【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百七十二時限目 男装の麗人が婀娜めくまで ⑨
演技指導を引き受けたのはいいけれど、いざ『指導する』となると何をどうすればいいやら思案に余る。
演技というのだから、我が校の演劇部が部活の最初にやっている『あえいうえおあお』から始めればいいだろうか?
……いやいや、滑舌をよくしてどうする。
そりゃまあ、滑舌はよいに越した事はないのだけれど、そうではなくて、もっとこう、実戦的なアドバイスをしなければならないはずだが、『もっとこう』なんて漠然としたイメージで教えられるエリスからすれば、迷惑千万以外の何物でもない。それなら私がこれまで培った経験を生かす事で、曖昧な『もっとこう』の中身を埋められるはず。問題無い。クールに行こうぜ……どの面を下げでそう思うのか、私は私の神経を疑った。
昨日と同じ店員に、『二人で。飲み放題を付けて下さい』という旨を伝えるのはどうも決まりが悪い。然し贅沢を言っている場合ではないので、胸の中に蠢いている〈もやっとした何か〉を我慢して済ませた。
通された部屋は昨日と違い、中央にテーブルが配置された四人部屋。そのテーブルを挟み、二つの黒いソファーが置かれている。機材や窓の配置は昨日の部屋とさして変わらないが、今度のお隣さんは『ずん♪ ずんどこきよし♪』が好きなマダム達だ。合いの手まで訊こえてくるので、近所の友人達とカラオケ大会でもしているのだろう。
この場合の『大会』というのは順位を競うという意味での大会ではなく、『井戸端会議』という意味での大会だ。何でもかんでも『大会』を付けたがるのが中高年の流行りで、私が知る限り一番意味不明だと思ったのが『飲み会大会』という、飲み会という催しを開いているにも関わらず大会と謳う、全くもって意味不明なイベント。直訳すると、『飲み会という大会を開いて優勝者を決める』という意味になるのだけれど、やっている事はただの宴会であり、それならもう『宴会』でいいんじゃないか? とも思う。
部屋に入って沈黙する事数分、『ずんどこきよし』が『箱根八里の半次郎』になった頃、向かい合って座っていたエリスが気まずそうに口を開いた。
「そろそろ始めないか」
「……そうだね」
同意したはいいが、どこから指摘すればいいだろうか?
指摘するべき所は山ほどある。
その全てを指摘して是正させるべきなのか、それとも『個性として残す』選択をするべきか……やはり最初は一人称からだろう。さすがに『オレっ子』は厳しいものがあるし、『私』で妥協して貰わなければ先に進めない。
「先ずは一人称から変えてみよっか?」
「やはりそこか」
どの世代にも『ボクっ子』はいるけど、エリスにその一人称は似合わない。それならばいっその事、『あたい』と呼ばせてみようか? ……うん。似合い過ぎてヨーヨーを振り回しそう。スケバン的な意味で。
やはり、ここは『私』が無難だと提案する。
「私、か。それならまだマシだな」
私、という呼び方は目上の人に対しても使う一人称なので、これが駄目だったらもうおしまいだ。
「昨日大まかに説明したけど、……後は仕草だね」
歩き方は昨日練習したのでどうにかなっているけど、座り方に関してはまだまだ。内股が慣れないのは致し方無いが、こればかりは意識してもわらなければならない。
「こ、……こうだよな」
気恥しそうに両膝を合わせて、太股の上辺りに、ぐーにした両手をちょこんと乗せる。なかなかにあざとい座り方だ。でも、メイド喫茶のメイドならこれくらいあざとい方がいい。
ここまでがチュートリアル、本題はここからだ。
いくら仕草を直しても、自分の中にある女性のイメージが出来上がっていないと意味が無い。器ができていても魂が込められていなければ、それはマネキンと同じだ。心持ち一つで世界が変わるのを私は知っているけど、それをエリスに感じてもらう必要はないだろう。
エリスに必要なのは『自分は女である』という自覚。
メイド喫茶のメイドは恥ずかしがらずに、「萌え萌え、きゅんきゅん♪」ができなければならない。そこまで世話を焼く必要があるか? と問われれば、そこまでしなくてもいい気がするけれど、『メイド用語』を臆面も無く言える覚悟くらいは、今日、今すぐにでも固めて貰う必要がある。だからそこまで付き合おうと意を決して今日を迎えた。
「エリスはあの漫画を読んで、どういう女の子になりたいと思った?」
「オレは」
違うでしょ? と、間髪入れずに一人称を指摘すると、エリスはゲフンとわざとらしく咳払いして、
「わ、私は、あの主人公のように健気にはなれない」
そう言って俯いた。
だが、直ぐに顔を上げる。
「でも、雰囲気というか、感覚は理解できた。……気がする」
エリスは両眼で私をしっかりと捉えて、迷いの無い視線を私に向けた。然し、語尾が尻窄まっているので説得力に欠けた。
「オレ……、私は誰かに媚びへつらうような性格ではないし、そういう生き方はしたくない。だから気が強い女でありながらも弱さをみせるような、そういうイメージが当てはまるんだろうと考えた」
「それはつまり、ツンデレって事だよね?」
「……そうなんだろうな」
そうなんだ……。
あの漫画の主人公はツンデレじゃなかったんだけど、どうやってその答えに行き着いたのだろう? でも、進むべき方向性がはっきりとしたので、それに従って指導を進めればいい。問題なのは私が持っているツンデレの知識が浅く、『別にアンタの事なんて好きじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!』的なテンプレだけなのが懸念されるけど、そこはフィーリングで何とかするしかない。
べ、別にエリスのためなんかじゃないんだからね!
