【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百三時限目 佐竹義信は悪ノリに関して天才的な能力を発揮する
ドアを開けば子気味のいいドアベルの音が、まるで小鳥の囀りのように鳴り響く。鼻を擽る芳ばしい珈琲の香りと、心落ち着くジャズピアノの音。今日はスタンダードジャズの気分らしい。選曲基準はこの店のオーナーである照史さんがその日に合った音楽を選んでいるだけあって、店内の雰囲気もお洒落だ。
大きなのっぽの古時計が振り子を揺らしながら時を刻んでいる横を通り抜けると、横長に広がる店内を一望できる。正面にあるのはカウンター席。その奥に、穏やかな微笑みを湛える照史さんの姿があった。
いつもと変わらないダンデライオンの風景。もうすっかり馴染んでしまった空間に、安心感すら感じるものの、今日は心穏やかではいられなかった。
私達の指定席となっている一番奥のテーブル席。照史さんが描いたらしい絵が壁に飾られている壁際の席の窓際で、居心地悪そうにそっぽを向いている佐竹君の姿があった。その対面には、ここに呼び出した張本人である楓ちゃんの後ろ姿。黒髪が艶やかで、さらっと下まで落ちるその髪は、店内証明の光を浴びて、ほんのり茶色に視える。いつ視ても綺麗な髪だ。羨ましい。
二人の姿は確認できたけれど、レンさんの姿は無い。当然、レンちゃんも呼び出されているはずだと予想していたけれど、時刻はまだ予定時間よりも早いので、現段階では遅刻とは言い切れないだろう。……レンちゃんの気持ちを察すれば、人心地の無い気まずい時間を耐えるよりも、時間ぎりぎりに到着した方が幾分気が楽だというもの。かく言う私もそうしたかったけれど、そわそわと落ち着きの無い時間を費やすより、早めに到着する事を選んだ。早めと言っても一〇分前集合──それは早めと言えないのでは? むしろ常識の範囲内。
ダンデライオンは日中でも店内が薄暗い。それは、この店が雑居ビルに囲まれていることや、近くにある百貨店によって光が遮られてしまっているのが理由だ。夕方になれば陽が沈み、茜色に染まった光が差し込んでノスタルジックな雰囲気に包まれるけれど、今日は生憎曇り空。薄暗い店内が余計に薄暗く感じる。
「やあ、いらっしゃい」
「こんにちは」
照史さんは微笑みを崩さず、コーヒーカップを磨いていた。
「今日は何にするかな?」
「いつものをお願いします」
「わかった。直ぐに用意するよ」
いつもの、で注文が通るとこの店の常連になったんだなぁと実感する。他の常連客に『こんなお洒落な喫茶店に通うなんて生意気な高校生だ』、と思われてやしないだろうか? 私だったらそう思う。……多分、絶対に。
オーダーを済ませた私は、重い足取りで佐竹君と楓ちゃんが座る席へと向かった。
「よう」
「うん」
佐竹君とはそんな軽い挨拶。
「無理を言ってすみません。有り難う御座います」
「ううん、大丈夫だよ。たまには優梨の姿にならないと、メイクも下手になっちゃうから」
これは建て前。本音を言えばこの姿ではなくて、優志としてこの場に立ちたかった。その方が多少の無理も通せただろう。嘘も、誤魔化しも、はったりもブラフも、この姿では通用しない。二重人格ではないけれど、私は優志と優梨の人格を分けて考えている。優志が黒で私は白。優志の姿で出来ない事を優梨に押し付けて、優梨の姿で出来ない事は優志に押し付ける。だから今日も優志に全てを押し付けたかったんだけど、私をご指名とあらば仕方無い。……どっちも私なので、帳尻を合わせるのは結局自分以外の何者でもないけど、これは気持ちの問題だ。
私が佐竹君の隣に座ると、佐竹君は数センチ間隔を開いて座り直した。
「つか、恋莉はまだ来ないのか?」
「恋莉さんは呼んでいませんよ……?」
「「はい?」」
私はてっきり、レンちゃんも踏まえて話し合いの場を設けたのだと思っていた。それは佐竹君も同じ。それ故に、私とタイミングを同じくして声を発したんだと思う。
「じゃあ、なんのために俺らを呼んだんだ? 話があるって、そういう意味じゃねぇのか……」
