【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百七〇時限目 男装の麗人が婀娜めくまで ⑦
エリスが三冊の少女漫画を両手に抱えてレジの列へ並んでいる間、私は今日、何をするべきかを振り返る。
服は買った。
化粧品も買った。
うどんも食べた……これはどうでもいい。
軽くではあるけど基礎的な〈女性らしさ〉も教えた。
そこからの流れで少女漫画を購入。
──ここまでは順調、悪くない流れだ。
であるならば、次に行うべき行動は何だろう。
今日を迎えるに当たり、昨晩、無い知恵を絞ってあれやこれや、それやどれやと思考を巡らせたが、フラッシュアイデア的な閃きは浮かばず、挙句の果てに思案投げ首ではあったけれど、ここまでは私がイメージしていた通りに物事が進んでいる。懸念材料となっているのはエリス自身の覚悟だが、それはもう『仕事だから』と割り切る他に無いだろう。
とどのつまり、私ができるのはここまでだ、という事である。
残すは免許皆伝を言い渡すのみだけれど、この状況下でそれを言い渡すのは酷かもしれない。
エリス自身、まだ心の準備が整っていないのもある。
懸念材料は残さない事に越したことはないが、如何せん、それはエリス自身が克服しなければならない問題であり、私がどうこうできるものでも無いと思うのだが……。
あたふたしながらしどろもどろに、テンパって財布を落としながら会計を済ませる流星を目の当たりにすると、稚魚同然のエリスをここで放流すれば、確実に大きな魚の餌となるだろう。バイト先で接客最中に『殺すぞ』なんて言おうものなら一発でクビになる……もう少し世話を焼く必要がありそうだ。
レジで会計を終えたエリスは、テクテクテクテクと歩きながら私の前へとやって来て、漫画の入った袋を誇らしげに突きつけた。
「買ったぞ」
どうだ凄いだろう、みたいな顔をしているけれど、それはできて当然の結果であり、褒めるべき事柄ではない。それでも満足そうに鼻の穴を膨らませているのだから、ここは『よく出来ました』のはなまる判子を押してあげよう。
「うん。お疲れ様」
頭を撫でてあげたいのは山々だが、あいにく、両手には先程購入した品々を持っているので、労いの言葉だけに留めた。
「これからどうするんだ。まさか〝これを読む〟とか言い出さないよな」
──ああなるほど、その手があったか。
読むとなると場所が必要だが、ダンデライオンは使えない。
エリスは今の格好を知り合いに視られたくないと言っていたので、他の場所に目星を付けてみる。ファーストフード店か、適当なコーヒーチェーン店か、ファミレスくらいなものだけど。
「その表情は正解か」
「せっかく買ったんだし、読むに越したことはないと思うよ?」
「大衆の面前で少女漫画を読ませるとか、お前、オレを何だと思ってるんだ」
いやいや、カフェで漫画を読むのは一般的な事であり、恥ずべき事じゃないのでは? 音読しろと言っているわけでもないので、そこまで拒絶反応を示すのは過剰反応だと言わざるを得ない。
「じゃあ逆に訊くけど、エリスは自室で少女漫画を一人で読めるの? と言うか読む気ある?」
「……」
「ほら、やっぱり読まないじゃん」
部屋で漫画読む、なんて事の無い日常だけど、エリスにとってはイレギュラーな事態だ。私が思うに、それは『非日常』で、エリスにとっては筆舌に尽くし難い行為だろう。それもそのはずで、エリスは自宅に帰れば〈流星〉に戻り、男としての生活へと帰る。男性でも少女漫画を読む週間がある人はいるけど流星は違う。なるべく〈女性らしい物〉を遠ざけているので積み本になる確率が高い。だから監視役という名目で私が付き添っていれば、エリスも致し方無いと読めるはずだ。
「──わかった。オレも男だ。最後までやってやる」
……いや、今のアナタは女の子なんだけど?
