【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一一〇時限目 佐竹と雨地 ③
体育館二階は静謐さを感じる程に静かだった。
一階ではまだ照明、音響部の連中が作業を行っているので機材を取り外す音が響いていたが、二階は誰も使用してない。だから、バスケコートの隅にボールが転がっていても、敢えてそこに置いてあるかのような印象を受ける。
館内は外よりも冷える気がした。だが、雨風を凌げる分、外よりはマシだろう。何より、怖い先輩方が来ない理由が一番デカい。というか、それ以上の理由は無いな。なるべく邪魔立てされたくないし。
アマっちは転がっているボールをひょいっと持ち上げると、綺麗なフォームでスリーポイントシュートを決めた。弧を描いたボールはボードに当たること無くバサっとネットを畝り、垂直に落下したボールが床に叩きつけられて重い音が響く。予備動作無し、まるで『入る』と確信を得たような、迷いのないボールの軌道だった。
「すげぇなアマっち。〝ほにゃららっち〟のあだ名は伊達じゃねぇな。なあ、語尾に〝なのだよ〟って付けてみてくれよ」
「……」
沈黙と、しこたま迷惑そうな眼を向けられてしまった。
「ノリわりぃなぁ……」
そういう俺は、大分悪ノリが過ぎたんだろう。
アマっちはボールを拾わずに、バスケゴール下の壁に凭れ掛かるように腰掛けて、右足を床に放り出し、左足は立て膝で、その膝に左腕を預けている。顎で『座れ』と合図されて、俺も顰みに倣うように、隣に拳二つ分くらいの距離を開けて胡座をかいた。
端麗で整った顔立ち。その横顔は、舞台俳優と言われても疑問に思わないくらい絵になっていた。
俺は自分を『格好いい』と思ったことはない。
不細工だとも思わないが、鏡を視ながら自分の姿に見惚れるようなナルシストではない。それに、格好いいという言葉は他人からの評価であり、自称するものでもない。もしそんな事をすれば『アイツ調子に乗ってる』となるし、「格好よくない」と言えば『嫌味かよ』となる。だからこういう場合、疑問形で誤魔化すの正解だ。
──アマっちは、自分をどう視ているんだ?
教室に来れば退屈そうな仏頂面を浮かべて、俺らに弄られれば迷惑そうに顔を顰める。アマっちは、雨地流星という男は、そういう役の友人だと思っていた。
……梅高祭が始まる前までは。
梅高祭が終わる頃からか、女子達がアマっちの噂をしている。それも、
『雨地君ってよくない?』
……だ。
黄色い声援までとは言ずもがな、桃色の吐息が零れるくらいの知名度は上がった。羨望の眼差しを向けている女子も複数人知っている。それ自体は、特にこれといった感情は浮かばない。焦るようなものでもないし、それでアマっちがクラスにもっと馴染めるのなら俺は構わない。
──だけど、アイツだけは絶対に譲れない。
本気で。
「あのさ」
俺の声は思ったよりも低く、何なら高圧的とも受け取れるような声音だった。だから言い直そうとしたが、
「なんだ」
という、アマっちの暇を持て余すような声に阻まれた。
「優志の女装姿を視て、どう思った?」
そう開口して、これではまるで俺が『優志を好きだ』と自白しているみたいだな気がして、慌て様に、「変な意味じゃなくて、普通にどう思ったのか訊いてるんだからな?」と付け足したが、返って逆効果だったかもしれない。
アマっちは相変わらずどこか遠くの方を見詰めながら、何を考えているのかさっぱりわからない表情をしていた。これが少しでも頬を緩めたり、気持ち悪いと眉を顰めてくれればわかり易いんだが、基本、アマっちは無表情だ。
「別に」
アマっちはそこで一度区切ってから、
「どうも思わない」
そう言って顔だけを向ける。
「……マジか」
もしかして俺だけなのか? 普通に美少女に視えるのは。
……まあ、そう思う時点で普通ではないか。
普通って、なんだろうな?
