【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百八十三時限目 僕らのバレンは最高にタインっている ⑧


 階段を上り終えると一階エントランスの半分くらいの面積がある広場へと出た。一階部分には受付けがあり、左右の道は隔たれていたのだが、二階部分は左右の道が繋がっていて自由に行き来できる。二階広場の中央壁にはアイスクーラーと紙パックの自販機が一つずつあり水分補給も可能だ。〈燃えるゴミ〉と〈ビン・カン〉のラミネートが貼られた赤と青のゴミ箱はその隣。小休憩を目的としたベンチは自販機から反対方向、落下防止の強化ガラスと肘置きには丁度いい丸みを帯びた手摺りの内側。何人がこのベンチを使用すると想定して置かれたのだろうか、ずらりと並ぶ四角く白いベンチは座る部分毎に凹があり、眼で数えると一十六個。大会などの催し物がある日ではこの数でも足りないだろう。然しその心配は無用だ。このベンチは二列あるので、それも合わせれば合計三十二席。他にも会議室を控え室代わりにすれば選手が休憩できるスペースを確保できる。

 月ノ宮さんは左側の通路へと進んで行く。僕もそれに倣って進み、〈第三会議室〉と名前が書かれたドアの奥へ。

 会議室というだけあり、特に面白みもない空間が広がる。折り畳み式の長机が九つ三列縦に並べられていて、一つの机にパイプ椅子が三つ。この数ならクラス一つ分弱という所か。予備の長机とパイプが後方壁際に立て掛けられている。足りない分は各自で、という事らしい。

 薄暗い会議室に明かりが灯った。

 僕らが入ったドアの反対側のドアの壁に証明のスイッチがあったようで、月ノ宮さんがスイッチを押した。白色蛍光灯の光が眼に染みる。思わず眼を細めて右手で傘を作り、眼への負担を軽減させた。

 会議室の左側の窓には分厚そうなエメラルドグリーン色のカーテンが開け放たれて、左右中央に括られている。このカーテンを閉めれば太陽の光を遮断して、プロジェクターから放射された映像も、しっかりモニターに映るだろう。ホワイトボードは僕の視点から右斜め前、壁際に追いやられていた。

「僕はてっきり、最初にキッチンを見学しに行くものだと思ってたよ」

 ホワイトボードを中央へと移動させている月ノ宮さんに訊ねた。月ノ宮さんは中央辺りでホワイトボードの足部分にあるキャスターのストッパーをぱちんと下ろしてから、動かないのを確認。

「それでもよかったのですが、先ずは腰を据える場所の確保がしたかったんです」

 そう言って、教壇代わりになっている長机の前へと腰を下ろした。

 そこに座ったのは近くにある椅子がそこだったから? それとも、この状況においても自分が上に立つ者だという誇示? どっちでもいいか、そんな事は重要ではない。

 僕は月ノ宮さんの前にある席のパイプ椅子を引っ張り、ゆっくりと腰を下ろす。

「落ち着きましたね」

「この空間で落ち着けるのは、さすがは月ノ宮さんと言った所だよ」

 二人でこの広い空間を使うのは、はっきり言って居心地が悪いし、対面というからには逃げ場が無い。逃げる必要は無いのだが、まるでテストで赤点を取って居残り勉強をさせられている気分だ。テストで赤点を取る、なんて事態に陥るようなヘマはしないけどね。

 月ノ宮さんは長机の上に置いた鞄から携帯端末を取り出して、両手で文字を打ち始めた。おそらく相手は高津さんだろう。ずっと車で待たせるのは申し訳無い。だからある程度の時間を伝えてその時刻に迎えて来て貰う、という具合かと予想。それか天野さんに連絡を入れたか、考えられるのはこれらいかな。友人付き合い特有の、〈直ぐにメッセージを返さなきゃハブられる〉ような付き合いは、彼女には無縁だろう。

「では、始めましょうか」

 月ノ宮さんは居住まいを正してから、凛々しい表情で僕を視る。無風なこの空間では、月ノ宮さんご自慢の黒髪ロングが揺れる事はない。それが返って彼女を『日本人形のようだ』と言わせるのだろう。然し、僕が知る月ノ宮楓という人物は大和撫子から程遠い性格をしている。三歩後ろを歩くのではなく一〇歩先を進む。それが月ノ宮楓の本質であり、逞しくもあり頼もしくもあるが、天野さんの話になると暴走気味になるのは直すべきだと愚考します。

