【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百五十九時限目 初詣は渋滞と共に
夢をコントロールできる人間という者が、この世界にはいるという噂を小耳に挟んだ事がある。そういう人間は空を自由に飛んだりできるというが、僕にもそんな特殊能力があればいいのに、と思うような思い出したくもない悍ましい悪夢を見た気がする。
夢というのは起きた時に概要を忘れてしまうのが大半なので、僕の視た悪夢の全容は定かではないけど、おそらく碌な内容ではなかっただろう。
一〇〇人の佐竹から『あのさ』と詰め寄られる夢なんてのは直ぐにでも忘れるべきだ。忘れたという事にしておかなければ、精神崩壊を起こし兼ねない。とどのつまり、トラウマレベルの悪夢以外の何物でもなかった。
寝起き特有の倦怠感に苛まれながらゆっくりと目蓋を開くと同時に、枕元に放り投げていた携帯端末が振動した。もしもさっきのが正夢だとするならば、相手はきっと佐竹義信に違いない。恐る恐る手に取って画面を確認すると、画面の中心には佐竹の顔写真と、その下には彼の名前が表示されている。バターを塗ったトーストが絨毯に落ちる際に、バターを塗った表面が下になる確率は八割というマーフィーの法則に従うのなら、嫌な予感というのは相応にして起こり得て、この〈通話ボタン〉を押せば、佐竹の無理難題が待ち構えていると想定すると、通話ボタンを押す事に気乗りしなかった。だが、このまま放置しておくのもきまりが悪い。
年始から問題を抱えるなんて事は無いだろうと自分に言い訊かせて、緑色の楕円マークを押した。
『もしもし?俺だけど』
佐竹の声音はたどたどしく感じた。
元気が無いわけではないだろうけれど、どことなく遠慮を感じる。この調子だとこれから先は長そうなので、挨拶程度に──
「オレオレ詐欺なら間に合ってます」
いつも通り、佐竹を弄ってみた。
『ちげぇよ!つか、普通に名前が表示されてんだろうが!?』
この場合の『普通』とは、着信を受ける際に携帯端末の画面で、名前と電話番号を確認できるだろう、という意味だろうけれど、それを一括りとして『普通』と言い切る辺り、佐竹の語彙力はまだまだ乏しい。だが、佐竹から三種の神器『マジ』『ガチ』『普通』を取り除いてしまえば、『あ』しか言えないジブリ映画のアイツと同様になりそうなので、それらを使うなとは言わない。因みに、ジブリ映画のアイツのモデルは現代人らしいので、語彙力が乏しいという点においてはぴったりと当てはまる。そのうち、『千を出せ』とか言い出さないだろうか? 佐竹の場合だとその前後に三種の神器が付くのだろう。
それはさて置いて──
「それで、元旦から何用?」
まさか『野球やろうぜ』とか言い出すきじゃあないだろうか? それを言えるのは中島君だけと相場が決まっている。ガキ大将の場合は家まで押しかけて来るからな──そういう観点から視ると、あのガキ大将は案外面倒見のいいヤツかもしれない。但し、映画版に限る。
僕が質問をしてから長い沈黙を経て、佐竹はようやく重い口を開いた。
『いや、その……、あのさ』
──来た。
佐竹の『あのさ』が問題事じゃなかった試しが無い。
新年が明けておめでたい日だと言うのに、佐竹はどんな問題に直面しているのやら……と、岡目八目に様子を窺っていると、続く言葉がなかなか出てこない。受話器越しでは佐竹の表情を察する事はできないけど、言葉に詰まっているという事は、相当にヤバい案件なのか?然し、このまま待ち続けるというのも焦れったくて仕方が無い。
「なに?一体何事なの?」
佐竹に続きを催促するように、少々言葉尻を強めてみたら、ようやっと観念したようで、もごもごしながら口を開いた。
『初詣に行かないか』
「……はい?」
『だから、初詣だって』
「誰と?」
『俺と、お前』
……と、ダンダン! だいごろおぉ! らーらららららー! らららららー!
