【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百六十八時限目 男装の麗人が婀娜めくまで ⑤


 この百貨店には去年、着替えやなんやらで大変お世話になったけど、そんなに月日は経過していないにも関わらず、心のどこかから懐かしさが込み上げてきた。ノスタルジーを感じるような内装でもないし、今日も今日とてどこぞの物産展が開催されている。その中でもやはり眼を引くのが干物系統。肉厚のホタテの貝柱なんて、ご飯と一緒に炊いたらとても美味しそうだ。

 私達は物産展の横を通り抜け、エスカレーターに乗った。見下ろせば先程の物産展が一望できる。ホタテもいいが、他の乾物も捨て難い。そんな羨望の眼差しが、後ろにいる流星には面白くも変に視えたのだろう。よだれすら零しそうな私を視て、

「目的を間違えるなよ。……後で寄ってもいいが」

「え? あ、ううん。遠くから眺めるだけにしておく」

 お前、結構地味な趣味してるんだな、と流星は鼻で笑った。

 エスカレーターから降りて直ぐ、壁に面した左側に目的のトイレがある。この構造は何とも親切だ。急に腹痛を感じても直ぐに駆け込める。ただ、衆人観衆の眼に晒されながらトイレに駆け込むというのは女子としてどうなんだろう。生理現象なので仕方が無いと言えなくはないけど、年頃の女子はトイレなんて行かない、みたいな昭和のアイドルよろしくな事を思っている男子がいたらがっかりさせてしまうかな? ……そんな男子はとっくに絶滅していると願う。まあ、私の場合は外見こそ女子っぽいけれど、下には男性シンボルがついているわけで、そう考えるとややこしい話に発展しそうだ。

「ここか」

 何の変哲も無い多目的トイレ。右には女子、左には男子トイレがある。清掃した直後なのか、トイレ前に靴跡などの汚れは見当たらなかった。

「一着だけだ。着替え終わったら連絡する」

 仮にもトイレなので、何着も着替えることはできない。『多目的』とは言え、ここはあくまでもトイレなのだ。そういう意味でもあまり時間をかけられないので、一着だけ試着する、という話になったのがついさっき。

「連絡するって? 眼の前で待ってるんだから、扉を開けて視せてくれればいいのに」

「お前は馬鹿か? 誰かが視てたらどうする」

 どうするもこうするも、今度からバイトに出勤する際と退勤する際に、その服を着て外に出るんだから、どの道同じだと思うけど……なんて言い返したものなら更に反感を買いそうなのでぐっと呑み込んだ。

 流星は私を睨みながら、多目的トイレの扉を閉めた。

 おそらくトイレの中であの日の私と同じように、複雑な心境でいるに違いない。かと言って私も一緒に中へ入るわけにもいかないので、後は野となれ山となれ。どうするのか、どうしたいのかを見守る以外に為す術は無い。然し、ただ呆然と待っているのも退屈だ。風景でも視ながら待ってようと辺りをきょろきょろと見渡す。夏に来た時は水着コーナーが設置されていた婦人服コーナーも、今は地味な色のコートが並んでいた。だが、そのコーナーも段々と縮小されて、そのうち春物の服が並ぶのだろう。服屋は季節に敏感で、一つ先を見据えて商品を並べる。冬に冬服を買いに行ったはずなのに碌な冬服が無い──なんて事が島村では多々ある。

「春、かぁ……」

 時間は何も告げずに過ぎていく。こうしている間にも秒針は進んで、一秒前の私には戻れない。だからこそ時間は有限であり、掛け替えのない存在だとも言えるけれど、それ以上に残酷だとも言える。

 失った物は取り戻せないし、人によっては何を失ったかもわからないかもしれない。その方が幸せだ、と思う人もいるけれど、それは過去を否定している事に過ぎないのではないか? なんて、知ったような事を思って口の中が苦くなった。

