【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百四十六時限目 まだ夜は明けない
〈とあるお嬢様の独白〉
鳴り止まぬ脈拍、喉に引っかかる魚の小骨のような違和感、そして、失敗を恐れる心。
私らしくもない──。
どんな困難に陥ったとしても、私は自分の力で何とかしてきたはずなのに、いつの間にか〈彼〉に頼るようになってしまっていた。
本当に、私らしくもない──。
彼は私の友人であり、恋敵であり、初めて出会った好敵手。
私とは違う方法を用いて解決に導くその姿勢には、眼を見張るものがあるのは事実。
然し、それに甘えてしまっていれば、私は私でなくなってしまう。
──だから、いい機会だったかもしれない。
これは決別ではなく、挑戦。
相手にとって不足無しとは、正しくこの事を示すのでしょう。
眼を閉じながら深く息を吸い込み、鳩尾辺りに燻っている〈鬱々とした何か〉も一致に肺から出すイメージで息を吐く。それを幾度か繰り返して、アルファ波の流れが安定した頃、浅く瞑っていた目蓋を開いた。
勉強卓の棚上にある二枚ガラスのフォトフレーム。
その中の〈彼女〉は、今日も私に優しく微笑んでくれている。
この写真は、以前、隠し撮りした物ではなく、許可を得て、お兄様の店で撮影した奇跡の一枚。
これまでよりも、更に距離を縮めた証拠でもある。
──けれど、まだ手は届かない。
一枚のガラスを隔てた向こう側、そのガラスをどうにかして取り払わなければ、彼女に触れる事も叶わない。
そんな悄愴を胸に抱いていれば、魂を黒く濁らせてしまう。
静謐さを保たなければ。
「……絶対に、負けませんから」
──欲しい物は、どんな手段を使ってでも手に入れる。
その邪魔立てをするならば、例え友人だとしても容赦はしない。
……それが、月ノ宮家の鉄則なのですから。
ハラカーさんの情報提供により、カードはある程度出揃った。
懸念は多々余り有るけれど、その全てを潰していくとなると、クリスマスまで間に合わない……いや、解決に導くのならばクリスマスイブよりも前。一つ、二つ、三つ、指折り数えてみると残された日数は僅かだが、出揃ったカードの全て効果があるかは別の話。
『決定打に欠ける』
──それが率直な感想。
この状況を打開するには〈もう一人の僕〉が必要になってくるけれど、ファラオの魂が宿るパズルは持ち合わせていない。
表の僕がデスティニードローで神を引き当てない限り、軍配はずっと向こうのターン。
つまり僕は、エグゾディアを海に投げ捨てたインセクター何某で、月ノ宮さんはひたすらモンスターカードを引き当てる奇抜な髪型の主人公。ついでに佐竹は本田ポジまである──余談だけど、旧カードの本田の能力は〈おみそ〉らしい。調味料のそれではなく、〈無能〉という意味。
自宅の湯船に浸かりながら、手持ちぶたさになって、ひたすら『神だ!』と、某テクノカットの社長の真似をしてみたが、一向に上達はしなかった。
「はぁぁ……」
ふっと、残業終わりのサラリーマンみたいな溜め息を零しながら、冷めてきた湯船のお湯を肩にかけた。
細い腕、撫で肩、猿臂を伸ばすと、遠慮がちに生えている産毛のような薄い毛に水滴が付着した。
もう高校一年だというのに、この毛の薄さはどうなのか? 僕の男性ホルモン弱過ぎじゃない? ──けど、噯にも出すまいとしているが、一丁前に欲はあるもので、〈異性〉のちょっとした仕草にドキッとしたりするのも、今では何だか不思議だ。
自分の中には〈別の性〉があると自認していたとしても、そういう衝動は自然の摂理なんだろうなぁ。
要するに僕は、男らしくもあり、男らしくない。
他人から好意を持たれたのは〈優梨〉としての自分で、佐竹も、天野さんも、優志を視ながら優梨の影を追っている。
最初はそれでも構わないと思っていたけど、僕らを繋いでいる糸は、いつか途切れるだろう。
その理由は、僕が不甲斐無いから。
僕は誠意には誠意を、不誠実には不誠実を返すのが信条だけど、甲斐性の無い僕がそれを説いたとて、愚直な『俺かっけー』に過ぎず、「ネットでイキっている連中と、然して変わらないなぁ……」と、関根さんと話ている時を追懐するように嘆きながら湯船を出た。
そんな不甲斐無い僕が、天野さんのために何が出来るだろう。
佐竹の時みたく、助けを求められたわけじゃないし、月ノ宮さんの時のように、含みを待たせるような事も無く、ある意味では〈拒絶〉にも等しい『私の事は気にしないで』を、部外者である僕がどうにかしようとする方がおかしい。
……けど、それは逃げだ。現実逃避も甚だしい。
身体を拭いてぐっちょり濡れたタオルを、やり場の無い気持ちと共に洗濯機に放り込んで、寝間着にしているパーカーとスウェットを着てから、ドライヤーで軽く髪の毛を乾かす。
鏡に映る僕の顔は女々しい──。
* * *
体を放り投げるように、俯せでベッドへ飛び込んだ。
枕元に置いてある、黒い化粧ポーチ。
それに自然と眼が向いたのは、今の僕を脱却したいからかもしれないけど、今、優梨の姿になるわけにはいかない……どうすればいい? どうすれば拍手喝采巻き起こる大団円を迎えられる? 終着点が決まっていても、進むべきプロセスが一向に浮かばない。どの道を選んでも、スタンディングオベーションする観客が視えないのは、他にもまだ懸念材料が残っているからだ。
──こういう時、探偵はどうするんだろう?
