【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百二十九時限目 佐竹姉弟の喧嘩 ③
「片や〝喧嘩〟、片や〝暴力〟か」
自分自身に問いかけるように、俺と姉貴が出した答えを反復したアマっちは甲論乙駁したこの状況で、どう対処するべきか悩んでいるようだ。だがしかし、その眼はどこか冷静で、俺や姉貴を贔屓するようには視えない。
「……義信、この違いをお前はどう考える」
不意に訊ねられた俺は自棄っぱちに、『俺が謝ればいいだけだろ』と言い出せなくなり、暫し考える風を装ってから、
「どうって……。つまり、姉貴は俺を罵倒したいだけって事じゃねぇの?」
と、有り体に返した。
実際、姉貴は『暴力だ』と断言しているし、それを踏まえてこれまでの悪態を鑑みれば、姉貴が本心でそう語る理由も頷ける。
結局の所、俺は八つ当たりされているに過ぎない。
虫の居所が悪くて、そこに丁度よく揶揄い易い俺がいた。
──それだけの話だ。
「義信、それは違うぞ」
「何が違うってんだよ。姉貴が〝暴力だ〟って言ってる時点で確定じゃねぇか。普通に考えて」
「今はお前自身の事を話してるんだぞ」
「は?」
今は姉貴の話だったと思うが……?
俺は一度冷静になるべく深呼吸をして、酸素を脳に行き届かせる。
姉貴は確かに〈暴力〉を選択したはずだ。それはつまり、自分が悪意を持って俺に当たったって事だと供述したのと同義で、犯人が取調室で『むしゃくしゃしてやった』『誰でもよかった』『今は反省している』と、適当に詫び言をいっているに過ぎない。……まあ、姉貴は反省なんてしないのだが。
俺が確信を持って〈喧嘩〉と宣言したのは、そこに譲れない言い条があったからこそだ。
それがどうして俺の話に摩り替わる……? ──納得いくはずが無い。
「わけわかんねぇよ。どうして俺の話になってんだ」
不満を爆発させるようにアマっちに噛みつくと、
「オレは琴美に自分自身の話をさせた覚えは無い。義信の話から平行線を辿って琴美に質問したんだ。つまり、琴美はお前のやってる事が〝暴力だ〟と訴えている」
「そんなのアマっちが勝手に解釈してるだけだろ!?」
「……そうだな。オレが勝手に解釈してるに過ぎない。だがな、義信。お前は今の話の中で琴美の思う所を理解しようとしたか?」
「それは」
──そこまで口にして言葉に詰まった。
思い返してみれば、アマっちが言うように心当たりがある。
私憤に耐え切れず悪態吐いていたのは俺の方だったのか……?
「あの写真は……、優志の送りつけたあの中指の意味はなんだったんだよ。姉貴」
あの写真には確かに悪意が込められていた。
俺を煽っているような眼と、そのポーズ。
明らかな宣戦布告だと捉えたが──
「あんなの日常茶飯事でしょ。私が優梨ちゃんに写真を送る際に、澄まし顔で水も滴るいい女すると思う?」
そう言われると、姉貴が行儀よくピースサインで自撮りを送るとは想像し難い。
「……じゃあ、俺がダンデライオンに来た時に睨みつけたのは」
「陽射しが眩しかったからそう視えたんじゃないの。知らないけど」
俺がダンデライオンに来たのは丁度、太陽が傾き始める頃だ。
アイツらとの作戦会議に思いの外時間を取られていたし、そもそも集合した時間が大幅に遅れていた。そっから「どこに腰を落ち着けるか」と彷徨って、結局、ダンデライオンから正反対にあるマックを選んだ。
俺がダンデライオンに到着する頃には姉貴が座る場所から真正面に陽射しが向く。
時間と場所を考慮すれば、姉貴の言ってる事は正しい。
──だけど、
「終始怒ってたじゃねぇか」
「面白い子と出会って楽しくお茶してただけなのに邪魔されたからよ。しかも、ここでも紗子の話を出すんだから、挑発したのはアンタよ?」
姉貴は『デート中だ』と言ったが、今にしてみれば『姉貴らしい冗談だ』と思える。そこで紗子さんとの結婚話を引き合いに出したのは俺自身だ。
「……」
だからアマっちは最初から姉貴を庇うような言動をしていたのか。
……だとするなら『面倒臭い姉弟だ』と、疲労混じりにぼやいたのも納得せざるを得ない。
「ダンデライオンに来た琴美は、お前の事なんてこれっぽっちも話してなかったぞ」
アマっちが当時を振り返りながら、姉貴の代弁をするように口を利く。
「なんでアマっちに愚弟の話をしなきゃいけないのよ。学校だって違うかもしれないじゃない? ま、ここに来る高校生はアンタの知り合いの確率が高いから? 違う学校じゃない事は話を訊けば直ぐわかるけどねー」
「琴美。オレをそのあだ名で呼ぶなと何度も言っただろ。……姉弟揃って同じあだ名で呼びやがって。……殺すぞ」
「その前に犯すわよぉ?」
愚腐腐と下品な笑いを浮かべる姉貴に、アマっちは心底嫌気がさすように頬を引攣らせながら後込みする。
結局全部俺の思い過ごしで、アマっちを含めたアイツらを引っ掻き回したって事か? そうだとするならとんだピエロだが、やっぱり、こうして解が出た後も腑に落ちない部分がある。──姉貴が紗子さんとの結婚に消極的だって事だ。
『答えは出てる。でも、タイミングは今じゃない』
そう述べた姉貴は、紗子さんと結婚したいと考えている口振りだった。けど、『今じゃない』と打ち消すようにも言っている。
──本当は、その本心はどうなんだろうか?
『結婚したいけどしたくない、だけどしたい』
みたいな、まるで桃屋の食べるラー油みたいな心境なんだろうか?
腫れ物のように敬遠されてきたこの問題にも、ちゃんとした答えを出さなければいつまで経っても進まない。……いや、俺の気が晴れない。
──この際だ、話を蒸し返す事になろうとも、そこだけはしっかり幕を引かせよう。
「姉貴、あのさ」
「げぇ……」
今度は姉貴がアマっちのように後込みする。
「まだ何も言ってねぇだろ!?」
「アンタが〝あのさ〟って訊ねる時は、大抵碌な話じゃないんだもん……で、なに?」
そうなのか? 心当たりが無いわけじゃないが……。
ゴホンと咳払いして、本題を切り出す。
「マジな話、紗子さんと結婚はするんだろ? それならどうして躊躇ってんだ」
「アンタもくどいわね……。今はサークル活動に専念したいの。ようやく軌道に乗ってるし、この界隈では名前も知られてきた。この勢いを殺したくないのよ。……それに、プロポーズは私からしたいの」
えんだああぁぁいやああぁぁ! と、優志の頭の中で流れそうな歯が浮く惚気話だけど、感情に任せて行動する姉貴がここまで真剣に考えてたから、紗子さんとの話し合いも上手くいってなかったのか。堅実的というべきか、それとも頑固というべきか……。どちらにせよ、姉貴も紗子さんもちゃんと考えての反発であり、それがきっと〈喧嘩〉なんだろう。
……なんだか毒気も抜かれてしまった。
「なるほどな。そもそも俺が口を挟む問題じゃなかったってわけか」
「やっとわかったのね? アンタは本当に愚弟なんだから」
「そういう姉貴の背中を視てんだ、愚弟だってんなら姉貴も相応だろうよ」
「へぇ……? 言うようになったじゃない」
お陰様で、……とは言わず、代わりに「お幸せに」とだけ姉貴に告げた。
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