──昨今のツンデレを、もう少し学んでおけばよかった。
* * *
カラオケルームに缶詰め状態というのも息が詰まる。お腹がぐうっとなる頃には集中力も散漫として、エリスの疲労も顔に表れていた。ここらで休憩を挟むべきだろう。このまま続行してもいい成果は得られそうもない。
「休憩にしよっか。お腹も減ったし」
「それもそうだな」
「エリス、そこは〝だ〟じゃなくて〝ね〟が語尾にくるんだよ」
わかったわかった、とエリスは空返事。テーブルの上に置いてあるメニューに手を伸ばし、引き摺るようにして手元へと手繰り寄せた。
「どれにするの?」
私が訊ねるとエリスは明太子パスタを指した。今日はうどんの気分ではないらしい。てっきり私は隣にある〈きつねうどん〉を選ぶと踏んでいたのだけれど。
「どうしてパスタ?」
「どうせこういう時も〝女の子らしいメニューを選べ〟って、指摘するだろ……よ」
まだ女性的な語尾に慣れていないせいか、語尾が意味不明になってしまっているだろよ。
……まあ、それはそれで無きにしも非ずかな?
──いやいや、無し寄りの無しだね。
私もエリスと同じ物を選び、部屋に備え付けられた受話器でそれを注文する。
「飲み物を取ってくる。……何飲む?」
エリスは片手に持っている、私が使っているコップをひらひらと揺らしながら訊ねた。
「茶葉二倍のロイヤルミルクティーで」
「ねぇよ」
「冗談だよ。アイスティーをお願いします」
エリスは顎を引く程度に頷いて、部屋を後にした。
がらりと静かになった部屋は物静かで、私一人だけではこの部屋は広過ぎて余り有る。猿臂を伸ばしてぐいっと背伸びをしてから、「はぁ」と疲労混じりの溜め息を零した。
進捗は、思いの外よくない。
難航するだろうとは思っていたけれど、エリスがここまで〈女性〉という性別を受け入れられないとは。
『覚悟を決めた』
とは言っていたけどそれは建て前であり、自分の中にある〈もう一つの性別〉を受け入れられなければこのまま頓挫してしまう。
それは、エリスだって理解しているはずだ。
案ずるに、エリスの中で『譲れないモノ』があって、そこをどうにかする他にないのだが、それを私がどうのこうのと論っても、エリス自身が変わらなければ意味が無い。
だけど、変わる事が全て正しいと私は考えたくない。
人が変われば人生も変わる、という言葉があるけど、それは変わった先で成果があっただけに過ぎない。変わらなくたって幸せは訪れるし、やりたい事もやれる。自分の価値観を相手に強要するのは愚かな行為だ。だから私はお肉も食べるし野菜も食べる。当たり前だよね。けれど、その〈当たり前〉が変化しつつあるのも、この国が、人が、何かしらの変化を求めた証拠だ、とも言える。どちらも正しくてどちらも間違い。正義は時に悪ともなり得て、無慈悲な弾丸を放つものだ。
──ああ、また余計な事を考えてる。
こういう癖が出るのも、私の中に〈優志〉という性が生きているからだろう。切り離そうにも切り離せない。それが私で全部僕。
「──そっか」
それなら、そうであるなら、これはエリスにも当てはまる事じゃないだろうか? 強要するではなく、可能性の一つとして教えるだけ。それだけでも幅は広がるはずだ。
「……遅いな」
エリスもパスタもまだ来ない。
一体どこで油を売っているのやら……。
* * *
アイツはずっとこんなオレに付き合ってくれている。
さほど厳しい教習ではない。
アイツはオレが全く進歩しない事に苛立っていないだろうか。そんな顔は臆面も出さずに根気よく粘っているが、さすがにそろそろ限界かも知れない──オレが、限界かも知れない。
ここまでやって貰った恩を仇で返すような真似はしたくないが、オレは、オレの中にある忌まわしい性を受け入れる事ができずにいる。
どうしても、駄目なんだ。
自分が女だ、という事を、どうしても受け入れる事ができない。
……それが、生きていく為に必要な事だとしても。
あの日から、オレがエリスを棄てた日から、オレの中にある女は死んだ。
いいや、殺したと言った方が正しい。
自分が女だと知った時の絶望、然し、肉体は女性そのものであり、歳を重ねる事に胸は膨らんでいく。それでも何とか誤魔化して生きていたが、初潮が来て、更に絶望が増した。
生まれ持った性からは、逃れる事はできないと知った。
だが、オレの心は、魂は、自分は男だと主張する。
──やはり、無理だろう。
最初からわかっていた事だ。
アイツには悪いが、ここまでにしよう。
バイト先も変えて、また一から始めればいい。
「……なんて、諦められたら苦労は無いんだがな」
目の前にあるのは断崖絶壁、振り向けば行き止まり。
前にも後ろにも進めないこの状況で、オレは何をすればいいだろうか。
──わかってる、オレはいつだってそうしてきたんだ。
『答えは風に吹かれている』
ボブ・ディランの『Blowin' in The wind』が、哀愁漂うハーモニカと共に頭の中で流れた。
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当作品は他にも〈小説家になろう〉に掲載しています。〈小説家になろう〉と〈ノベルバ〉で話数が違うのは、〈ノベルバ〉に〈章システム〉が存在しない為、強引に作っている兼ね合いで話数が合わないのですが、〈小説家になろう〉と〈ノベルバ〉に同時投稿しているので、読みやすい方をお選び下さい。
まだまだ未熟な筆者ですが、これからも応援をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
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