行き詰まる推理、手がかりも途絶えた絶望的状況でも、探偵はそこから答えを導く。
探偵が諦めてしまったら事件は未解決になり、被害者の無念を晴らす事ができないからだ……つまり、名探偵が事件を解決するのではなく、諦めず、怯まず、どんな困難にも立ち向かうからこそ、名探偵は名探偵足らしめるのである。
推理の基礎は事件を振り返る事だ。
僕はきっと、何かを見落としているんだろう──それは何だ?
天野さんの家庭の事情、……違う。
クリスマスパーティー、……これも違う。
探偵じゃなきゃ見落としちゃうね──そう、僕は探偵ではないので、些細なヒントも見落としてしまうのだ……ん?
「ヒント……」
何気無く口を衝いて出た単語が、時宜を得たかの如く、喉奥に引っかかる。
どこかで似たような単語を訊いたようなきがするけど、どこで訊いたんだったか……今日の出来事のはずなのに、頭の中が情報で散乱してしまっていて、目星を付けた記憶を遡るまで、有ろう事か睡魔もご来店してしまった。
考える事が多くて、いつも以上に脳を酷使したせいだろう。逆を言えば、いつもそこまで脳を酷使したりしない。特に、他人の事情にここまで熟考するのは初めてじゃないだろうか……ええい、睡魔が鬱陶しい。
眠気覚しに珈琲でも淹れようと、僕は下の階、リビングに向かった。
電気ケトルでお湯を沸かせている間、椅子に座りでもしたら寝落ちしてしまうので、キッチンで暇を弄ぶ事にしたが、インスタントコーヒーのパッケージの裏面に記載された『美味しい珈琲の淹れ方』を読み終わってしまって、これといったやる事も無し。どうする? 久しぶりにやっちゃう? 僕の一発芸『手乗り豚さん』……これ、誰得なんだろう。
ついに僕は、電気ケトルのお湯が沸くまでの間、キッチンの照明から垂れている紐でシャドーボクシング。TKO勝ちした所で、インスタント〈苦いお湯〉コーヒーを作り終えた。
それを食卓に置いて、いつもの指定位置に腰掛ける。
ここからだとテレビがよく視えるけど、小学生時代、テレビに集中し過ぎて怒られたって話は別にどうでもいいな。
エアコンの電源が入っていないリビングはひんやりとしていて、眠気を覚ますのも、考え事をするにも御誂え向きだ。
湯気が登るカップに、気持ち程度の息を吹きかけて冷まし、お世辞にも美味しいとは思えないインスタント珈琲を一口。嫌味な苦味と、ただ苦いだけの苦味と、珈琲に似た香りが口の中に広がって、「うげぇ、やっぱ不味い」と感嘆が溢れた。
ここまで美味しくない珈琲を、どんな方法で淹れたとて美味しくなるはずがない。逆に感動すら覚えたが、眠気覚ましとしてはなかなかに優秀。おかげで睡魔はどこかへ去ったようだ。
さて、始めよう──。
ここからは、僕が得意な思考ぐるぐるパズルの時間。
ぐるぐるぐるぐるどっかーん! と、嬉しくならない程度に取りかかろうか。
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by 瀬野 或
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