そこの所、もうちょっと理解して欲しいんだけどなぁ。
* * *
本を読むに最適な場所は各々違うと思うけれど、然りとて、まさかカラオケの防音室を選ぶとはさすがに予想外だった。
「料金は気にするな、オレが支払う」
例えばこれがデートだったとするなら、『素敵! 抱いて!』となっている事だろう。ならないか。さすがにそこまで軽い女子はいない。けれど、デート代を支払ってくれる男性というのは女性側としては都合がゲフンゲフン。
「それは嬉しいけど、どうしてカラオケなの?」
五畳半程度の狭い空間に三人がぎりぎり腰をかけられる程度の安そうなソファー。所々に補修がされてあるのは煙草の火種が落ちたせいだろう。窓は締め切りで、年季の入ったカーテンで遮られている。ソファーの前にある白い膝下テーブルの上には、曲をリクエストするリモコンとエアコンのリモコン。灰皿。そして、ドリンクや食事などが記載されたメニューがそのまま置いてある。食事も済ませているし、飲み放題のプランにしてあるので、追加オーダーする事も無いだろう。
エリスはモニターの音量をゼロにして、室内の音を消した。だが、完全に無音というわけではない。隣の部屋から漏れる歌声が僅かに訊こえてくるのは詮方無いだろう。しっかし下手だな、音痴にも程がある。パスタ作ってるお前に惚れる前に、その歌声を何とかするべきだが、正直に言うと『やめちまぇ!』とも思う。だが、まるで若旦那になり切ったように歌うその男に、ある意味では『黄金魂』を感じなくもない。『爆音男』であることに変わりはないのだけれど。とりあえずお前ステンダップ。
「おい、眼が据わってるぞ」
「ああ、ごめんね。お隣さんの声が気になって」
直に慣れるだろ、とエリスは言う。
それもまあそうだけれど……気にしても仕方が無いかと諦めた。
二人で三冊の漫画を回し読みしながら、途中、エリスから「これはどういう事なんだ」という質問に受け答えしつつ、数刻のうちに読み終えた。
「どうだった?」
「肌には合わないが……まあ、悪くはない」
「そうじゃなくて、私が訊いたのは女の子のイメージは掴めた? ってこと」
エリスはソファーに浅く座り、背凭れに全体重を乗せる。そして気色混じりの天井を視上げながら、
「これはどちらかと言えば恋愛の価値観だろ」
ぐいっと体を起こして、テーブルの上に並べられた三冊のうち、一冊を指でとんとんと二回小突いた。
「今のオレにはこういうのは不要だな。ストーリーは悪くないが、よくも悪くも王道。王子様系の男子に一目惚れした主人公が、今後、どうやってその王子様を落とすのかが少し気になる所ではあるが」
めっちゃハマってるじゃん──なんてお茶を濁したら、エリスのやる気を削いでしまうのでお口にモンダミン。じゃなかった、お口にチャック。
「そしてこっちだが」
今度は真ん中にある漫画を右手の人差し指で小突く。
「ひょんな事から色とりどりのイケメン男子に迫られる非モテ女子。こういうのを〝逆ハーレム〟って言うのか? 登場人物が奇抜過ぎて、ちょっとついていけないな」
それは私も読み進めているうちに思った。
ビジュアル系バンドのイケメン君が登場するのだが、あれははっきり言ってギャグだ。『俺と約束された丘の上を目指してみないか?』なんて言われても困るし、そもそも約束っていつしたの? って感じだし、更に言えば、丘の上って何? 状態で私も困惑してしまった。
「そして最後のこれだが」
残るは一番右端に置かれた漫画だ。
左端のは悪くない印象だったけど、これはどんな感想を抱くのか興味を唆る。
「他の二作より完成度が高いな。まさか一巻で主人公の想い人が交通事故で死ぬとは予想外だったが、これはそういう話なんだろ? 映画〝ゴースト〟を彷彿とさせるラブストーリーだな」
その作品はランキング一位の作品で、交通事故によって死んでしまい、幽霊となった彼と、その悲しみから立ち直ろうとする主人公の『すれ違い』を描く複雑なストーリー。これは早く続きが読みたい。なんなら今すぐ本屋に蜻蛉返りして二巻を買いたいまである。
この作品は『心情描写』が色濃く描かれていて心に訴えかけるものがあり、人によっては心苦し過ぎて読めないという人もいるかもしれない。悲しみを克服しようと奮闘する主人公と、それを支えようとする彼の友人。その二人が微妙な距離を保ちつつ、幽霊となって現世に留まった彼が彼女の幸せを願って背中を押せればと足掻いたり、主人公の『女の子らしさ』もあったり、何より健気で可愛いくて尊い。
どうやら興奮し過ぎて頭の中でバグが発生しているらしく、何を考えているのかよくわからなくなってしまった。
「参考になるかはわからないが、この作品をもう少し読み進めてみようと思う」
「うん。わかった」
これで全てが片付いた、なんてのはさすがに楽観視し過ぎだろうか。けれど、そろそろ退出の時間が差し迫っているし、外に出れば太陽は沈んでいるだろう。解散するには充分な時間だ。
部屋に備え付けられた受話器から、終了一〇分前を告げる電話が鳴る。
今日はここまで、また明日。
チェクアウトを済ませた私と、カラオケのトイレで着替えた流星は、改札前で一言二言会話を交えて、お互いに乗る電車へと乗り込んだ。
手元には件の漫画の続き。
──あ、忘れてた。
流星が持っている島村の袋の中から、私の服を抜きとらなければならなかったのに、そのままにしてしまった。あの時『忘れるべからず』としていたのに、他に気を取られればこれだ。
「まあ、明日持ってきて貰えばいっか」
『まもなくぅ、うめのはらぁ、うめのはらぁ、お出口は右側です』
車窓から、梅ノ原駅付近の町並みが視えた。
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by 瀬野 或
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