そんなCMが昔あったらしく、偶に父さんが酔っ払って歌っていたのを思い出した。今、大五郎は関係無いが、お酒のCMってどうしてあんなに印象深く残るんだろう?特に日本酒と焼酎のCMは、使用される曲もなかなか印象に残る。
初詣に行くのはいいが、男二人で行くような場所ではない。
「二人で行くの?月ノ宮さんと天野さんは?……ついでに、関根さん達とか」
流星に至っては誘ったとしても『行かない』と断られるのが関の山なので、敢えて名前は出さなかった。
関根さん達は兎も角、月ノ宮さんと天野さんは誘うべきだろう。月ノ宮さんはきっと家の事情で忙しいだろうけど、天野さんを誘うなら一声かけるのが正解だ。然し、佐竹は『いや、二人で行きたいんだ』と、僕の提案を取り下げた。
「あま、別にいいけど……。梅ノ原駅から数キロ離れた場所にある神社だと有り難いかな」
あまり遠出したくないのが本音だ。それに、移動距離からして、僕の提案した神社が無難だろう。
『確かキムチが美味い店が近くにある神社だろ?』
なんでそんな地元情報知ってるんですかねぇ?
その神社は名前が定まった時期こそ明治らしいが、歴史はもっと古くて、天智天皇称制五年(666年)頃にまで遡るらしい。さらに付け加えると、朝鮮とも深い関わりがあるのだとか。けど、僕が知る主な情報というのは『商売繁盛』と『出世』にご利益がある程度の粗末なものだ。この際だから、現地で情報を得るのも面白いかもしれない。そう考えたら、ほんのちょっとだけどワクワクしてきた。
「じゃあ、昼頃に待ち合わせってことでいい?」
『そうだな。じゃ、梅ノ原駅待ち合わせで』
そこで通話は終わり、僕は壁に掛けてある時計を何気な視た。
──あまり、流暢に構えていられる時間は無さそうだ。
何を着て行こうかと悩んだが、黄土色のパンツと白の長袖シャツ、そして袖がスウェット生地のネイビー色のスタジャン、頭には同色のニット帽、首にはマフラーという無難なコーデでいいだろう。ヒートテックのインナーを重ね着すれば、多少寒さも軽減できるはずだ。それらを試着して姿見で確認したが、可もなく不可もなくと言った所だと納得して、梅ノ原駅へと向かう準備を進めた。
* * *
梅ノ原駅に到着して改札を出ると、待合室変わりになっている改札の出口にある椅子に、黒いダウンジャケットに紺色のジーンズを履いた佐竹っぽい佐竹が足を組んで座っていた。僕が到着するまでソシャゲでもしていたのだろう、片手には携帯端末が握られている。
「ごめん、待たせた?」
「いや。俺も今来た所だ」
何だこのやり取り、まるでカップルのそれを彷彿とさせる。佐竹も同じ事を思ったらしく、妙に気まづくなってしまったが、「行くか」と地面を蹴るようにして立ち上がると、タクシーが停まっている乗り場へと向かった。
梅ノ原駅を背後に、駅前ロータリー中央から右半分はバスの停留所となっていて、右側から市内循環バス乗り場があり、駅真正面には僕ら梅高生が乗り降りする学バスが停まる。現在、梅高は冬休み真っ最中だ。梅高行きのバスは無く、仮に冬休み中梅高へ向かうのなら、もう一つ先の駅まで行き、徒歩か、梅高近くにバス停を構える市内循環バスに乗るしかない。まあ、休み中に梅高に行く物好きもいないだろうし、教員の殆どは車を使っているので、そのバスを利用するのは遅刻した場合か、帰りの終バスに乗り遅れた学生だろう。
これから僕らが向かう神社にはタクシーで向かう事になる。多分、市内循環バスでも行けるのだろうけれど、バスを利用するには、僕も、佐竹も、情報が不足していて、どのバスに乗ればいいのかわからない。それなら確実に目的地へと辿り着けるタクシーを選ぶのが妥当だ、というのが僕らの見解で、運賃も折半すれば、そこまで財布の負担にもならない距離だと判断した。