 流星は、何を失ったんだろうか。

 誰しもが生きる上で〈何か〉を失っている。失ってはならないモノまで『失いたい』と望む人が多いこの日本という国で、流星は必死に、何かに対して抵抗しているようにも視えるけれど、本当はその〈何か〉を隠しているだけなのかもしれない。私が知る由もない、流星だけの事情を。今回の件で、その〈何か〉がわかるのだろうか? その時、私は──それを受け入れる事ができるか不安だ。それでも受け入れる事を諦めてはならない。いつだって流星は、私の無理難題を受け入れてきたのだから。
 
 バッグに入れている携帯端末の呼び出し音が、私を現実的へと引き戻した。




 * * *




 こつこつ、と扉を二回ノックすると、中にいる流星から「いいぞ」と返答がきて、私はこの扉の先にいる流星が、一体どんな姿になっているのか、どんな美少女になっているのかちょっぴりだけ期待して扉を開いた。

 正方形のトイレの中央に、恥ずかしそうにしながら両手を前に組んで俯く少女。金髪と髪型は以前のままだけど、わんぱくなお嬢さんと言われれば肯んずるくらいには可愛らしい。何より驚くのは、男装していた時には気づかなかった豊かな胸。普段はさらしを巻いて隠していると訊いたけど、ここまで隠せるものなのだろうか? だが〈鳩胸〉の男性だと言われたらそれまでだし、ううむ……何だか裏切られた気分だ。

 流星が着ているのは、私が最初に選んだフレアスカートコーデ。つんつんした流星とは大局的なゆるふわな雰囲気が妙にマッチしている。

「似合ってるよ」

「み、視るな。こ、……ころすぞ」

「視ないと判断できないじゃん。それに、その姿で凄んだって迫力無いよ」

「う、うるさい!」

 ここまで動揺している流星を視るのは初めてで新鮮だ。暴力的な表現も『照れ隠し』と思えば、それはまたそれであれである。──そう、ツンデレ的な萌え要素。ツンデレメイドとはまたベタな設定を盛り込んだなぁと苦笑い。当然、流星にそのつもりは毛頭無いのだろうけど。

 流星と私の身長は差ほど変わらない。身長を測れば、もしかしたら流星の方が大きいのかもしれないが、それもきっと数センチ数ミリ程度の違いだろう。体型も体格も(胸は流星の方が大きいけど)、そして境遇までもが似ているとあれば他人事とは思えない。私と流星の違う所と言えば、『性格』と『性別』で、私は自意識過剰な所があり、流星はさばさばしている所か……さばさばで合ってるかも最近はよくわからない節があったりするけど、大雑把に喩えるならば、やっぱり『さばさば』だと思う。……今晩の夕飯は鯖にしよう──って、連想ゲームじゃないんだから。

「変じゃないか?」

「変じゃないよ」

 変と言えば変なのだけれど、それはこの格好が、ではなく、ここ数日の彼、基、彼女の言動の数々が変だと言える。話し方に抑揚をあまり付けないのが流星の喋り方なのだが、昨日、今日は疑問を強調する時に語尾が上がる。『そんなの普通だ』と、流星を知らない人は思うかもしれないが、これこそ私が今の流星を『変だ』と思わせる一因だ。然し、流星は特に気にする様子も無いので、この異変について言及する事はしないだろう。私の胸の内だけに留めておく。偽物の胸だけどね! 卑屈に拍車がかかったようだ。

「何はともあれ一安心だ。着替えるから出ていけ」

「え? せっかくなんだからちゃんとメイクして外に出てみない?」

 こんなチャンス、滅多に無いだろう。

 流星が〈流星えりす〉として君臨する日が来るとは思わなかったので、私は『女性の特訓』と称して流星に提案した。

「特訓って、お前な。オレはただ服装のチェックを──」

「いいからいいから。琴美さん直伝のメイク術を教えてあげるって♪」

 乗りかかった船と言わんばかりの圧に気圧されて、流星は焦燥しきった表情を浮かべながらも、「……今日だけだからな」と観念した。

 こうして強引に物事を運ぶのは、佐竹君の姉である琴美さんの影響を受けているのかもしれない。つまりこれは悪影響。あんな大人になりたくないと思う反面、多少の憧れも私の中にはあるのだろうか? 自由奔放に生きるという生き方に、私は惹かれているのかも。

