【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百二十四時限目 作戦会議


 いつもと同じ電車に乗って、いつも通りの時間を費やしたはずなのだけど、まるで半日以上の時間を浪費した気がする。実際はそんな事無い。この疲れは心労とか気疲れとか、その類の疲労だ。未だ始まってもいないのに、精も根も尽き果ててしまった。それは佐竹君も同じ。佐竹君は改札に向かう途中の階段をかったるそうに上っていく。私はその後ろに並んで上っていた。

 この駅を利用する客は、私が最初に乗った最寄り駅より利用する人々が多い。百貨店が駅の近くにあるのも相俟って、駅前はそれなりに賑わう。勿論、この駅の近くには梅高もあるので梅高生も利用するけど、その他に、過去、夏の甲子園に出場した高校も近くにある。では、この付近は学生街なのか? と思うかもしれないけど、決してそんな事はない。ファミレスやカラオケ、カフェなど、学生が集まりそうな施設はあるけれど、ここはどう足掻いても埼玉の片田舎であり、そして、埼玉の片田舎なのだ。娯楽施設は東京寄りの川口市や、大宮の方が俄然栄えている。何なら川越にも劣るのではないだろうか? 埼玉の小江戸は伊達ではないらしい。個人的には松本醤油工場の醤油蔵を見学したいものだ。──この駅付近にも、そんな素敵スポットの一つや二つあればいいのに。

 階段を上り切ると左手側にトイレがあり、目の前に改札が現れる。その改札の奥の壁側に見覚えのある女子二人組が、バッグの持ち手部分を両手で前に持ち、私達を待っていた。レンちゃんのはよく視かけるエナメル素材の黒色の四角いバッグだけど、楓ちゃんのは恐らくワニ皮だろう。……高校生でワニ皮とかなんなん? 色鮮やかなターコイズブルーで、灰色のロングコートに丁度よくアクセントになっていた。レンちゃんはニットの黒コートに白いシャツ、そして濃い青色のジーンズとラフな格好ではあるけど、それが妙に大人びて視える。しかし、二人ともロングコートか。──ロングコートって流行ってるの? 私もそれ欲しい。

 来た時と同様にカードをタッチして改札を抜けると、女子二人は笑顔で出迎えてくれた……なんて事は無く、二人同時で佐竹君に詰め寄ると、各々苦言を申し立てた。

「佐竹さん。割と普通にあり得ないタイミングなのですが」

「バカなんじゃないの? ガチで」

「いつもならツッコミ入れる所だけど、……返す言葉もねぇわ」

 へなへなと力無くしなびれる草のように意気消沈している佐竹君は、それでも甘んじて受け入れる他になく、まるで針のむしろにすわる思いだろう。いや、針なんて生易しいものではない。例えるなら某ホラーゲームに登場する医者が使う、最強の威力を誇るネイルハンマーと、主人公が使う火かき棒ならぬヒカキボルグで、赤い水に汚染された屍人を問答無用でぶん殴る様。断末魔の『フクラハギ』感は異常。これなら宇里炎うりえんが無くても堕辰子だたつしに勝てるのでは? と疑うレベル。そんな様子を後方から他人行儀で観察視界ジャックしていた私は、二人の矛が収まる頃合いを見計らって声をかけた。

「もしかして、かなり待たせちゃった?」

「ううん。そんなこと無いわ。……私も楓も一〇分くらい前に到着したから」

 レンちゃんはコートのポケットから携帯端末を取り出して、時刻を確認してから答えた。

「つまりお互いに遅刻ね。どこかの誰かさんのせいで」

 レンちゃんがギロリと佐竹君を睨んだ。

 私達ならまだ遅刻するのも頷けるけど、時間に厳しそうな楓ちゃんまでもが遅刻となりと、これはどうも佐竹君の罪は重そう。のーまくはーらーみーたーはんにゃーしんぎょーと、佐竹君にも流星同様に、心の中でお経を唱えておく。色即是空辺りからぎゃーてーのサビ感といったらないよね。

 佐竹君から「お前ら少しは容赦してくれよ……」と嘆きが訊こえたけれど、私とレンちゃんはそれを無視して、これからどうするかの話題に切り替えた。

 思案投げ首にしていた私達とは違い、レンちゃん達は案を思いついていたらしく、先ずは肩慣らしと冗談めいた表情で『佐竹を突き出すプラン』を提唱する。

「私もそれが一番手っ取り早いと思うんだけど、ダンデライオンで姉弟喧嘩が始まったら照史さんに迷惑がかかっちゃうんだよね……」

「そんなの知ったこっちゃない──とは言えないものね。それに、それを照史さんが許しても楓が許さないわ」

 ──そうでしょうね。敬愛するお兄様のお店だものね。楓ちゃんに取ってダンデライオンは、離れて暮らす兄と触れ合える唯一の場所だ。そんな場所を穢されたとあらば、柳眉りゅうびを逆立てるのも理の当然だ。照史さんには私達もお世話になっているし、迷惑をかけたくないのは一緒だから、佐竹君をそんな場所に放り込むわけにもいかない。