タクシーは三台停まっていて、僕らは先頭にあるタクシーへと乗り込んだ。
「そう言えば楓の家に向かう時もタクシーを使ったよな」
先に乗車した佐竹が、ふっと思い出したかのように呟く。
「……だね。本当はバスでも行けたんだったよね? どこかの誰かさんが忘れてなければ」
「まだ根に持ってんのかよ……」
「別に? 佐竹が呟かなければ忘れてたよ」
とは言ったものの、忘れるにしては濃い一日だったので、忘れるにも忘れられない日だ。まさかあの日のバナナが伏線的に、クリスマスプレゼントで返って来るとは思わないだろう。皮肉にも程がある。
「口は災いの元ってやつか」
「佐竹の場合は天災だけど」
「な、なんだよ急に、……照れるじゃねぇか」
この反応、もしや『天才』と『天才』を訊き間違えているのではあるまいか? だとするならば、頭の中がお花畑もいい所だ。
「何を勘違いしてるの? 災いの方の〝天災〟だよ」
「そっちかよ!? ──まあ、そりゃそうか」
佐竹自身も自覚はあるようで、へらへらしながら頭を掻いていた。
タクシーはロータリーを出て市街地を進み、やがて市街地を抜けると川沿いの道路を走り始めた。その川は神社と同じ名前の川で、僕の住んでいる町にも流れている。じゃあ、その川を辿り歩けば目的の神社に辿り着けるのではと思うかもしれない。そりゃ歩いていればいつかは辿り着くだろう。でも、その距離にして一〇キロ以上はある。気軽にハイキング気分で進んだら、いつの間にか夕方になっていた──なんて距離なので、誰もそんな無謀な事はしないだろう。でも、誰しも一度はそんな『くだらない事』を考えるはずだ……と、僕は思っているけど、もしかして僕だけ?
神社に近くなると車通りも多くなり、神社を目前として渋滞状態になった。ここからなら歩いてもいい距離だと思い、僕らは運転手さんに無理を言って料金を支払い、タクシー下りる。
「こりゃ進まねぇよなぁ」
渋滞の理由は当然、初詣が目的の車だ。神社の駐車場から先と、反対車線の車は滞りなく流れている。初詣目的以外の人にとってはいい迷惑だろうけど、地元に住む人達なら、この道を避けて通るだろう。僕らは反対車線にある歩道を歩きながら、時々すれ違う家族連れに挨拶をして、ゆっくりと歩みを進めた。そして、ようやく神社に辿り着いた頃には、僕も佐竹も額に汗を垂らしていた。
神社入口の横には二本の赤色に染められた木の柱が立てられていて、先端には人の顔が彫られている。例えるならば風神と雷神だけど、この神社に祀られている神様は日本の神ではないので、風神雷神とは無関係。ただ、怖い表情をしているという点において、そう例えるのが正しいだろう。この場所は車のお祓いがされる場所になっていて、お祓い待ちの車が数台停まっていた。
僕らが進むのは社殿へと続く通路で、入口中央に鳥居があり、その鳥居の左右手間には僕と同じくらいの背丈の石柱と、それよりも短い石柱が二本ずつある。社殿へと進む道はコンクリートブロックが敷かれていて、その道を辿るように木々が並ぶ。まるで、山の中へと足を踏み入れるような錯覚さえするが、この神社よりも更に高所にある『聖殿』は、それこそ山の中腹辺りに建てられているので、長い階段は覚悟しなければならないが、僕らの目的地は聖殿ではないので、社殿へと続く道を無言で歩いた。
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by 瀬野 或
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