「うん。……それで、何から?」

「ここに優志さんを連れてきた理由は察しがついているのではないですか?」

 これまでの状況を鑑みるに、バレンタインの話ではないだろう。答えは自ずと一つに絞られる。

「佐竹のこと?」

「はい。……情報の共有といきましょう」




「──そうですか、宇治原さんがそんな事を」

 僕は今日のお昼に宇治原君と会った事、そして、宇治原君がどうして佐竹を陥れようとしているのか、その理由について月ノ宮さんに伝えた。もちろん、優梨ぼくに好意を抱いているという事も全て洗いざらいに。いや、正確には吐かされたと言うべきかも知れない。

「情報の共有ってことは、月ノ宮さんも何か掴んでるの?」

「私がお話できるのは〝女子の状況〟です」

 それは詰まる所、女子達が誰にチョコをあげるかとか、そういう俗な話だろうか? あまり参考にはならなそうな情報だけど、訊かないよりはマシ程度に訊いておくかと耳を立てる。

「佐竹さん人気は圧倒的です。佐竹さんの普段の行いが人気の要因となっているのでしょう。でも、一部では今回の騒動で渡す事を諦めようとしている方もいらっしゃいます」

 佐竹にチョコを渡すという事は、『佐竹側に着く』という意思表示と結び付くってことか。だから揉め事を回避したい女子達は、佐竹にチョコを渡すのを控えた、的な話なのだろう。

 所詮は宇治原君の率いる宇治原軍団。彼らにそこまでの影響力は無いと思っていたが、教室の空気を悪くするくらいの影響力は持ち合わせているらしい。故に、それが圧力となって女子にも影響を及ぼしているという事か。

「因みに、月ノ宮さんは誰にチョコを渡すの?」

「恋莉さんに決まってるではないですか。今回のバレンタイン企画とは別に、本命チョコを用意しています!」

「そ、……そっか」

 ──愚問だったな。

 月ノ宮さんはふんすと鼻息を荒らげて腕を組む。

 バレンタインだから『男子にチョコを渡す』という枠に囚われて、月ノ宮さんの想い人を忘れていた。

「私によくして下さっている方々には、それなりの物を用意しますが……優志さん、いえ、優梨さんはどうするんですか?」

「それを僕に訊く? 訊いちゃうの?」

「……すみません。愚問でしたね」

 謝られるとそれはそれで惨めになるからやめて! 今のでえぐいくらいメンタルを削られたからね! ……まあ、僕のバレンタイン事情なんて高が知れているのだ。それに僕は『バレンタイン企画』でバレンタインを終えようと思っているので、追加で用意する気にはならない。友チョコとか義理チョコとか、それらを用意すると仏恥義理ぶっちぎりな痛手だからね。財布的に。

「話を戻しますが──」

 月ノ宮さんはわざとらしい咳払いを一つ。

「優志さんはこれからどうするおつもりですか? まさか、宇治原さんと直接対決を?」

「そこまで僕は馬鹿じゃないよ。そうなるのならそれもやぶさかではないけど、もっと違うアプローチをかけようと思ってる」

「……と、言いますと?」

「ごめん。その先は未定」

「そうですか」

 困りましたね、と月ノ宮さんは溜め息を零した。

「一度話を整理しましょう。相関図を書いてみます」

 月ノ宮さんは立ち上がり、ホワイトボードに黒のマジックペンで箇条書き程度の簡単な相関図を書し始めた。バレンタインという言葉を中心に、僕達、宇治原軍団、佐竹軍団、女子、その他男子、五角形を描くように書かれている。

「こうして書いてみると、鍵になっているのはバレンタインに視えますが、……そんな簡単なものでもないですね」

 何重にも重ねた〈バレンタイン〉の円。それはまるで混沌めいて、本来なら浮ついたイベントのはずが、様々な感情が渦を作り、虚ろな穴が開いているようにも視えた。

「佐竹さんはどうするおつもりなんでしょうか」

「どうするんだろうね? 多分、何も考えてない気がするけど」

 佐竹は慎重に思えて、どこか楽観的な部分がある。今回の件だって、『バレンタインが終われば落ち着くだろ』くらいにしか思ってないかも知れない。もし本気でそう思っているのなら、頭の中がお花畑にも限度ってものがあるが、佐竹は佐竹で身動きが取れないのも確か。

 まだ佐竹軍団は壊滅している訳じゃない。

 佐竹を気遣う者も少なからず存在していて、宇治原軍団と真っ向から対立する形になり、現在、二年三組は〈佐竹派〉と〈宇治原派〉がいがみ合っている状態だ。それがクラスの雰囲気を悪くしている原因の一つでもあるのだが、やはり佐竹に対して嫉妬している男子も多い。それだけ影響力のある存在なのだ、佐竹義信という男は。