「それはまあ、半分冗談」

 ……半分は本気だったらしい。

「本題は……と、その前に楓をこっちに引き戻さないといけないわね」

 少し離れた場所で瀕死状態になっている佐竹君に、トドメの銃口を向けているような楓ちゃんの元へレンちゃんが出向いて、佐竹君はようやく解放された。しかしもう満身創痍で、どうすればそんな短時間にやつれるの? ってくらいげっそりとしている。大方、反論出来ない程に理詰めで責められたんだろう。楓ちゃんが上司になった部下はストレスで禿げそうだ。

 そんな事を、私は考えていた。




  * * *




 腰を据えて話せる場所を探して駅周辺を彷徨い歩いた結果、ダンデライオンとは正反対に位置した飲食店がちらほらと並ぶメインストリートのマックへ入り、珈琲、コーラ、オレンジジュース、季節限定シェイクを各々テーブルに添えて鳩首凝議きゅうしゅぎょうぎと額を集める。それにしても、今回選んだラインナップが意外過ぎた。レンちゃんが珈琲、楓ちゃんがコーラ、季節限定シェイクを窶れた頬で力一杯吸い込むのは佐竹君。それ以上窶れ顔されたら幸さえ薄れそうだけど。

「……全然出てこねぇぞこれ」

「掌で少し溶かしてみては?」

 と、楓ちゃんが助言。佐竹君はそれに従うようにカップを両手で包み込んだ。

「楓がコーラなんて珍しいわね」

「気分転換がしたかったので、炭酸が丁度いいかと思ったんです」

 まさか楓ちゃんも出会い早々に、気分転換したくなるとは思わなかったに違いない。

「恋莉さんは珈琲ですか。それを注文しそうなのは優梨さんですのに。皆さん今日は趣向が違いますね」

 私は苦味より甘味が欲しくてオレンジジュースを注文した。炭酸や白ブドウジュースでもよかったけれど、柑橘系の甘さと酸っぱさが欲しかったから選んだだけで、特に深い意味は無い。……が、ここまで皆の趣味とは違う物が並ぶと、そこに勘繰りや含みを感じてしまう。佐竹君がシェイクを注文した理由だって、綿のようになった精神を安定させるためだと言われたら、ああなるほど、と首肯してしまいそうだ。そこから導き出されたのは〈不安〉で、幸先のいいスタートとは言えない。

 ──でも、暖気を決め込む余裕は無い。

 こうしている間にも流星は琴美さんの毒牙により、持続的に精神を擦り減らしているだろうし、今日の予定である買い物だってなるべく太陽が西の空へ沈む前に済ませたい。……やっぱり佐竹君をダンデライオンに放り込むじゃダメ? ダメだよねぇ。

 咳払いで場を整えようとした楓ちゃんは、咳の変わりに「へくち」と可愛らしくくしゃみをする。瞬間、頬が赤く染まり、まるで林檎のようになっていた。

「……実は、炭酸そこまで強くないんです」

「楓って炭酸飲むと、くしゃみが出る体質だったのね」

「飲み慣れていないもので」

 両手で顔を隠しながら楓ちゃんは俯いて、このままでは埒が明かないと、私が代わりに咳払いした。

「話を戻してもいい? これからについてだけど」

 佐竹君は「悪いな」と頭を下げた。

「それについて楓とちょっと話したけど、こういう案はどう?」

 レンちゃんの声に反応して、顔を隠していた楓ちゃんがようやく正常に戻る。

「佐竹がこの場にいる以上、ダンデライオンに行くのは決定事項だわ。でも、皆でぞろぞろと出向くような場面でも無い。……それなら」

 こちこちと時計が時を刻むくらいの間を開けて、レンちゃんは口を開いた。

「一番琴美さんと縁のあるユウちゃんが、佐竹の付き添いをするしか無いと思うの」

 やっぱりか、と落胆した。

 この状況でそれが最善策だと私も考えていたけど、それを認めてしまえば私の本懐を遂げる事は不可能になる。だからその案だけは言わずにいたが、結局この流れになってしまうのだ。諦めて対策を……

「だけどユウちゃんに任せたら、まるでユウちゃんが佐竹のお守り役みたいで嫌」

「……」

 佐竹君は口を挟もうとしたけど、上手く言葉にならなかったようでそのまま黙り込んだ。

 私だって佐竹君のお守り役なんて願い下げだ。揉め事や面倒事に巻き込まれるのも嫌なのだけど、立ちはだかるのだから仕方が無い。そんな勢いでこれまでのらりくらりとやってこれたのは運がよかっただけ。今回の件は琴美さんの人生がかかっていると言っても過言ではない、重大な理由も相俟って話をややこしくしている。

「レンちゃんの気持ちは有り難いけど、私が行かないと話が進まないんじゃ……」

「佐竹。アンタはそれでいいの? いつもユウちゃん、優志君に頼りっぱなしじゃない。私の時もそうだし」

「わかってる。……けど、簡単に割り切れる問題でもねぇんだ」

「一体、どうして喧嘩に発展したんですか? 電話では売り言葉に買い言葉としか訊いてませんので……」

 楓ちゃんの質問は私も気になっていた。

 多分、とか、恐らく、とか、そうやって察したつもりだったけど、発端を知らなければ対策も出来ない。

 私達三人の視線が佐竹君に向けられた。

「話さなきゃ駄目か」

「プライベートな問題なので無理にとは言いませんが、訊かせて頂けたら助かります」

「だよな」

 そして、佐竹君は深く息を吸って、深呼吸と溜め息の中間くらいの鬱積を吐き出した。



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