【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百十三時限目 答え合わせ ①
春夏秋とこの店に足繁く通っているけど、この店の雰囲気は年がら年中変わらずなんだろう。入り口に設置された大きな振り子時計とアンティークな置物や小物、そして、バーと見間違えるようなBGM。今日の選曲はなんだろうと、僕はいつもの席で注文したカフェラテを待ちながら耳を欹てる。サックスとベースが印象的なジャズ。アーティスト名はわからないけど、いい感じ。ドラマーの刻むライドシンバルがキラキラとしていて、まるでダンデライオンを飾る装飾品のようだ。
お昼時なのに店内はガラガラ。閑古鳥が鳴くとは言わずもがな、常連客はカウンター席で自分語りを自慢げに。その話は僕も二〇〇回くらい訊いた。ちょっと大袈裟に盛ったけど、自分語りをする初老男性の相手をしているマダムも、須く僕と同じ意見だろう。苦笑いが何よりの証拠だ。
まるで変わらないこの店は、俗世から切り離された空間に存在しているような錯覚を受ける。『異世界カフェ』とか銘打ったら、商品名で呼び合う異世界人達とカフェラテを飲み交わすのだろうか? だけどこの店に、月に一度、異世界へ繋がるような扉は無い。
「お待たせ、優志君。はい、どうぞ」
湯気立つカフェラテがテーブルの上に置かれる。コーヒーカップと受け皿がカチャリと鳴った。
「いただきます」
照史さんにお礼を言って、ふうふうと息で湯気を払う程度に冷ます。少し口に含めば珈琲とミルクが見事に調和し合った、まろやかな舌触りを楽しめる。
この店のマスターである照史さんは、月ノ宮家の長男であり、同じクラスにいる月ノ宮楓の兄。実家といざこざがあって現在は勘当中だが、照史さんにとってそれは柵を取り払ういい機会だったのかもしれない。蟠りが残らない訳ではないけど、楽しそうに珈琲を淹れている照史さんを視てそう思う。性に合っている。──と、言うべきかな?
「ごゆっくりどうぞ」
微笑みを湛えながらそう言うと、照史さんは伝票を伝票入れに筒状に丸めて差し込み、再びカウンターへと戻っていった。
僕はテーブルの隅に置いていた本のタイトル部分を指でなぞる。──どうしてそんな事をしたのか、その理由は『何となく』でしかないけど、多分、恐らく、無聊を託つ、くらいの理由だ。
『私達は異なる世界を作る事が出来る』
日本語に直訳すればこういうタイトルになるけれど、現段階まで読み進めて、主人公達が異なる世界を作るような話ではない事がわかった。まだストーリーの確信には至らないものの、主人公達が懊悩しながら、前へ進もうとする意思だけは伝わる。
──そこに既視感を感じてならない。
佐竹も、月ノ宮さんも、天野さんも、そして僕自身も、往々と困惑しながら、出口の視えない鬱積に拘泥している。早く答えを出さないといけないが、そうやって答えを急いで本分を見失えば、灯台もと暗しになってしまう。
ペラリとページを捲る。
明日、天野さん達と一緒に服を買いに行く約束をしていたんだっけ、今の今まで忘れていた。買えるのなら女性服も買いたいんだった。
……僕の心は男性と女性、どちらにあるんだろうか。
佐竹に女装を強要されてからこれまで、何度となく優梨になって、その都度自己嫌悪して、それでも優梨の姿になるのはどうしてだろう? 嫌なら断固拒否すればいいだけだ。それをしないのは、心のどこかで女装を望んでいるんじゃないだろうか。優志ではない自分。だけれどそれも自分。相反する性別と体、心、思考パターン、……恋愛感。僕と優梨ではそれらが全く違う。本当に願っているのは優梨の性格かもしれない。
段落を見落とした。
やっぱり今日は読書に向いていないみたいだ。
内容が全く頭の中に入ってこない。
本を閉じて、カフェラテを啜る。
まだほんのりと温もりを感じるカフェラテは、じんわりと体の内側を温めた。だけど、夢見心地になってはいけないと、後から苦味がやってくる。そのおかげなのか妙案が浮かんだ。
僕は服が欲しい。
優先するべきは男性用冬服だけれど、それは僕ひとりでも買いに行けるじゃないか。女性服を買うのなら最初から女性服に眼を向けて、優梨として過ごせばいい。クラスの皆を騙せたのだ、僕の女装はそれなりに板についていると言っても過言じゃない。優梨の姿で女性服を選んでいても、何ら不自然は無いだろう。
「圧倒的、妙案……!」
心の中でガッツポーズを決める。
いつから優志の姿で女性服を買わなければいけないと、錯覚していた?