「強いて言うなら〝似合ってた〟くらいだろ。……それがどうした?」
「あ、いや……」
アマっちは確か、優志が女装するきっかけになった事情を知っているんだよな。楓がそう説明したって言っていたが、『それ以上の事情』については説明していないだろう。要するに、俺ら四人の恋愛事情について、アマっちは知らない。
俺が優志を好きだって事も、アマっちは知らない。
だから、言葉を慎重に選ぶ必要がある。
普通に考えて、『男が男を好きになる』のは異常愛だ。これはもう残念ながら、社会が、世界がそういう傾向にあるので致し方無いだろう。俺だって優志を好きになるまでは、男同士の恋愛なんてネタでしかなかったし、何なら、かなり酷くネタにしていたかもしれない。もしクラスにそういう恋愛の価値観を持つヤツがいたら、相当に人心地無かっただろうなと、今になって反省するけど、知らずのうちに付けた傷は、誰にも知られることはない。
「言いたいことがあるのならはっきりと言え」
アマっちの眼は、俺の眼を真っ直ぐ視ている。
「……それにお前は、ああだこうだと勘繰るような柄じゃないだろ。他人の迷惑なんて知らぬ存ぜぬで、クラスにいるオタク連中とまで友達になるお前だ。今更になって口籠もると、余計に気持ち悪い」
「俺の何を知ってんだよ」
きまりが悪くなって、俺はアマっちに悪態を吐いた。
悪態とは言い難いが、これでも精一杯の抵抗のつもりだったけど、悪態についてはアマっちの方が一枚も二枚も、一〇〇枚くらいも上手だ。
「知らん。微塵も興味無い」
「少しは興味持ってくれよ……」
いつもならツッコミを入れる場面だが、あまりに辛辣な評価に思わず失笑してしまってタイミングを逃した。
「アマっちさ、俺のこと嫌い過ぎないか?」
「今更気づいたのか。オレは馴れ馴れしいヤツが嫌いなんだ」
「そ、そうか……」
さっきから『気持ち悪い』だの『嫌い』だの、面と向かって言われ過ぎて、俺のメンタルヤバいんだが?
「でも」
「ん?」
アマっちは、俺から顔を背けるようにそっぽを向いた。
「悪い気はしない」
「なんだそれ」
照れを隠すようにそっぽを向いたんだろう。でも、頬は正直に物を言う。街路樹の葉のように秋色に染まった頬を視て、俺は笑いを堪えなれなかった。
「笑うな。残機分殺すぞ」
「ゲームオーバーじゃねぇか!?」
「リス地狩りしてやるよ」
「マナー悪いな」
「雑魚なのが悪い」
「グラセフ民かよ」
そんなどうでもいい話をしていたら、背中をくつけていた消音効果のある板壁も、冷えていた床の温度も、人肌程度に温まっていた。
まだ、下の階では作業が続いているんだろう。何か重い物を床に落としたような音が、偶に二階まで届いている。照明機材は高価だし、丁寧に扱うべきだが、不慮の事故というものはなんの前触れもなく訪れる。
「義信。お前、もしかして優志のヤツが好きなのか?」
「……な、なんだよ急に」
「それで、オレにアイツを奪われるんじゃないかと、探りを入れに来た。……違うか?」
──完全にバレてた。
「そ、そんなわけ」
「理由も何も、ここに来てからそう自白するような言動しか取ってないだろ。なんでいきなり優志の女装の話になる? 探りを入れるなら、もう少し上手くやれ」
それはまるでさっき視たスリーポイントシュートのように、確信を持った声だった。ボードにも、リングにも当たらず、すっぽりと網を潜る。リバウンドすらしないボールなんてどう取ればいい? しかもそのボールは不動で、力一杯引き離そうとしても、床から離れてくれない。
だから俺は、観念の臍を固めてアマっちと向き合った。
「やっぱりあれはまずかったか……、キモいよな」
男同士の恋愛はネタだ──。
高校生である俺らに取って、カタカナ二文字で形容されるその言葉は、相手を揶揄うような意味合いでしか使われない。そして、忌み嫌われる対象となり、俺の高校生活も終わ──
「なにがキモいんだ」
「ん? いや、何がって、なぁ……」
「お前が優志を好きだとしても、オレに不利益があるわけじゃない」
それはそうなんだが、俺が伝えたい事とは違う気がする。
「世間的に視たら、キモいだろ……?」
「……またそれか」
アマっちは眼を伏せて、愚にもつかないと言いたげに大きな溜め息を吐く。そして、伸び過ぎた前髪を鬱陶しそうに左手で掻き上げた。
「世間というのは須く他人だ。道行くひと達の何パーセントが今後の人生に関わると思う? 恐らくはほぼ〇パーセントに近い。そんなヤツらの視線を気にして何になる? そいつらが出来る事と言えば、せいぜいSNSで影口を叩くくらいしかないだろ。そのたった数パーセントの有象無象に、自分の人生を捧げるつもりか?」
「口だけなら何とでも言えるだろ……。お前は違うもんな」
「……なら、視せてやるよ」
「は?」
アマっちは突然、制服の上着を脱ぎ始めた。
「いやお前、何し──」
上半身を締め付けるように巻かれた白い綿布は、まるで、膨らむ胸を押さえつけるようだった。そして、その綿布すらも、手馴れた手付きですらすらと紐解いていくと、男性の胸とは明らかに違う乳房が露顕する。
「──オレは、生物学的に言えば女だ」
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