 ……あそこまで奔放なのは、それはそれで問題だけど。

 流星を便座に座らせて、私は購入したメイク道具一式を取り出した。もう手慣れた作業だけど、これが他人を相手にするとなると緊張してくる。眼を閉じてじっと耐える流星。頬を撫でる筆がこそばゆいのか肩が震えていた。

 程なくしてメイクが終わり、後は髪の毛を整えるのみとなった。ブラシも購入していたので、丁寧に髪の毛をブラッシングしていく。流星の髪の毛は私よりも細く、滑らかだ。長くすれば楓ちゃんくらいには艶やかでしなやかな髪になるだろう。

「……はい、完成♪ 鏡で確認してみて?」

 流星はゆっくりと瞼を開いて便座から立ち上がると、その足で鏡のある洗面台へと向かった。

「……こ、これがオレ、なのか」

 首下くらいまでのショートヘア。それが流星の『ツンデレ要素』として生かされている。頬にはチークを入れた。照れると顔が真っ赤になるけどそれも可愛らしかったので、これは武器になるでは? と思ったが、どうや正解だったみたい。つけまつげで伸ばしたまつ毛は、男装していた時の流星とは違う印象を与える。

「お前、本当にメイク上手いんだな」

「師匠が師匠だからね」

「琴美か。これなら確かに納得だ。……だが、これがオレか」

 私が女装させられた時は、ある種の興奮を覚えたけれど、流星は違うらしい。その証拠に表情が暗い。やはり、自分の性を〈男性〉と強く思う流星に、ここまでのメイクは酷だっただろうか。

「ご、ごめんね。ちょっとやり過ぎたかも」

「いや、いい。これならオレが流星だとバレる心配も無い」

 そして流星は洗面台横に置いていたリュックから携帯端末を取り出して、パシャリと一枚自撮りした。ポーズはせず、真顔で撮る自撮りを傍から視ると、何が楽しくてこの人は自撮りなんてしているんだろう? と疑問に思うけど、おそらく自撮りした理由は、このメイクを今後活用するに当たり、お手本として撮影したと察する。

「オレがするとはな……」

「で、でも! ちゃんと可愛いくなったよ!」

「ああ。感謝してる。──けど、やはりこれはオレじゃない」

 その言葉にはうっすらと後悔の念を感じる。

 自分を偽ってまで、すがらなくてはならない仕事。

 それは、生きていく上で『仕方が無い』と割り切ってしまうのが常。でも、流星は自分を偽る事を過剰に嫌がった。今日だって何度となく『仕方が無い』と自分に言い訊かせながら私と行動したのだろう。それなのに私は『楽しい』と感じてしまっていたのだから罪深い。

 流星と私の違いは、きっとここに収束される。

 私はもう、自分の内側にある〈女性〉という性別を受け入れたけど、流星は自分の内側にある〈女性〉という性別を拒絶していたのだ。それを面白がって突いたのだから、何とも性格の悪い事をした。罪悪感で胸が張り裂けそうだ。

「……そんな顔するな」

「え?」

 流星は私の前へとやってくると、憂いの帯びた微笑みを向けた。

「これはオレが望んだ事であり、それにお前を巻き込んだのもオレだ。全てはオレが選んだ選択肢であり、お前が気を揉む必要は全く無い」

「でも……」

「それに、まだ特訓が残ってるだろ。最後までちゃんと付き合えよ?」

 そう言って流星は私に背を向けると、速やかに荷物を纏め始める。

 憂いを帯びた笑顔、あの時の流星は悲しいかな、美しくも儚くも視えて、私は『婀娜あだめく』という言葉の意味を初めて知ったのだった。











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 by 瀬野 或

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