【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百二十六時限目 彼女達の杞憂は彼女に伝わるはずも無い


 マックから外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。思わず「さみっ」っと呟いて、ジーンズのポケットに両手を突っ込むと、いつ舐めたかすら覚えていない飴の包装袋がかさりと右手の中で鳴る。マックのゴミ箱に捨ててくればよかったが、今の今までその存在自体を忘れていた。だからどうする事も出来ず、右手の掌の中でソイツをグッと握り締めて、きまり悪げに大通りに面した通りを一人で歩く。駅が近いだけあって車の通りもそこそこあるが、それでも都会の喧騒と比べたらどうって事無いだろう。埼玉の田舎を都会と比較した所で、勝ち目が無いのは百も承知だが。

 ……これからアイツらは服を買いに行くらしい。

 体よく厄介払いされた感が否めない状況だが、俺の事情にアイツらをこれ以上巻き込んでもこの状況をどうにか出来るとも思わない。……それに、これは俺自身の問題であり、自分の尻は自分で拭かないと筋が通らないだろう。

 ──その隙を見逃す程、姉貴は甘くない。

 嫌みたらしく皮肉を吐いて、俺が弱った所を鋭く突いてくるはずだ。……嗚呼、我が姉ながらいい性格してる。俺も優志のように皮肉を言えたらいいが、如何せん語彙力が追いつかない。『マジ』『ガチ』『割と』『普通』この四文字を封印されたら、ガチで何も言えなくなりそうだ。普通に。

 数メートル先にある信号が青色を点滅させていた。ワンチャン走れば間に合うだろうか? そう思って踏鞴を踏むと、靴紐が解けている事に気がついた。どうせ待つ事になるのなら信号待ちに結べばいいか、靴紐をぶらんぶらんさせて信号手前まで。青に変わるまでの時間を示すメーターをちらちら視ながらスニーカーの靴紐を結んだ。

 この十字路を進んだ先に百貨店があり、その先にある路地を進めばダンデライオンがある。……そういえば以前は〈ダンデライオン〉って名前を覚えられず、ドーナツのキャラクターの名前と被ってたり、『ライオンの仲間』だと勘違いしたり散々だったが、何度も足を運べば店名も覚える。──あの頃はまだ自分に正直になれなかったから、色々と悩んでいたっけか。懐かしいと思う反面、恥ずかしいとも思う。ノスタルジーに浸れる程、時間は経っていないけどな……と苦笑いが浮かぶ。

 信号が青に変わる頃、聴き馴染みのあるメロディが流れた。動揺の『とおりゃんせ』だが、どうしてこの曲を選んだと俺は問いたい。誰もが聴いたことがある曲を採用したと言うのなら、それこそ『さんぽ』の方が馴染みはありそうなもんだ。トトロは夏に金曜ロードショウで再放送されるもんな。そこから『ナウシカ』『ラピュタ』までがジブリ祭り。八月に『サマーウォーズ』をよろしくおねがいします。

 おお、この言い回しはどことなく優志っぽいぞ。

 ……なんて思いながら信号を渡り切ると、信号待ちをしていたトラックが、エンジン音を轟かせて発進した。




 百貨店を通り過ぎた奥にある路地はどこか陰鬱で、そこはかとなく漂うアンダーグラウンド感に溢れている。路地裏と言ってもビール瓶のケースが落ちてたり、野良猫が室外機の上で寝てたりもしない。幅は車が二台通れる程度あるし、『一日最大700円』と看板を掲げるコインパーキングもある。そのパーキングの中にあるのは格安の自販機。俺はその自販機で販売されているメロンクリームソーダが好きなんだが、今それを買うつもりはない。糖分はシェイクで補充したしな。

 百貨店の裏手なので、買い物帰りの客が数人、ぽつりぽつりと歩いている。買い物袋にネギを突っ込んで歩いているのはご近所に住む主婦だろうか。膨よかな体型がなんとも『おかん』だな。俺はその『おかん』を足早に通り越した。左手側には個人経営のぼろっちい居酒屋があり、今日のおすすめを書いたボードに眼を落とした。『秋刀魚の刺身』か、美味そうだな。飲兵衛のんべえな親父には堪らない一品だろう。酒が吞めない俺は白飯でそれを食いたい。夕飯、秋刀魚になんねぇかな? 鍋かカレーって訊いたけど、折衷案でカレーの上に秋刀魚が添えてあったらどうっすか……やっぱり、秋刀魚はまた今度で。

 居酒屋を過ぎると雑居ビルがある。高さは二階建ての百貨店と同じ高さだ。一体どんな会社が入ってるんだろうかと毎回疑問に思うが、不動産屋や探偵事務所とかそういう会社なんじゃないだろうか? やっさんの事務所があったり、金貸しの事務所が入っってたら怖ぇけど、そういうアウトレイジが如くのような店は入ってなさそうだ。

 その雑居ビルと雑居ビルの隙間に、こじんまりとした喫茶店がある。

 楓の兄貴が経営しているダンデライオンだ。

 その中には喧嘩中の姉貴と、その姉貴に絡まれているアマっちがいるらしいが──首尾は本当に大丈夫なんだろうな……? 優志、じゃなくて、優梨が「連絡しておくから」と言っていたのを疑うわけじゃないが、仲裁人がアマっちで大丈夫かぁ? 二言目には「殺すぞ」って脅すようなヤツだぞ? とてもじゃないが、そういう役目を引き受けるキャラじゃないはずだ。それでもアイツが「なんとかなる」って言うんだから信じる他にない。