後は天野さんと月ノ宮さんに『女装して向かう』と伝えれば万事解決!
……なのか?
そう言えばこれまで、誰かに伝えてから女装するという事はしてこなかった。天野さんと海に行った時も、事前に『優梨の姿で待ち合わせ場所に行く』とは伝えていない。そう思うと何だか気恥しい気がするけれど、天野さんも月ノ宮さんも、僕が優梨の姿で出向くと伝えた所でどうということもない。
……と、思いたい。
こういうのは勢いが大切だ。
ポケットに突っ込んでいた携帯端末を取り出して、メッセージアプリを開こうとロックを外す。すると、ホーム画面にあるメッセージアプリの四角いアイコンの角に、未読メッセージを知らせる『!』のマークが表示されていた。
誰からだろう?
何の気なしにメッセージアプリを開くと、五分前に流星からメッセージが届いていた。
『今どこにいる?』
内容はそれだけ。初めてのメッセージなのに、これ程までに素っ気ないのが流星らしい。だから僕も顰みに倣うように〈ダンデライオン〉とだけ打って送った。五分くらい間を開けて流星から返信が来た。
『外』
「そと?」
たった一言の文字に首を傾げるも、もしかしたら『外を視ろ』という意味かもしれないと思い、ちらりと窓の外へ眼を向けると、そこには金髪頭の仏頂面が、両手をポケットに突っ込んで突っ立っていた。
「うわ」
思わず声が出る。
その声が窓を隔てた向こう側に届くはずがないのに、流星は眉間に皺を寄せて苛立ちを露にする。そして、ふてぶてしく店の入り口へと歩いて、ダンデライオンの扉を開いた。
* * *
「お前、さっき〝面倒臭い〟って思っただろ」
「そんなこと思ってないよ。ただ〝ストーカーみたいだな〟って思っただけ」
「あ? 殺すぞ」
「その思考回路がもうストーカーじゃん」
まあ、全ストーカーがストーキング相手に殺意を抱いているわけじゃないだろうけど。……って、何で僕はストーカーの肩を持っているんだ?
「マスター。ホットのブレンドを」
「はい。かしこまりました」
照史さんは表情を崩さずに、丁寧にお辞儀をした。
来店二回目で臆面も無くそう注文するとは、ヤンキーの図太さってどこから発生するんだろう。仏恥義理? それとも愛羅武勇? いや、これは関係無いな。唯我独尊とか、そっちのアレだろう。多分? ヤンキーじゃないから興味も無いけど。
「流星は近くにいたの? 喧嘩? 縄張りの確保?」
「だから、どこの番長だよそれは。オレはヤンキーじゃない。勘違いするな」
その姿でそれを言われても、他に思いつくのはオラついているバンドマンくらいしか無い。
「それで?」
「コンビニで立ち読みしてた」
「ヤンキーじゃん」
「それがヤンキーなら、エログラビアを視て楽しんでいるおっさん共もそれに当てはまるぞ」
そうか、おじさん達も実はヤンキーだったのか。
言われてみれば確かに、上司っていう役職は部下にオラついてイキがっていびり倒して、何なら二階級特進までさせるもんなぁ。それってもうヤンキーじゃなくて本職の方々なのでは?
「おい。今、変な想像しただろ」
「うん。社会って怖いなって」
「本当に変なヤツだな」
そういう流星も、須く変人ではあるんだけど、ツッコミを入れたら殺害予告されてしまうだろうと思い、心の中にそっ閉じ。
「それで? ニュアンスヤンキーの流星君は、僕に一体何用で?」
「言い方が甚だしいが、まあいい。……この前の答え合わせだ」
「この前?」
僕は流星から何か問題を提示されていただろうか? 平井堅ばりに瞳をとじてみたけど、頭の中でポップスターしか流れなかった。つまり、思い当たる節が無い。
「オレが〝浮かれた行事が嫌いな理由〟だ」
「ああ、それね」
まだ頭の中でポップスターが流れているので、『浮かれた行司』が『はっけよいのこったぁ♪ 相撲をもっと、楽しませてあぁげるぅからおいで♪』と替え歌を歌いながらノリノリで踊り狂う絵が浮かんで離れない。
「忘れてたのか」
「梅高祭で忙しかったからね。うちのクラスは売り上げ一位だったよ」
喜ばしい成績のはずなのに眉ひとつ動かさず、真顔のまま退屈げに、テーブルに置かれた珈琲を啜る。思いの外熱かったのか一瞬だけ驚いたように眼を丸くしたが、直ぐに表情を戻した。
「……で、話の続きをしてもいいか」
「よろしくお願いします」
僕は居住まいを正してから、流星の言葉に耳を傾けた。
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