「恋莉さんがいたら話せませんよ……。これからの話は」
レンちゃんを抜きにして話す内容って一体? と、私が小首を傾げていると、楓ちゃんは珍しく大きな溜め息を吐いた。
「佐竹さんがどう思ったのか知りませんが、そんなの知った事じゃありません」
「いきなり荒ぶるなよ!? マジでどうした……? お前、本当に楓だよな?」
こんな楓ちゃん、今まで一度足りとも視た事がなかった。……レンちゃん絡みになると変態度が急加速するけれどそれは別の話で、今の楓ちゃんは『お嬢様』というよりも『普通の女子高生』という感じだ。失恋を経験しても気丈に振る舞っていたし、楓ちゃんは強いなぁと感心すらしていたけれど、それは私が勝手に作り上げた『月ノ宮楓のイメージ像』であり、本来はこんなにも歳相応な反応をして、子供っぽく不貞腐れたりする──この時点で私は、来る前に危惧していたような事態に発展する事は無いと確信して、楓ちゃんには申し訳無いけれど、少しだけ安心してしまった。
「楓もまだ子供だからね。いつもは気を張っているだけで、本来、この子は甘えん坊なんだよ? はい、優梨ちゃん。お待たせ」
「あ、ありがとうございます」
なぜか楽しそうにしている照史さんに対して、「お兄様!?」と抗議するような眼をする楓ちゃんは、照史さんが言う通り、私達とそう変わらない一人の女子高生に視えた。
「こういう時の楓は可愛いくて、つい悪戯をしたくなってしまうんだ」
そう言いながら、楓ちゃんの頭を優しく撫でる照史さんの表情はどこか寂しげだ。まるで、もう戻れない過去の記憶を呼び覚ましているようにも感じる。
この兄妹にも相応に、兄妹としての時間があった。然し、それは照史さんと、月ノ宮家当主である父親との確執によって阻まれ、楓ちゃんは照史さんと離れ離れに暮らす事を余儀なくされてしまった。当然、それは照史さんにとっても不本意な結果だったんだろう。だから楓ちゃんは時間の許す限り、兄が経営するこの店通い詰めて、兄妹の絆を繋ぎとめているんだ。……これは私の想像でしかないけど、強ち間違いではないと思う。だから、今もこうして楓ちゃんは、文句一つ言わず照史さんに頭を撫でられ続けている。
一人っ子の私には、優しく撫でる兄の手の感触や、だらしない姉に文句を言う気持ちや、弟の進路に思い悩む事もできない。……こういうの、いいな。私にも兄弟、姉妹がいたらこんな感じなのかな。それとも、毎日喧嘩しているかも。
暫く月ノ宮兄妹の姿を羨望の眼差しで視ていたら、私の視線に気がついた照史さんは手を止めると、今度は私の頭に手乗せて、「いつも楓とあそんでくれてありがとう」と撫でる。
「え、あ……、はい」
この人はこういう事をすんなりとしてしまうのだから、彼女になった人は不安で堪らないだろうなぁ。
「それじゃあね。ごゆっくり」
照史さんがカウンター奥に戻るのを見送っていると、佐竹君が私の小腹を突いた。
「おい。なに照れてんだよ。顔、真っ赤だぞ」
「そんなことないもん」
「鏡視てこいよ、林檎みたいに耳まで真っ赤だから」
やたらと絡んでくる佐竹君の小腹に思いっきり人差し指を突きつけた。すると、佐竹君は大袈裟に「いってぇ ︎」と叫ぶ。
「佐竹さんよりも断然、お兄様の方が魅力的なのですから、嫉妬するのは無駄です」
「さり気なく兄貴自慢すんのやめろ ︎」
それから誰も声を発する事無く、嫌な沈黙が訪れたが、その沈黙を破るのはやっぱり佐竹君だ。
「──それで? 結局の所、どうして俺らを呼んだんだよ。ガチで」
「うん。優梨じゃなきゃいけなかった理由も知りたいな」
便乗するように私も続ける。
「佐竹さんを呼んだのは憂さ晴らしです」
「俺の扱いもっと丁寧にしろ ︎」
「……と、無駄に明るい佐竹さんと話していれば、少しは沈んだ気分も回復するかと思ったんです」
確かに佐竹君は三組のムードメーカー的存在だから、その恩恵に預かろうとする気持ちはわからなくもない。その反面、対応するまでが面倒臭いのはあるけれど、それさえ越えてしまえば慣れるもんね!