 逆を言えば、それだけ影響力のある男を敵に回したという宇治原君も、なかなか骨のあるヤツだと言えなくもない。ただ、そのやり方が姑息で卑怯で小物めいているのが残念。

「……ここに第三勢力を加える、というのはどうでしょうか」

 月ノ宮さんは佐竹軍団と宇治原軍団の丁度間辺りに〈第三勢力〉という文字を書き記した。

「第三勢力ってどの勢力?」

 うちのクラスで権力を持つのは、〈佐竹軍団〉と〈月ノ宮ファンクラブ〉だ。天野さんのグループは天野さんが人気なだけで崇拝しているような雰囲気は無い。和気藹々な女子会程度。発言力で言えば天野さんも上位に食い込むけど、グループでの攻撃力は月ノ宮ファンクラブより劣る。

「仮にそういう勢力が存在したら三竦さんすくみ状態になるね。それこそ修正が効かなくなるんじゃないかな?」

「その勢力の中に優梨さんがいたとすれば、状況は変わると思いませんか?」

 嫌な予感がして、背筋に怖気が走る。

 僕にその役を演じろ、なんて言わないよね?

 第三勢力と言うのからには、それこそ彼らに匹敵するくらいの攻撃力が必要になる。僕の知り合いでそこそこの発言力があるのは流星くらいなものだが、流星はこういった面倒事に首を突っ込むタイプじゃないんだよなぁ。それに、もし第三勢力なる物を作ったとして、その先はどうする? 佐竹と宇治原君の溝が深まるような事態になりかねないと思うのだが、月ノ宮さんには何か秘策でもあるのだろうか?




 * * *




 小休憩を挟む事になり、僕は会議室に月ノ宮さんを残して、自販機のある広場で紙パックの〈いちごオレ〉を購入。

 苦くなった口の中に強烈な甘みが押し寄せる。

 この紙パックの中には砂糖何個分の砂糖が入っているのだろうか? 考えただけでもおぞましいが、凝り固まった脳に糖分を巡らせるには丁度いい甘さだ。

「第三勢力、か」

 月ノ宮さんが思いつきでそんな事を発言するとは思えない。きっと、おそらく、然るべき理由がそこには存在するのだろう。

 僕と月ノ宮さんは同じゴールを目指していても、その過程、つまりプロセスが異なる。それは天野さんの事情に首を突っ込んだ時もそうだったが、今回はどうなるだろうか。今回の件は天野さんの件とは違う。だから対立して切磋琢磨するよりも、指針を合わせて目的地へと航路を進めるのがベストだ。

「上手く歯車が噛み合えばいいけど……」

 目的と目標を間違えてはならない。

 要は、解決ではない解決方法の発見。

 それが僕の考えるべき視点だけど、月ノ宮さんは根本的に全てを解決する手段を模索して、めでたしめでたしと幕を閉じたいと考えているはずだ。この時点で既に僕と月ノ宮さんの考え方はすれ違ってしまっている。『宜しい、ならば戦争だ』と事を構える訳にもいかないので、お互いに意見の擦り合わせをするべきだろう。

 僕は三十二席ある椅子の適当な場所に腰を下ろして、残りのいちごオレを飲み干した。飲み物を飲んで喉が渇くなんて、本末転倒も甚だしい話だが、そこには無料のアイスクーラーがある。なるほど、その為のアイスクーラーか。よっこいしょういち、と昭和のノリで立ち上がり、空になった紙パックを燃えるゴミへ。隣にあるアイスクーラーのペダルを踏み込むと、弧を描くように水が噴射された。

 冷たい水が喉を潤し、口の中に残っていた嫌な甘みも流せた──そろそろ戻るか。

 会議室から一歩も出なかった月ノ宮さんは、ホワイトボードの前で一計を案じている事だろう。先手必勝、機先を制するのが月ノ宮さんのやり方だ。ならば僕はめつすがめつ、その裏を読むべきだろう。月ノ宮さんが意としないイレギュラーな事態を想定して行動すれば、理論上、月ノ宮さんはは無敵。そして僕は大ダメージ。おかしいな、何で僕が損をする役回りになっているんだろう? けれど、それはいつもそうなので、危なくなったら三十六計を決め込んでしまえばいい──よくないか。やっぱりそれは駄目か。

 第三会議室のドアの前で、僕はどうしてそうしたのかわからないけれど、面接会場に入るかのようにドアをノックしていた。中にいるのは月ノ宮さんで、その月ノ宮さんが着替えをしている──なんて状況にはならないはずだからノックする必要性も無いのだけれど、女子が一人だけしかいない場所に立ち入るのは躊躇ってしまう。ノックの後、数秒の間があり、内側から遠慮がちな『どうぞ』の声が訊こえて、僕はようやくドアを開けた。










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 by 瀬野 或

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