【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百三十三時限目 鶴賀優志の日がな一日
今日は午前中から雪が降ると朝の天気予報で言っていたけど、午前の授業が終わる頃には雨がぱらぱらと降り始めていた。……雪ではなく、雨。どうせ今年も四月頃に季節外れの大雪が降ったりするんだろう。だからそれまで『雪の可能性』は信じない。
埼玉県の『雪なんて降らせない』という断固とした姿勢を舐めてもらっては困る。都心で雪が降ろうとも、埼玉県の田舎では雨なのだ。粉雪に心まで白く染められる事は滅多に無いのだ。
しかしどうして、昼食の時間を狙ったように雨が降るんだろうか? どうせ降るのならせめて昼食が終わってから降って欲しい。そうでないと僕は、教室でお弁当を広げなければならないじゃないか。ただでさえ人口密度が高くて居心地が悪いのに、どこからともなく訊こえてくる『それヤバくね?』『マジヤベェ!』『超ウケるんですけど』が耳障りで超ウケるんですけど。──大体、『超ウケる』とか言っておきながら全然笑ってませんよね、アナタ。須く真顔ですよね。それともサイレント爆笑なの? イロモネアかな? 選ばれた人が全く笑わなくて、芸人が失格になった瞬間『あーあ』みたいな顔して嘲笑するのやめろ。
その集団の輪で殊更に目立っているのは、我がクラスで最強の語彙力を誇る佐竹義信。
佐竹を中心に、パリピ成分過多なバイブステンアゲマジ卍からの卍なイケイケボーイアンドガールズがリリックのぼうよみ。そういう輩はクラスで他者を見下す傾向があるのだが、そこは佐竹の影響もあって案外友好的なのは逆に始末が悪い。朝とか普通に挨拶してくるからね? だから僕はRPGに登場する村人のように「ここは一年三組の教室だよ」と、繰り返し言いそうになる。そしてドゥンドゥンされるまでが流れ。……嗚呼、そういえば最近のドラクエは、壁に激突したりしてもドゥンドゥン音鳴らないか。
机の上に風呂敷代わりにしているバンダナを広げて、玉手箱を開ける浦島太郎のようにそっと弁当箱の中身を確認する。
──馬鹿な! エビチリが入っていないだと!?
数一〇年間前の少女漫画のような白目黒背景に『ガーン』という擬音を浮かべながら、……まあ、作ってもらえるだけ有り難いと思わなくてはと、ごま塩が振ってあるご飯と一緒に鮪の竜田揚げをパクつく。
天野さんと月ノ宮さんは何をしてるんだろう? と、教室を見渡してみたら、月ノ宮さんは相変わらず男子から人気を集めていて、最近では「やあ、僕と一緒にスタバのコーヒーを飲みながらディベートでもしないかい?」と言いそうな意識高い系の男子も混ざっている。きっと梅高祭の影響だろう。見せかけのロジックなんて月ノ宮さんには通用しないだろうに……ご愁傷様だ。リスクヘッジするならファクトベースのプライオリティをブラッシュアップする事を強くおすすめしたい。自分で言っていて難だけど意味がわからないな。
天野さんは天野さんで、女子数人と雑談しながら和気藹々と昼食の時間を楽しんでいた。
そうそう、そういうのでいいんだよ。そういうので。
まるで女子会のような構図だけど、本来はあんな風に友達と昨日のドラマの感想を言い合ったり、流行りのコスメがうんたらかんたら、人気アイドルがどうのこうの、クラスの男子がうんぬんかんぬん……ちょっと雲行きが怪しくなってきたが、女子世界において陰口は潤滑油みたいなものだから致し方無いんだろう。訊いている天野さんの苦笑いが全てを物語っていた。
……ふっと自分の近くに眼を向けてみると、空になった席が前後と右に並んでいる。
まるで僕の周囲に結界でも張られてるんじゃないだろうかってくらい誰もいないが、佐竹も天野さんも月ノ宮さんだって他にも友人がいて、僕一人に感けている余裕は無い。僕だって三人の学校生活を邪魔するつもりはないし、幻のシックスマンのように『僕は影だ』と縁の下で支えるつもりもない。それでも以前は不満に思っていなかったわけじゃないけど、一人になる時間も大切だと最近は思う。朝のホームルーム前に誰かが言っていたけど、日がな一日、勉強に励むのも悪くはない。──そう思いながらも、僕は読みかけの小説の続きが気になって、お弁当を食べながら読書を決め込むのである。
それにしてこのタイトルはどうも皮肉過ぎやしないだろうか? Stay With Meなんてタイトルなのに、ラブロマンスもあったもんじゃない──。
* * *
今日も一日よく頑張った。だけど、『感動した!』と感極まる総理大臣のお言葉は無い。他人を感動させるような事は何一つしてないもんなぁ、当然と言えば当然だ。父さんが言っていたけど、この発言をした総理大臣は写真集まで出す程人気も任期もあったらしい。総理大臣という肩書きには平服せざるを得ないけど、おっさんの写真集なんて持ってたら黒歴史だろう。
父さんは『世の中の女性全てが私にとってファーストレディだ』というフレーズが笑壺に入ったと言っていたけど、これ、今の日本だったらセクハラなんじゃないだろうか? そんなの、僕の知ったことではないな。
手早く帰り支度を済ませて席を立つ。
昼から降り出した雨が強くなって、凹凸のある地面に大きな水溜りができていた。その様子を窓から眺めては「はぁ……」と嘆息を漏らす。
一応傘は持ってきてあるけど、折り畳み傘でどうにかなるものではない雨量だ。多分、この様子じゃ足元は無事では済まないだろう。
雨の日のバスの中は湿度が高くて嫌になるが、歩きで駅まで向かうとなると、それこそ二時間は要する。いや、二時間で済めばいい方だ。ダンデライオンがある方の駅が一番近いけど、それでも徒歩で一時間はかかる。……とどのつまり、不愉快な湿度に耐えながらバスに乗るのが正解。寧ろそれしか選択肢は無い。
ダンデライオンか──。
雨の日に外をぼうっと眺めつつ読書に興じる。
……悪くないかもしれない。
そんな考えが脳裏を掠めたが、わざわざこんな日を選んで行く場所でもない。
「……帰ろ」
鬱々した気分が晴れないまま、教室を後にした──。
さすがに雨の日を選んで廊下で井戸端会議する人もいない。いつにもなく静かなものだ。地面を打ち付ける雨の音と、各教室から洩れ出す雑言。そして間延びしたユーフォニアムの音色が廊下に響いている。天井にある蛍光灯が一本切れている場所があり、そこだけ薄暗くなっているのが少々不気味だ。でも、幽霊や妖怪を怖がる歳でもないので、躊躇いも無く通り過ぎた。
トイレの角を曲がると昇降口が視える。
これが本来のルートであり、ただ単に昇降口へと向かうだけならわざわざ体育館方面に出て迂回する必要もない。特に雨の日の中庭なんて最悪だ。靴が泥塗れになって収拾つかなくなる。
こういう何も無い日というのもいいものだ。これまでが色々有り過ぎたので、心を落ち着けるには雨の音が適している。
嗚呼、平和とは素晴らしきかな。
僕がラブアンドピースを讃えながら下駄箱の前で靴に履き替えていると廊下側から、
「優志君」
誰かが僕を呼んだ──。
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