからないだろうしなぁ。長嶋茂雄は天才だったからこそ、そういう表現しかできなかったんだろうけれど、僕は野球の神ではない。王貞治のような強打者でもない。そんな僕には『喝』ですよ、喝。かぁーつ。
こういう時に頼りになるのが大人だが、ご愁傷様鶴賀君。僕の知り得る大人というと、欲望のデパート佐竹琴美、淫欲の魔女弓野紗子。そして、止められないストッパー村田美由紀の三人だ。この人達が参加する飲み会では、『いっきっきーのきー』なんてお下劣なコールが飛び交いそうだな。『ゆかり』という名前の女性がいないことを祈るばかりです。
「おいおいおい、まともな大人がいないぞ……」
──いや?
唯一まともな大人の知り合いが一人だけいるにはいる。然し、親睦が深いという間柄でもなければ、友人関係であるとも言えない微妙な縁。おまけに、彼女は現在仕事中であり、連絡をしても繋がるかどうか……。仮に繋がったとしも、どう説明すればいいんだ?
『友達の弟が女装に興味があるので、何とかしてあげてくれませんか?』
それは、真しやかに囁かれている全力の他力本願だ。
何とかするとは言ったけど、『他人に責任を押し付ける』という意味ではない。それに、こんなことを突然依頼されても迷惑だ。いくら彼女が〈男の女性〉だとしても──
「いや、待てよ……」
奏翔君はまだ幼さが残るものの、それは女装にとって有利になり得る武器になるのではないだろうか? そして、カトリーヌさんはダイアの原石発掘に関して定評がある。奏翔君を一度視れば、どれほどの有望株か一発で見抜くはずだ。光るものを感じれば、女装に限らずアドバイスをしてくれるだろう……訪ねる価値はある。
懸念材料が有るとするならばローレンスさんの存在だ。『女装して来てくれたらカトリーヌをお貸ししますよ』と交換条件を出される可能性も否定できない。そうなったらそうなったで致し方無いとしよう。日曜日の忙しい時間に役職を奪うのだ、それくらいの条件は呑もうじゃないか。
物事を進めるには順序というものがある。
僕はメモ帳を勉強卓の引き出しから取り出して、適当に箇条書きしてみた。
* * *
① 天野さんに連絡を取る
カトリーヌさんに助言を貰うために、らぶらどぉるに行く許可を貰う。
* この時、奏翔君の予定を訊ねる。天野さんも誘うべき?
② カトリーヌさんに電話する
天野さんから了承を得たら、カトリーヌさんに今回の趣旨を伝える。
③ 天野姉弟に確認する
メイド喫茶に行くこと、カトリーヌさんに会うことを告げる。
* 嫌がられた場合、カトリーヌさんにもう一度連絡。
* * *
わざわざ箇条書きにするような事でもなかったかもしれないなぁと、メモに書き終えた後に思ったけれど、こうして目標を視認できれば余計なミスをせずに済む。
「天野さんに連絡する時って、どうにも緊張するんだろうなぁ」
それは、天野さんに直接連絡を取る時の大体が、面倒ごとに足を突っ込んでいる最中だからかもしれない。……通話は苦手なんだよ。受ける時も掛ける時も、心穏やかではいられないんだ──相手が佐竹ならこうはならないんだよなぁ。適当でいいし。
コール音が数回鳴り、昨日より早く応答があった。
『おはよう。優志君』
「おはよう。──ええと、昨日の件なんだけど」
『うん』
小さく深呼吸をして脈を整える。
実際には脈が静かになったりはしないけれど、これは気持ちの問題だ。
「昨日話したメイド喫茶のこと、覚えてる?」
『ええ。……といぷぅどる、だったかしら?』
「惜しい。犬種違い。正解は、らぶらどぉる、だよ」
どっちでもいいじゃない──と、天野さん。
僕のツッコミが堪えたのか、気恥ずかしそうに声が上擦っていた。
……でもね、天野さん。
この店名は『Love la doll』でもあって、トイプードルだと本来の意味が無くなってしまうんだ──なんて説明したら、『あのメイド喫茶のファンなんじゃないか?』と、要らぬ疑いをかけられてしまいそうなので黙っておこう。
『その〝ぽめらにあん〟が、どうしたの?』
携帯端末の遠くから、くすくす笑いが訊こえた。
「……ああ、うん。その〝みにちゅあだっくすふんど〟に、カトリーヌという源氏名の女性がいるんだけど」
女性、という表現でいいんだよな? と、自分自身に確認しながら──
「奏翔君も連れて、その人に助言を貰いに行こうと思うんだ。まだ〝ごぉるでんれとりばぁ〟には連絡してないんだけど」
『ちょっと待って。さっきから話の内容が入ってこないの』
僕が天野さんのボケに乗っかったからだろう。僕が他の犬種の名を言う事に、笑いを我慢してしていた天野さんだったが、ついに笑壺に入ってしまったようだ。一頻り笑った後で、『淡々と話すから可笑しくて……。降参だから、普通に話して』と白旗を挙げる。
笑えない状態にあるんじゃないか? と、心配していたので、天野さんの笑い声を訊いて少しだけ安堵した。
天野さんは普段から気を張っているように視えた。
弱っている自分は見せまいと襟を正して、関根さんや、他の女子生徒と話していてもどこかぎこちなく、繕うような笑顔しか見せていなかったので、ここまで本気で笑っている天野さんは久し振りだった。
蟠りが全て解決したわけではないにしろ、微力ながら天野さんの気晴らしになれただろうか? ……思い上がりじゃなければいいけど。
『ふう……。やっと落ち着いたわ。話のコシを折ってしまってごめんなさい。どうぞ続けて?』
「どこまで話たっけ……ああ、そうだ。もしよかったら、天野さんも一緒にどうかなって」
勉強卓の上にあるメモ〈①〉を確認して、要件を思い出した。備えあれば憂いなし、昔の人はいい言葉を作った。でも、僕の場合はいくら備えても、新しい問題が次から次へとやって来る。どれだけ備えればいいんだ? 鬼退治に出かけた桃太郎の備えは、お腰に付けたきびだんごだけだったのに、僕の場合は色々と備え過ぎてデンドロビウムみたいな装甲になっていそうだ。
お腰に付けた大型メガ・ビーム砲によって、鬼ヶ島が地図上から跡形も無く消え去る所までを想像してから、ようやっと現実に戻ってきた。
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by 瀬野 或
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