「……入るっきゃねぇよなぁ」

 カランカランと、ダンデライオンの店内にドアベルの甲高い音が響いた──。




 * * *




「雨地君で本当に大丈夫なの?」

 レンちゃんが憚りながら私に訊ねる。

「多分、大丈夫じゃないかな」

 素っ気無く返したつもりはないのに、衝いて出た声は興味無いと言わんばかりの乾いた声だった。

 私達は佐竹君を見送ってから直ぐにマックから退店して、楓ちゃんとレンちゃんが言う『とっておきの店』へと足を向けていた。──この付近にそんなお手頃価格な服屋はあったかな? と考えていたから、返答も御座なりになったのかもしれない。

 私達が出来る事はこれ以上無いのだから、気を揉んでも仕方が無い。とばっちりを受ける流星には悪いと思うけど、それも佐竹君が悪いのだし、恨むなら佐竹君を恨んで欲しい。それに、最後まで姉弟喧嘩に付き添うなんて出来ない。そこまで責任を持って事に当たるべき問題でも無いのだから。

「私はそこまで彼を信用出来ないけど、……梅高祭で雨地君と何かあったの?」

「それは私も気になります。優梨さんが手放しで信用出来るという理由は何でしょうか?」

「歩きながらする話じゃないと思うけど……」

 私が『両性として生きる事』を決断したきっかけを作ってくれた相手だと説明したら、少々誤解されてしまうかな? 私だって流星を全面的に信用はしていない。でも、信頼はしている。……それだけの事を流星はしてくれたから。

「流星は、相談相手としては優秀だよ」

 これでは答えになっていない。

 案の定、レンちゃんは「どうして?」と訊き返してきた。

「普段は悪ぶってるけど案外素直だし、考え方が一貫して筋が通ってるから、かな?」

 これも答えになっていない。だから、

「この姿を視ても、態度を変えずに接してくれたから」

 とも付け加えた。

「それは梅高祭だからって理由じゃなくて?」

「うん。ちゃんと理解しようとしてくれたよ」

「あんなにガサツなヤツなのに、……意外ね。そういうのを馬鹿にするヤツだと思ってたわ」

 そう思われてしまうのも無理は無い。

 普段の行いが悪いので、簡単に『信用出来る』と言えないのも事実だ。学園祭の日に学校へ足を運んだのも偶々で、それこそ猫のように気まぐれ。教室に来れば『アマっち』と呼んで集まる友人もいるけれど、流星から声をかける事は皆無。それに、不真面目な流星を疎ましく思う人達も少なくない。

「……でも、執事役は真面目に、それこそ完璧にこなしていましたし、与えられた役目は責任を持って取りかかる方なのかも知れませんね」

 そうかしら……と、レンちゃんは納得出来ない様子だけど、楓ちゃんが宥めている内にその話題もいつしか、私にどんな服が似合うか、に逸れていた。

 レンちゃんと楓ちゃんを先頭に、私は行き先がわからないので後ろを歩く。レンちゃんの肩まで伸びた髪がふわふわ揺れるのとは対象的に、楓ちゃんの長い黒髪は艶やかに靡く。これが『日本人形』『大和撫子』の由縁でもあるけど、ここまで長いと手入れも大変だろうなと思いながら、それをウィッグで代用している私はどことなく肩身が狭い思いだ。これぞ本物と偽物の違いか。私は髪を伸ばす訳にもいかない。そんな無力感に苛まれながら、毛先を指に巻き付けたり解いたり。……そうしていると、前を歩く二人の足が止まった。

「あまり時間が無いし……」

「大手企業で、世界進出もしていますから……」

 そんな事を言い訳のように語りながら振り返って、私に態とらしく微笑んでいる。

「予算も抑えられて、そこそこオシャレに着飾れるわよ。ほら、ダウンとか」

 レンちゃんはしどろもどろにそう答えた。

「世界で三千以上の店舗を誇る、日本を代表するメーカーと言っても過言ではありません!」

 楓ちゃんはなぜか得意げに胸を張っている。

 ……どうして二人は必死になって説得をしてるんだろう? と小首を傾げながら「ユニクロでしょ?」と、視たままに答えたら二人揃って浮かない顔で、

「……そう」

「……そうです」

 と、窮地に陥ったように色を失ってしまった。

 何を躊躇う必要があるのだろう? 寧ろ私は根っからのシマムラーだし、そこにユニクラーな商品が増えた所で別に文句は無い。

 ……なるほど、二人はそこに窮状きゅうじょうして気重きおもになっていたのか。私がシマムラーなので、ユニクラーな商品を買わせる事を申し訳無く思っているんだろう。そう思うと合点が行く。

「大丈夫だよ! 全然気にしなくていいから! ちょっと値段が違うだけだし! なんだか気を遣わせてごめんね?」

「え……? あ、ううん! 私達こそごめん。時間があればアウトレットとかにも行けたんだけど」

「佐竹さんの件があったので遠出は厳しいかと思いまして……」

 やっぱり色々と考えてくれていたんだ。そんな二人に笑みを湛えながら、「さ、早く入ろ♪」と、手を取って入店した。



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