「優志さんではなく優梨さんを呼んだのは、殿方に囲まれるよりは健全かと」
「それだけの理由?」
「優志さんだと、身構えてしまうかもしれません……それも理由の一つです」
楓ちゃんは、『私は私、優志は優志』と個別に考えているようだ。それに対して不満は無い。そういう考えであるのならば、私も優梨としての矜恃を保とう。
「つまりあれか。俺らに愚痴りたいって感じだろ?」
「愚痴という程では無いですが」
そこで一呼吸置いて、手元にある紅茶を二、三口飲んでから小さく溜め息を零す。
「……そうなるのかも知れません。さすがに今回は平常心を保てそうにないので」
「まあ、そりゃそうだよな……」
私は楓ちゃんに、なんて声をかけたらいいんだろう。
仮にも私は楓ちゃんの恋敵だ。そんな相手から慰めの言葉を言われても火に油を注ぐようなもので、嫌味に取られてしまいそうだから、ここは慎重にならなければならない。
「じゃあ、気晴らしにカラオケでも行くか!」
「行きません」
「行かない、かなぁ」
「いやマジで本当に、お前らカラオケは頑なに拒むよな……」
気晴らしにカラオケって、そんなのは佐竹君の身内だけに留めて欲しい。大声を出すのはストレス発散になるけど、今は歌う気分じゃない。
再び、気を揉む程の沈黙が訪れる。
「じゃあ、お前らはどうやって気晴らししてんだ? 読書か? それともゲームか?」
「なんでしょうか……。優梨さんはどうなんですか?」
「え、私?」
虚を衝かれて狼狽えてしまった。
「なんだろう……。ゲームはストレス発散にならないから」
「わかるわぁ。俺も最近、ランカーの人にフルボッコにされて逆にフラストレーション溜まりまくり」
ああ、ええっと……ごめんね?
「本来楽しむはずのゲームで楽しめないなんて、本末転倒ですね」
「いやもう本当に。マジでそれ」
話題を変えなきゃ! そんな使命感に駆られた。
「活字を読むと落ち着くよ? だから読書もストレス発散に貢献してる、かな」
ただ活字を読むだけならライトノベルもありだよ? と、提案してみたけれど、「今、それをする意味無いだろ」と、佐竹君が正論を並べた。
「逆にお前はどうなんだ? 楓」
「私ですか? そうですね……自己啓発本とか面白いと思いますよ」
「本から離れようぜ……」
「なら、……そうですね。今まで経験の無い事をしたり、ですかね」
楓ちゃんが今まで経験した事が無いことって何だろう。世界一周や宇宙旅行とか? 規模が桁違いだ。
「それ有りじゃね? 楓が絶対にした事無いようなこと、何か無いか? 〝これは絶対にしないだろ〟みたいのやつ」
「そう言われましても……」
楓ちゃんはじっとダンデライオンの店内を観察するように視てから、
「メイド喫茶、なんて、経験無いですね」
「それだ! メイド喫茶! よし、今から行こうぜ! 近くにあるのは……」
これはまずい! この流れは本当にまずい!
佐竹君と楓ちゃんは、もうメイド喫茶に行く気満々で携帯端末を取り出して、近くにあるメイド喫茶を検索し始めているけれど私は知ってる──ここから一番近くて行きやすい場所に〈らぶらどぉる〉がある事を!
「あー、えっと。私はパスしていい、……かなぁ?」
「旅は道連れ世はガチで情けねぇだろ? ここは楓の顔を立ててやろうぜ?」
「私からもお願いします。佐竹さんと二人でメイド喫茶なんて絶対に無理なので」
「散々な言われようだけどな!? 優梨、お前もたまには冒険すんのも悪くねぇだろ?」
私が難色を示している間にも、検索は続行されている。
そして──
「ありました! えっと、らぶらどぉるって店が評判のいいお店のようですよ」
「よし、決定だ!」
今日は土曜日で、しかもお昼時。
どこの飲食店も稼ぎ時だからシフトも厚くしているだろう。当然、そこに流星こと、エリスが出勤している事は間違い無い。
「もしもし、高津さん。今、車を出せますか? はい。至急です。忙しい所すみませんが、よろしくお願いします──車は手配しました」
「っしゃあ! こういうのはノリだぜ、優梨!」
違うよ、佐竹君。
こういうのは『悪ノリ』って言うんだよ……。
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当作品は他にも〈小説家になろう〉に掲載しています。〈小説家になろう〉と〈ノベルバ〉で話数が違うのは、〈ノベルバ〉に〈章システム〉が存在しない為、強引に作っている兼ね合いで話数が合わないのですが、〈小説家になろう〉と〈ノベルバ〉に同時投稿しているので、読みやすい方をお選び下さい。
まだまだ未熟な筆者ですが、これからも応援をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
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